★阿修羅♪ > カルト7 > 212.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
Re: なるほど
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/212.html
投稿者 スットン教 日時 2009 年 7 月 10 日 18:57:38: CmuKS.2SNuq/E
 

(回答先: Re: 信仰についての雑考 投稿者 ピノキ 日時 2009 年 7 月 10 日 02:53:44)

「信」で検索すると(パソコンというのは便利ですね)、ヨハネ福音書にも
たくさんありますね。私は常々、ヨハネ書は(この言い回しは知識人風では
あっても、教会風ではないようで嫌われるんですが)パウロの神学の影響が
濃いのではないかと主張しているので、その点は納得しました。

ローマ書におけるパウロの考え方というのは、神が自らの信仰である「ピス
ティス・イエースス」を我々に与えたというような言い方をしてます。ロー
マ書3.21ですが、これはパウロ神学の特殊性が濃すぎるので、聖書協会口語
訳では「イエス・キリストを信じる信仰」という風な意訳が行われているよ
うです。「ピスティス・イエースス」というのは、パウロの「キリスト・イ
エス」という独自な表現のパラフレーズでしょう。「イエス・キリスト」と
いうのは一般的な尊称ですが、そこをパウロは「キリストであるイエス」、
「信仰であるイエス」という強調的な言い方をするわけですね。

このパウロの「信仰であるイエス(ピスティス・イエースス)」という見方が
ヨハネ書冒頭の「神のロゴスであるイエス」という神学と一致するように見
えるわけです。

これは共感福音書のイエス自らの語る「信仰」と果たして同じものでしょう
か?

<訂正>
「信仰のあるというろには、また疑いもある」は鈴木大拙の英文禅エッセイ
からの抜書きの間違いでした。原典は中国の禅籍でしょう。

ミラレパについて書いてあるのは「虚無についての観念は憐憫を生む」でした。
これはこれで考察に値する言葉だと思います。
抜書き  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > カルト7掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。