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「女人源氏物語」瀬戸内寂聴にざっと目を通したが、いわば裏から(女人たち)見た源氏物語になっている
「女人源氏物語」瀬戸内寂聴という5部作がある。ざっと目を通したが、いわば裏から(女人たち側から)見た源氏物語になっている。
光源氏とそれを巡る多くの妻妾たちとそれに仕える女房ったちの証言からなっている。情けをかけられた妻妾たちは、そのときは喜びに浸るが、多情な光君はこれはと思う女性たちを手豆に口説きまわり、一人のところに腰を落ち着かせるということがなく、大いに気を揉ませる。やがてそれは恨み辛み深い悲しみ絶望のオンパレードとなって女人たちを苦しませる。
千年前の日本の上流階級は「性には大らかだった」という考証があるので、光君だけが例外ではなく、周辺の様々な貴公子たちも似た行動をとっている、中でも光君は抜きんでて様々な女人どもを泣かせてきたということにスポットを当てたものになっている。
(関連)
「歩く源氏物語」瀬戸内寂聴/講談社’96年から暴頭部分
《物語という旅への誘い》
源氏物語は、千年昔のわが国の王朝華やかなりし時代に、紫式部というひとりの子持ちの寡婦が、夫の遺児を育てながら、宮仕えみ【出展】、その傍ら営々として書きつづけ書き上げた大長編小説である。
作者の彼女自身も、その小説が自分の没後、千年も生命を保ちつづけ、日本はおろか、世界じゅうの国の言葉に訳され、世界小説の中でも、最も素晴らしい、この上なく面白い恋愛小説で、しかも芸術作品であると称賛され、世界でも有数の文化的遺産なりと、折り紙つけられてしまうなど、おそらく夢にも想像しなかったことだろう。
紫式部はなぜこんな対長編を書き残すことが出来たのか、それは第一に彼女の天賦の才能に因る。芸術作品ばかりは、どんな努力や研鑽を重ねても、作者に才能が恵まれていなければ創造することが出来ない。かといって…才能と研鑽と、それを可能にする境遇が必要で、紫式部は幸いにしてこの三つの条件のすべてを手にすることができた幸運の人であった。
- かつて某民報局で、「源氏物語」をやったことがある。光源氏役は沢田研二が、紫の上の役は吹雪ジュンが… 仁王像 2020/11/18 14:18:41
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