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ジェン・マーロー「包囲攻撃下、ガザ住民の日常」
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/773
私は馬鹿だった。
ガザ住民の置かれている現実に迫ろうと思った。
そのこと自体は間違っていないとは思うが、
現実がこれ程までに凄惨だとは想像だにできなかった。
150万人が『監獄』に閉じ込められるということが
一体どういうことなのか、想像する能力は私にはなかったのだ。
これ程までに凄惨とは、、、
もはや私の理解能力を超えていると思う、、、
それでも尚受け止めねばならないとは思うのだが、
私の能力を超えたものをどう受け止めればよいのかすら分からない。
人は自らの理解を超えたものに接すると恐怖を覚えるという。
確かにそうだ。私は心底恐怖を覚える。
私が衝撃を受けたのは、「外部の敵」の醜悪さなのではない。
内部対立がここまで凄惨なのかとショックを受けたのだ。
しかもそれは歴史的にエスカレートしている。
かつてファタハがガザ支配し、監獄でハマスメンバーを拷問し、
視察に来たPFLPのメンバーがその凄惨さに抗議したと聞いたことがある。
しかも現在はそれが更にエスカレートしている。
人権団体等の内部視察すら許されず、拷問がエスカレートしているという。
以前はなかった「アルジェリア風の処刑と失踪」という
パレスチナ社会にとっても『新しいもの』までが加わっているという。
「内とは外であり、外とは内である」
内部の凄惨さは外部の凄惨さの反映ではあるのだろう。
外部の抑圧が内部へと再生産されるのだろう。
<参照>
「現地ルポ:パレスチナの声、イスラエルの声」土井敏邦
「パレスチナから報告します」アミラ・ハス
ガザ:直接対話なき対話
イスラエルがガザへの軍事攻撃を抑制するという。
そのこと自体には肯定的要素があると思う。
軍事攻撃が減ることを否定する者はいないだろう。
ハマスとイスラエルが直接対話して停戦に至ることが
より良いとは思うのだが、そうはならなかった。
まあ、これもまた一つの現実だ。
直接対話なき対話とも言える。
しかも完全な停戦ですらない。
相手が攻撃を減らせば自分も攻撃を減らす。
この現実的な、常識的なラインに沿っているとも思う。
双方とも事情があり、建前は引っ込められない。
しかし国内外の実に様々な要因のその総和により、
結果的に一定の方向に向かう。
政治のダイナミズム、
歴史のダイナミズムなのではあろう。
しかしいかにも脆弱で、且つ一時的な感は否めない。
しかしガザ封鎖を解除して欲しいというガザ住民の本来の願いは
一体どうなってしまうのだろうか。
ガザ封鎖への国際的な非難というのも現実を創り出す一つのモメントだ。
イスラエル政府の打算、
ハマスの打算、
ガザ住民の多くがカッサムロケット発射に賛同している訳ではない。
ガザ住民の切実な願いはガザ封鎖を解除させることであり、
ガザ封鎖の解除とのバーターでカッサムロケット発射停止を
望むガザ住民はアンケートによれば七割に上っていた。
<ガザ封鎖解除>と<カッサムロケット発射停止>
この二つの交換なら認めるというガザ住民七割の声。
それがいつの間にか、
<カッサムロケット発射停止>と<イスラエル軍のガザへの軍事攻撃の抑制>
この二つがバーターという風に摩り替わっている。
イスラエル政府の政治的な狡猾さ、政治手腕が上手ということもあるのだろう。
しかし、カッサムロケット発射を抑制し、ガザへの軍事攻撃が抑制される、
果たしてこれがガザ住民の望んでいたものだろうか。
ガザの封鎖を解除して欲しいということが切実な望みだったのであり、
それは今現在も変わっていない。
問題はガザ封鎖が解除されることであることには何ら変わりはないと思う。
事態がガザ封鎖解除に向かっているのかどうかが問題だ。
もしそうであるのなら良いのだが、、、