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第82回 天皇はなぜ参拝しないのか 「心の問題」論と靖国神社 (2006/08/12)
http://www.asyura2.com/08/senkyo56/msg/755.html
投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 09 日 18:30:15: Dh66aZsq5vxts
 

(回答先: 第81回 政界を巻き込む水谷建設事件 安倍長期政権の野望を読む (2006/07/31) 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 09 日 18:15:14)

第82回 天皇はなぜ参拝しないのか 「心の問題」論と靖国神社 (2006/08/12)
http://web.archive.org/web/20060820221307/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060812_tomita_memo/

2006年8月12日

 すでにこの欄でも取りあげたことだが、昭和天皇が靖国神社にA級戦犯が合祀されたことをきわめて批判的に見ていたことをハッキリ示す富田メモ(「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」)の出現は、保守派の人々に、相当大きなショックを与えたようである。

 その後ひとしきり、さまざまなメディアを通じて、天皇にそのような発言をしてもらっては困ると考える人々から、メモの信憑性を疑ったり、あるいはそこに記されていた天皇の言葉が天皇の真意を伝えたものではないことを懸命に論証しようとしたりの議論がつづいた。

 ──議論の内容は、もっぱら、富田メモの中身が、実は天皇の言葉ではなくて、富田朝彦元宮内庁長官の個人的な思いをつづったものだったにちがいないなどとする、根拠もなしに自分勝手な推論を述べたてるものだった。

 これに類するものとしては、実はそれが天皇の言葉をメモしたものではなくて、他の人の発言を富田がメモしたが、たまたままぎれこんだとしか考えられないという推論から、これを『大誤報』と断ずる噴飯ものの主張もあった。あるいは、このメモをスクープした日経新聞の記者あるいはその周辺の人物が政治的思惑からメモの内容を改竄したにちがいないなどとする主張もあった。

 それらの議論の特徴を一言で要約すると、もっぱら「にちがいない」「としか考えられない」という論法を駆使することによって、ろくに根拠もなく、自分の願望を客観的な現実ととりちがえてしまうお粗末な議論の羅列といってよい。

 
徹底検証で明らかになった「富田メモ」の信憑性
……………………………………………………………………
 それに対して最近発売された「文藝春秋」9月号での、半藤一利、秦郁彦、保阪正康の3人による座談会「徹底検証・昭和天皇『靖国メモ』未公開部分の核心」は、そうした有象無象の議論を全部吹き飛ばしてしまうくらいのインパクトを持つものだった。

 なにしろ、それら否定論者たちの発言がおしなべて、現物を見もしない、かつ内容を深く検討したこともない人々の無責任きわまりない発言であったのに対して、この座談会に出ている、半藤、秦の両名は、日経新聞のスクープ(7月20日朝刊)以前に、原物を見せられ、その信頼性のチェックをした(半藤氏は 7月のはじめに、秦氏は発表の1週間前に)ような人物だから、議論のレベルが、有象無象の人々とは比較にならないくらい深い。

 富田メモの内容とその背景に関しては、日経新聞でしばらく写真入りの囲み記事の連載がつづき、それなりに知ったつもりになってはいたが、この座談会による「徹底検証」は文字通りの徹底検証で、その情報量は何十倍も大きい。

 たとえば、日経新聞が公開したメモの原文の写真によると、コピーしたメモの切れ端のようなものが貼りつけられた感じになっていて、そこが信憑性を疑う人々の疑いの根拠にもなっていたのだが、その理由が、この座談会で詳細に明らかにされている。

 
next: 全ページにメモ用紙を貼り付けた「黒い手帳」…
http://web.archive.org/web/20060820221307/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060812_tomita_memo/index1.html

全ページにメモ用紙を貼り付けた「黒い手帳」
……………………………………………………………………
 富田メモの原資料になる「富田資料」そのものの中核部分は、昭和50年から昭和61年までの日記帳11冊と、昭和62年から平成9年までの黒い手帳である。これとは別に昭和62年、63年分の黒い手帳がもうワンセットあり、それは、

