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(回答先: 交差点にて 辺見庸 投稿者 きすぐれ真一 日時 2009 年 2 月 04 日 09:34:18)
伝染病と暗喩 辺見庸
もの忘れがひどい。かわりに、出土品のかけらみたいに古い情景やことばの断片をふいにおもいだしたりする。ものごとの全体像や重要部分はあらかた失念していて、なぜかさまつなことばかりおもいうかべる。友人と海ぞいのカフェにすわっていた先だっての夕方もそうであった。ひょっこりと文のかけらが胸にうかんだ。「黄昏の影は灰色の水・・・」。窓のそとでは、干し柿のようにしなびた夕陽が青黒い海のはたてに消えようとしていた。それに眼をやり文を口でなぞった。「黄昏の影は灰色の水・・・」。胸さわぎがし、熱い液がのどもとにわいてきてあえいだ。文のもとがなんであったか、どうしてもおもいだせないのだ。
忘れたまま放置したら、とりかえしのつかないことになる気がする。友人に問うてみた。かれはよくかんがえようともせず、またか、という顔でゆっくりと横にふる。しかたなく東京の編集者に携帯電話をかけた。どの本にでてくる文章だったかな、と。そうしたら「キーワードをもっといただけますかね。ネットで検索してみますから」。ことばも記憶もコンピュータにあずけきった、かわいたそのいいかたがいやだった。というか、「黄昏の影は灰色の水・・・」にまったくなじまないとおもった。途方にくれた。海原はどろりと黒くなぎ、闇ととけあって水平線をタールのようにぬりつぶしていた。あぶないな、とひとりごちた。私は失見当識になりかかっているのかもしれない。
なぜにわかにその文言をおもいだしたのか、どうして出典にさほどまでこだわっているのかもわからなかった。問われるほうだってこれではあまりに不得要領で困ってしまうだろう。ひとつ深呼吸してふりかえってみる。その日、私は久しぶりに海をみに遠出してきた。文言は、旅に関係があるかもしれない。そこで、いまはマルセーユにいるはずの同年配の写真家に電話してみようとおもいたった。もう二年も連絡していないので気がひけたけれど、湘南の海辺から地中海湾岸へおもいきって携帯電話をかけたら、まるで隣町にいるみたいに明瞭な声がかえってくるではないか。かれはだしぬけの問いを不審がりもせずにいった。「オランのカフェのシーンだろう、それは。アルジェリアのオランだよ」
これですべて氷解した。私の胸をさまよっていたことばのきれはしがもとの母体にもどった。母体とはカミュの『ペスト』である。おどろいたことに写真家は文庫本をもちあるいているといい、私がたずねたくだりを電話でよみあげてくれた。「黄昏の影はあたかも灰色の水のように店内に浸入し、夕空の薔薇色は窓ガラスに反映し、そしてテーブルの大理石が、漂いはじめた暗がりのなかでほのかに光っていた・・・」(宮崎嶺雄訳)。聞いていてうっとりとし、やがて身がすくむ。伝染病におそわれた港街の夕暮れの静けさ、光のたゆたいがぞっとするほど美しくえがかれている。小説上はペスト発生のため外部と遮断されていたという設定のオランに、もっぱらこの文章の魅力から、私は旅してみたくなり、実際、近くまでいったものの結局はいきはぐったいきさつが、おもえばあった。
老いた写真家は声をおとし、自分も『ペスト』のことをかんがえていたという。小説にちりばめられたたくさんの暗喩を後の世はすこしも学ばなかった、という意味のことをぶつぶつと話す。かれの顔はいま、オランと同じような地中海のまばゆい光をあびているのだろう。そのことを私は不思議におもった。ふと、私たちが現在ペスト禍のただなかにあるように感じたのだ。そのとき、かすんでいた脳りにうす日がさし、過去がつかのまよみがえった。私と写真家は四十年近く前、『ペスト』についてはげしく口論したことがあった。小説末尾の一文「人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろう・・・」が、文芸的メタファーなのか文明論的予言なのかについて、私は前者を、彼は後者を主張した。
たぶん私はまけた。暗喩としての疫病はオランの市境をとうにこえ、いまや大恐慌となり、人倫の崩壊となり、新型インフルエンザともなって世界をおそおうとしている。その無辺際性こそが二十一世紀のペスト=「パンデミック」(世界的感染爆発)の本質ではないか。かつてはあっていまないものは、しかし、学ぶべきことばのメタファーなのだ。「黄昏の影」のなかに人がどうみえたか、カミュは書いている。「とり残された亡霊のように」と。
神戸新聞 2008.12.16
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