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(回答先: 第101回 東大の「産業総論」で露呈 日本人の知力崩壊が始まった (2007/03/16) 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 10 日 14:24:13)
検索で阿修羅でも出てきましたがリンク紹介だけでした。
第103回 改憲狙う国民投票法案の愚 憲法9条のリアルな価値問え (2007/04/14)
http://web.archive.org/web/20071211211209/www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070414_kaiken/
2007年4月14日
4月13日、国民投票法案が、衆院を通過したため、いよいよ安倍首相念願の憲法改正が、近々現実の政治日程にのぼってくることが確実な情勢になってきた。
とはいっても、ただちに憲法改正案の発議ということにはならないだろうし、そこにいたるまでに、これから多くの議論が積み重ねられていくことになる。
憲法改正のポイントはいろいろあるが、最大の論点はもちろん憲法9条の問題である。
それについて、最近面白い資料を読んだので、それをここに紹介しておきたい。
ひときわ輝く細川隆元の「平和憲法創作記」
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いま書店に出ている「文藝春秋5月号」を手にとった方、あるいはその新聞広告をご覧になった方はご存知のように、いま文藝春秋では、創刊85周年を記念して、創刊以来のその時代時代で話題になった特集記事のうち、いま何を読みたいか、85本を読者投票で決めるという、“あなたが選ぶ文藝春秋びっくり記事85”という大キャンペーンを行っている。
このキャンペーンの前ぶれ記事として、この号で、私と福田和也氏、阿川佐和子さんの三人で「文藝春秋とは何か」という大座談会をやっている。投票に付された85本の記事というのは、この三人で選んだものではない。85本は編集部サイドで選んだもので、手がかりに、ああでもない、こうでもないのおしゃべりを数時間にわたって繰り広げたものを編集して付け加えたものである。
その準備過程において、三人はそれぞれの独自に、何十本もの記事を読んでおり、その印象もさまざまである。
私の場合、準備過程で読んだもので、ひときわ強く印象的に残ったのは、昭和30年4月の増刊号にあった、細川隆元「平和憲法創作記」である。
next: 憲法はマッカーサーの押し付けか
http://web.archive.org/web/20071211211209/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070414_kaiken/index1.html
憲法はマッカーサーの押し付けか
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細川隆元は、元朝日新聞政治部長で、昭和30年代のころは、最も有名な政治評論家として、新聞、雑誌、テレビで広く活躍していた人である。長く朝日新聞の政治部にいた人だけに、その政治情報は質量ともに群を抜くものがあった。
この記事は、さまざまの資料を引用しつつ、それに自分の独自の取材で得た情報をまじえて、あの憲法の戦争放棄条項(9条)のくだりがどのようにして生まれたかを分析したものである。
そもそも9条に関しては、憲法制定当時から、アメリカ側マッカーサー司令官からの押し付けによって生まれたとする説と、日本側(幣原喜重郎首相)からの発案にもとづいて生まれたとする説と二つの説があった。どちらの説にも、それなりの有力な根拠があり、いまにいたるも両説は対立したままである。
以下、細川隆元の記事のポイントを伝えると、細川もまず両説の根拠をそれぞれに伝える。たとえば、当時の内閣書記官長の楢橋渡に取材すると、こういう。
「戦争放棄の第9条は、マ司令官からの押し付けである。それは、当時の書記官長として、司令部側と直接交渉した私が司令部から受け取った憲法原文の中に明記してある。幣原首相の発案によるとの説は、憲法を押し付けられるということは、体面上おもしろくないため、また、マ司令官をかばうために、そのようなことが言われているのである。」
(細川隆元「平和憲法創作記」より。以下の引用も同じ)
next: マッカーサー証言と幣原発案説
http://web.archive.org/web/20080203043606/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070414_kaiken/index2.html
マッカーサー証言と幣原発案説
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それに対して、マッカーサー自身はどういっているのかというと、帰国後の米上院軍事外交合同委員会における証言で、戦争放棄条項は日本の幣原首相の発案によるものであったとはっきりこう述べている。
「日本人は彼等自身の意思によって戦争を非合法化する規定を憲法に書き込んだ。幣原首相が私を訪ねて曰く、“私は永い間この問題を解決する唯一の方法は、戦争をなくすることであると考えもし信じもしていた”と。幣原は極めて賢明な老人で最近死んだ。」