「ほとんど全てのページに横書きのメモ用紙を貼りつけたりホッチキスでとめてあって、分厚く膨れている」

 ものだった。「それが私の心だ」という靖国メモは、この中に貼りつけられたものとしてあった。

 ではそのメモとは何なのか。

「メモ魔だった富田長官は、昭和天皇の話を聞いて、すぐ手近な用紙に書きとめた」

 そのときの用紙もバラバラの直筆メモなのである。そのメモを、コピーをとったりせず、現物のまま、手帳の日付のところに糊やホッチキスでとめていったのである。それで手帳がスクラップ帳のように膨れ上がっていったのである。

 あとからきれいに整理したメモではなく、天皇の発言の都度メモを取ったものだったから、誤記もあり(たとえば、前イタリア駐在大使白鳥敏夫のことを『白取』としていた)、略字もあり(たとえば、「関連質問」、「関係者」を「干連質問」、「干係者」としていた)、補足的書き込みもあった。それを信憑性を疑う根拠とした論者もいたが、逆に、そういう部分があるからこそ、天皇の肉声をその場で書きとめたものだというリアリティを感じたというのが、原物をつぶさに検討した人々の共通の印象である。

 
A級戦犯たちへの天皇の怒りと哀しみ
……………………………………………………………………
 その他、記述内容から、信憑性、天皇の真意性が疑われた点についても、3人の論者はつぶさに検討を加えているが、そこでも靖国メモを疑う人々の議論は一蹴されている。

 たとえば、昭和天皇は東条英機に好意を持っていたはずだから、A級戦犯全体を丸ごと否定するかのごとき富田メモはウソだというような議論があった。

 それに対して、たしかに「昭和天皇独白録」には、「東条と云ふ人物は話せばよく判る」「東条が云ってゐることも思慮周密で中々良い処があった」といったくだりがあるにはあるが、

「秦 頼りにならぬ陸海空軍の統帥部長に比べて、相対的に、東条がマシに見えたのでしょう。能吏だから、こまめに上奏するし、御下問があればごまかさずに答える。しかしながら、戦争末期には東条もまったくアテにならず、天皇は、アメリカの短波放送で戦況を聞いていたんですよ。

保阪 昭和天皇は、終戦後さまざまな事実が明らかになるうち、臣下は私を騙していたのではないか、と気づいたのではないでしょうか。

半藤 私は怒りというより、天皇の哀しみを感じました。戦争中から騙されていると判っていたと思いますよ。だから最後は『聖断』で自分で終戦を決断したんです」

 こういうくだりを読んでいくと、いまA級戦犯の肩を持つ人々への怒りがこみあげてくる。天皇と国民にウソばかりならべたてて、あの無謀な戦争をはじめさせ、戦争の真実の推移をすべて押し隠し、ついには一億玉砕の本土決戦にまで持ち込もうとした、あのA級戦犯たちへの天皇の怒りと哀しみが、あの富田メモの「それが私の心だ」によくあらわれていると思う。

 それにしても、自分の一の臣下であるはずの時の首相にして陸軍大臣でもあり、参謀総長でもあった東条の戦況報告が信用できず、敵国アメリカの短波放送で真実の戦況を知っていたとは、天皇も哀れである。真実を知れば知るほど怒って当然である。

 
next: 天皇の意思を無視した小泉首相の暴挙…
http://web.archive.org/web/20060821131352/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060812_tomita_memo/index2.html

天皇の意思を無視した小泉首相の暴挙
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 天皇は、A級戦犯合祀後の靖国神社参拝拒否によって、自分の意思をはっきり表明している。今上天皇も昭和天皇の基本的立場を受け継ぎ、それを貫くことで、自分の意思をはっきり表明している。

 それに対して、小泉首相は、「心の問題ですから」という論理に逃げこむことによって、「自分は自分」とばかり、天皇の意思など全く知らぬげに、今年も靖国参拝を強行しようとしている。

 それもおそらくは、今年が最後のチャンスとばかり、8月15日の靖国参拝に踏み切ろうとしている。

 だが、それは正しいことなのか。「心の問題」であれば、誰でも自分の思うがままの行動をしてよいのだろうか。

 天皇はなぜ靖国参拝をしないのか。「心の問題」だけで行動を決めてよいというなら、天皇もおそらく靖国参拝をしたい気持ちでいっぱいにちがいない。

 靖国神社にまつられている祭神の大多数は、あの戦争に命を捧げた一般の将兵たちであって、A級戦犯ではない。

 一般に靖国神社に参拝する人々も、誰も自分がいまA級戦犯を拝みにいっているとは思わないだろう。心の中で自然にA級戦犯とその他の祭神たちを分祀して、A級戦犯以外の祭神たちを拝んでいるはずだ(あるいはそういう区別もなく、あの戦争に命を捧げた人たち全体を拝んでいるはずだ)。

