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(回答先: Re: なるほど 投稿者 ピノキ 日時 2009 年 7 月 11 日 04:56:37)
私が言いたかったのは、そもそも「信仰」とは何かという問題であり、
つまるところ「信じる」という行為は人間の精神生活において最も基本的な
営みであるってことです。「人の言う」と書いて「信」です。ともかくも
相手を信じないでは会話も成立しないわけです。私の個人的な傾向から
ついキリスト教を中心に考えてしまうんですが。
日本語で「信仰」というとキリスト教臭くなってしまいますが、仏教だと
「帰依」とか言いますかね。「信」を強調するのは浄土系の方でしょうか?
ヨハネ福音書ですが、「ユダヤ人」という言葉がやたら多く使われてます。
一般にはエッセネ派の影響と理解されることが多いようですが、マルキオンの
立場に近いかも知れませんね。そもそもキリストも十二使徒も「ユダヤ人」
ですから、共観福音書では、何でも「ユダヤ人」でひと括りで扱ったりは
してませんね。ところがヨハネ福音書の記者はその視点がユダヤの共同体の
外部にあるわけです。
こういう話は、まったく私が一人で言ってるだけのことですが。