「幣原曰く、“私はこの問題を軍人たるあなたに提議することには大いにちゅうちょした。何となればあなたがそれを受諾してくれないのではないかと思ったからである。しかし我々が現在起草しつつある憲法の中にかかる規定を設けることに努力したい”と、そこで私は立ち上がって老人と握手し、幣原に言った、“世界はあなたを愚弄するかも知れない。それは嘲笑の的であるかも知れない。そうして最後にそれを持ちこたえ得ないかも知れない。しかし私はあなたを激励し、その規定を憲法に書き込むことに賛成する”と。」
このマッカーサー元帥の議会証言をそのまま信じれば、幣原発案説は疑えないところだが、この議会証言こそ、マ元帥からの押し付けを隠すためのウソであるとする説もある。
たとえば、当時日本側で用意しつつあった新憲法草案の取りまとめにあたっていた松本烝治国務相などはそういう立場を取る。
「マックアーサーが幣原さん自身が軍隊を廃止することに大変熱心であったということを言ったと伝えておりますが、これは非常な間違いだと思います。私の改正案(註、松本草案のこと)にはもちろん軍というものはあった。それについて特に説明書を提出したのですが、その説明書は幣原さんその他、閣僚みんなの御賛成で出したものです。陸海軍を廃止するとか何とかいう考えが幣原さんになかったことは、疑いのないところと思っております。」
next: 「・・・・・軍の廃止がそうきまった以上は
http://web.archive.org/web/20080205152348/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070414_kaiken/index3.html
「・・・・・軍の廃止がそうきまった以上は、自分は最初から考えておったというようなことを言われたかも知れません。軍の廃止は最初向こうから押し付けて来たので、それに対してこちらは相当反抗したのでありますが、それをこちらの意思で何か軍の廃止をしたいからと言ったからマックアーサーがそういうことを書いたのだと言われるのは、前後全く転倒している。はなはだしい間違いです。」
松本草案は“落第憲法”
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この松本氏の発言に対しても、これは相当に松本氏の強い反占領軍意識のバイアスがかかった見解であるから信用できないとする意見もある。
それというのも松本氏が取りまとめた新憲法草案が、骨格においてほとんど明治憲法そのままといっていいほど旧態依然たるものであったため、占領軍にその片鱗がもれるや、「こんなものは全く使いものにならない」とほとんど破り捨てられるがごとき扱いを受けたという事情があるからだ。
結局、松本案は占領軍から一顧だにされず、松本氏の面目は丸つぶれとなったので、松本氏は深く占領軍を恨むところとなったのである。
新憲法草案はたしかに占領軍の若年将校たちが共同起草したもので、「この憲法の主要部分の骨子を変えてはならない」という形で日本政府に押し付けられたものである。それ自体は、多くの歴史資料の裏付けがあることで疑いえない。
だが押し付けの事実と、押し付けられた憲法の中身の評価は自ずから全く別である。押し付けられた憲法は、グローバルスタンダードから見ても立派な憲法であり、グローバルスタンダードからみて全くの“落第憲法”である松本草案などとは全く比較にならない。
next: 自由党の憲法調査会での証言
http://web.archive.org/web/20080204004128/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070414_kaiken/index4.html
自由党の憲法調査会での証言
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幣原内閣が倒れたあと、第一次吉田内閣が生まれ、憲法問題担当は、松本国務相から金森徳次郎国務相に変わった。金森国務相は、吉田内閣で憲法問題を一手に引き受けていたが、9条問題では、一貫して(後々まで)幣原発案説を取っていた。自由党の憲法調査会に呼ばれたときもこう述べている。
「歴史の上から言えば、戦力保持の規定は幣原さんの発案、つまり日本側の申し入れであったというふうに考えられます。幣原さんの身辺におこった人の意見を聞いてみますと・・・・・平素の幣原さんの言葉や幣原さんとマックアーサー氏の会見がある時、特に三時間も会見したというようなこともありまして、何か根拠ありげに感ずるのであります」
細川隆元の取材によると、“金森だけでなく、当時の法制局長官であった入江俊郎氏(後の最高裁判事)も金森と同意見だったという”。
さらに、細川隆元は、幣原発案説の真偽をめぐって取材をつづけ、幣原首相の信任が厚かった最側近の人物として、幣原内閣戦争調査会長官だった青木得三氏から、次のような証言を得ている。
「幣原さん自身、直接私に対して、“憲法9条は全く自分の発案でマ元帥に提案したものだ”と語られた。ただでさえ軟弱外交と罵られていた氏のことであり、その事実を決して公けにしなかったために、世間には知られていない。私は学生時代幣原夫人の三人の弟さん達と起居を共にした仲であり、それ以来幣原氏との間柄は非常に深い関係にあったのであり、幣原内閣の時に出来た大東亜戦争調査会の長官に私を推したのも氏であった。従って幣原氏も第9条提案の真相をうっかりした人間には言えなかったのであるが、いわば門下ともいうべき私にはその事実を打ち明けられたわけである。」