 要するに、単なる個人の行動として、靖国神社を参拝している人たちにとっては、誰を拝んでいるかは、それこそその人の心の中の問題であって、いかなる意味でも特別の問題にはならない。

 
公人には通用しない「心の中の分祀」論
……………………………………………………………………
 問題になるのは、公人の立場にある人が、公人として参拝する場合だけである。

 そして、日本国の最大の公人といえば、天皇と総理大臣ないし、最高裁長官、衆参両院議長の三権の長である。それらの人々が公人として参拝すれば、それは日本という国家を公に代表しての行動となり、その行動は、「心の問題だから個人の勝手でしょ」の理屈で済ますことはできない問題となる。

 天皇は、個人の心情の問題としてではなく、日本国を象徴する最大の公人という立場であるという自覚があるからこそ、A級戦犯を祀る靖国神社に参拝することができないのである。

 天皇あるいは三権の長のような立場の人の参拝の場合、それは即A級戦犯に対する参拝と受け取られ、「心の中の分祀」論は通用しなくなる。分祀を主張するためには、それが即物的に分祀された状態にあることが必要である。

 小泉首相の「心の問題」論は、この視点を完全に欠落させている。自分が天皇に次ぐ、国家の象徴そのものなのだということを忘れた議論である。

 
next: 天皇は、日本国のシンボリスティックな象徴…
http://web.archive.org/web/20060821095122/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060812_tomita_memo/index3.html

 天皇は、日本国のシンボリスティックな象徴でしかないが、総理大臣は、リアリスティックな象徴である。小泉首相が言うすべての言葉、行うすべての行動は、日本国を代表する人間としての言行になるのである。それがそうでなくなるのは、小泉首相が純粋に私的な空間(トイレの中のような空間、あるいは少なくともメディアが絶対にレポートすることがないような空間)で行う私的な言動のみである。

 靖国参拝のように、100%のメディアカバーがある中で行われる言行は、いかなる意味でも「心の問題」の論理で済ますことができない言行となる。それは必然的に国家を代表する公人の言行として、その行為それ自体が発するある種のメッセージを含んだ言行になるのである。

 
日本の戦後の再出発は戦争の清算の上にある
……………………………………………………………………
 天皇は、そのような、その言行のすべてがある種のメッセージを必然的に含んでしまうという国家最高の公人が必然的に担わされなければならない、存在即メッセージとでもいうような性格を帯びた生活を長年にわたってつづけてきた関係上、自分の一言一句、自分のちょっとした行動の隅々まで気を配ることが習い性となっている。

 だから国家を代表する立場から、言ってはならないこと、してはならないことは断じてしない。それが靖国不参拝の決意の根幹にあるものなのである。

 富田メモの「それが私の心だ」のくだりが強調されすぎると、それがあたかも、天皇の心情的な決意のように受け取られ、小泉首相の「心の問題」論を補強するかのうような受け取られ方がなされかねないが、事の本質はそこにあるのではない。

 日本の戦後の再出発は、すべて、あの戦争の清算の上に立てられたのだから、それを乱すようなことは、国家としてできないのである。

 具体的にいえば、ポツダム宣言の受け入れ。その帰結としてのミズリー号上の降伏文書調印。またポツダム宣言受諾の結果として国家主権を全部占領軍のコントロール下に置き、国家システムのすべてを占領軍の命令によって変更していくことの受け入れ。そして同時にあの戦争を清算するための儀式としての東京裁判の受け入れ。その受け入れを表明した上で結ばれたサンフランシスコ講和条約、この一連の出来事のすべてが、どの一つも揺るがせにできない国家の戦争敗北の約束そのものなのである。それは受け入れるしか選択の余地がないものである。

 戦争清算のシンボルであるA級戦犯を合祀して、そこに日本国を象徴する天皇が拝みに行くというようなことは、まさにそのような戦後国家日本の再出発の原点を乱す行為にあたるが故に、天皇としては何としてもするわけにはいかない行為なのである。

 
next: いまさら東京裁判の否定だの、A級戦犯に罪なし論などを並べ立てる…
http://web.archive.org/web/20060821131403/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060812_tomita_memo/index4.html

