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(回答先: Re: 信仰についての雑考 投稿者 ピノキ 日時 2009 年 7 月 10 日 02:53:44)
「信」で検索すると(パソコンというのは便利ですね)、ヨハネ福音書にも
たくさんありますね。私は常々、ヨハネ書は(この言い回しは知識人風では
あっても、教会風ではないようで嫌われるんですが)パウロの神学の影響が
濃いのではないかと主張しているので、その点は納得しました。
ローマ書におけるパウロの考え方というのは、神が自らの信仰である「ピス
ティス・イエースス」を我々に与えたというような言い方をしてます。ロー
マ書3.21ですが、これはパウロ神学の特殊性が濃すぎるので、聖書協会口語
訳では「イエス・キリストを信じる信仰」という風な意訳が行われているよ
うです。「ピスティス・イエースス」というのは、パウロの「キリスト・イ
エス」という独自な表現のパラフレーズでしょう。「イエス・キリスト」と
いうのは一般的な尊称ですが、そこをパウロは「キリストであるイエス」、
「信仰であるイエス」という強調的な言い方をするわけですね。
このパウロの「信仰であるイエス(ピスティス・イエースス)」という見方が
ヨハネ書冒頭の「神のロゴスであるイエス」という神学と一致するように見
えるわけです。
これは共感福音書のイエス自らの語る「信仰」と果たして同じものでしょう
か?
<訂正>
「信仰のあるというろには、また疑いもある」は鈴木大拙の英文禅エッセイ
からの抜書きの間違いでした。原典は中国の禅籍でしょう。
ミラレパについて書いてあるのは「虚無についての観念は憐憫を生む」でした。
これはこれで考察に値する言葉だと思います。
抜書き