「憲法を改正しようとして動く人々は押し付けられたものだからということをしきりに言うが、実際には、あの草案が日本側に手交される以前に幣原氏は首相としてマックアーサーにしばしば会い、憲法草案は司令部側で作成するからと言われたのに対し、再三、日本側の意向を伝え、出来るだけそれを盛ってくれるようにと依頼していたのである。」
next: 天皇制維持の装置としての日本国憲法
http://web.archive.org/web/20080205172240/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070414_kaiken/index5.html
天皇制維持の装置としての日本国憲法
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「幣原氏の意見の中心をなすものは、第一に天皇制の問題であり、天皇制の廃止あるいは天皇の退位回避については非常に苦労したらしい。特に戦争放棄は氏の信念であったが、天皇制維持に対応して、提案されたものと考えられる。幣原さんは私に、“今日我々は戦争放棄の宣言を揚ぐる大旗をかざして国際政局の広漠たる野原を単独に進み行くのであるけれども、世界は早晩戦争の惨禍に目を覚まし、結局私共と同じ旗をかざして遥か後方についてくる時代が現われるであろう。私はそれを墓地の蔭から見たいと思う”と言われた。」
「と語ってくれた。幣原さんの墳墓の土が乾かない中に、日本には再軍備論と憲法改正論とが現われてきたが、幣原氏がもし今日もなお存命なら、果たして政治的生命をかけて憲法改正に反対したであろうか、はたまた世界情勢の変転を理由としてあっさり再軍備を認めたであろうか、それとも吉田前首相のように実質上の再軍備を認めつつも憲法改正をさけた頬冠りで自衛力を発展させて行ったろうか、これは誰にも分からないことである。それはともかくとして、この青木氏の貴重な談話は、今日まで不明であった史実に決定打を与えた感があり、どうやら幣原発案説に凱歌が挙ったように思われる。」
私も、細川隆元のこの感想に組するものである。その他もろもろの資料を勘案しても、幣原発案説に軍配が上がるという話は、堤堯「昭和の三傑-憲法九条は『救国のトリック』だった」に詳しい。
憲法9条を誰が発案したかについては、いまだに多くの議論があり、いずれとも決しがたい。参照すべき資料はすでに出尽くした感があり、いまつづいている議論は、どの資料をどう解釈するかという議論である。同じ人物の同じ発言記録をめぐって、そのときその人がそう発言していたとしても、その真意はこうだった(にちがいない)というような形で、いまだに延々と生産的でない議論がつづいている。
私はそのような議論にそれほど価値があるとは思わない。
next: いま憲法9条を捨てるのは本当に有利なのか
http://web.archive.org/web/20080204004133/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070414_kaiken/index6.html
いま憲法9条を捨てるのは本当に有利なのか
いま大切なのは、誰が9条を発案したかを解明することではなく(究極の解明は不可能だし、ほとんど無意味)、9条が日本という国家の存在に対して持ってきたリアルな価値を冷静に評価することである。
そして、9条をもちつづけたほうが日本という国家の未来にとって有利なのか、それともそれをいま捨ててしまうほうが有利なのかを冷静に判断することである。
私は9条あったればこそ、日本というひ弱な国がこのような苛酷な国際環境の中で、かくも繁栄しつつ生き延びることができた根本条件だったと思っている。
9条がなければ、日本はとっくにアメリカの属国になっていたろう。あるいは、かつてのソ連ないし、かつての中国ないし、北朝鮮といった日本を敵視してきた国家の侵略を受けていただろう。
9条を捨てることは、国家の繁栄を捨てることである。国家の誇りを捨てることである。9条を堅持するかぎり、日本は国際社会の中で、独自のリスペクトを集め、独自の歩みをつづけることができる。
9条を捨てて「普通の国」になろうなどという主張をする人は、ただのオロカモノである。
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立花 隆
評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。2005年10月 -2006年9月東大大学院総合文化研究科科学技術インタープリター養成プログラム特任教授。2006年10月より東京大学大学院情報学環の特任教授。 2007年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任教授。
著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。近著に「滅びゆく国家」がある。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。
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