 私にいわせれば、いまさら東京裁判の否定だの、A級戦犯に罪なし論などを並べ立てるバカ連中は、あの戦争に敗北した事実を男らしく受け止めることができない連中だとしかいいようがない。

 いまさらそのような泣き言を並べるくらいなら、どうしてあの戦争の最後の場面で、本当の一億玉砕をやってのけるくらいの覇気を見せられなかったのか。

 あれだけ文句なしの大敗北を喫した以上、負けのすべて(先のすべてのプロセス)を堂々と認めるべきである。負けたら負けたで、負けっぷりはよくすべきで、あれはいやだの、これはいやだのといった泣き言をいつまでも並べ立てるべきではない。

 どうしても負けの一部を認めたくないのなら、もう一戦やることを覚悟して文句を並べるべきである。

 このあたり前のロジックが、どうして小泉首相にはわからないのだろうか。

 
日経新聞の発表したメモの「6行の欠落部分」
……………………………………………………………………
 このような天皇には自明のことがよく理解できていない政治家の出現は、小泉首相にはじまったことではない。

 これまでも、自民党の右翼部分には、そのようなことがわからないというよりは、意識的にそのような理解をぶちこわそうとする復古派の人々が少なからずいた。

 たとえば、昭和61年、中曽根内閣時代に、文部大臣をつとめていた藤尾正行は、教科書検定問題や東京裁判それ自体に異をとなえ、日韓併合を「侵略された側にも責任があった」などとして、中曽根首相から罷免されている。昭和63年には、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の奥野誠亮国土庁長官が、靖国参拝を「公人としてしたのか、私人としてしたのか」を問われて、「もうそんな質問はやめたらどうですか。何も中国の悪口をいうつもりはないけれど、ケ小平に国民が振り回されているのが残念ですよ」と言って、ついに辞任のやむなきにいたるというような事件が起きている。

 先の「文藝春秋」の徹底検証座談会では、日経新聞に発表された富田メモには、実は6行の欠落部分があって、そこには、

「戦争の感想を問われ嫌な気持ちを表現したかった。(略)“嫌だ”と云ったのは奥野国土相の靖国発言、中国への言及にひっかけて云った積りである。(略)中曽根の靖国参拝もあったか 藤尾(文相)の発言。奥野は藤尾と違うと思うが バランス感覚のことと思う 単純な復古ではないとも思う」

 などと記されていたという驚くべきことが明らかにされている。

 昭和天皇は、藤尾、奥野などのこのような復古調の発言をはっきり批判していたのである。昭和天皇は生前、政治家などの個人名をあげて批判することはつとめて避けていたから、そこを慮って、日経新聞もこの部分の発表を抑えたと思われるが、そこが明らかになってみると、富田メモにおける天皇の真意はいよいよ明らかになってくる。

 
next: 復古調の政治の流れに大きな危機感抱いた昭和天皇…
http://web.archive.org/web/20060821160317/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060812_tomita_memo/index5.html

復古調の政治の流れに大きな危機感抱いた昭和天皇
……………………………………………………………………
 天皇は大きな流れとして、A級戦犯合祀とその時期にあらわれはじめた復古調の政治の流れに大きな危機感を持っていたのである。

 そのような復古調の流れを作っている中心勢力の1つにA級戦犯合祀を勝手に推し進めた松平永芳靖国神社宮司がいたことに強い反撥心を持っていたのである(富田メモ「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている」 ※ 松平永芳靖国神社宮司は最後の宮内大臣を務めた松平慶民氏の長男)。

 松平宮司によるA級戦犯合祀以後、靖国神社は、東京裁判を否定する勢力の中心になり、とりわけその博物館である遊就館において、「大東亜戦争は正しかった」──対米英戦争はアジアの解放戦争、対米戦争はアメリカ側の謀略といった戦争合理化路線で染め抜かれた展示が大々的におこなわれている。

 それが在京の外交官筋の評判を呼んでいるという話が、同じ「文藝春秋」9月号の富坂聡「中国が仕掛ける遊蹴館戦争」にのっている。

 その終わりのほうに、アメリカの外交筋の靖国問題に関するコメントがいくつかのっているが、それを読むと、靖国問題は、いまやアジア外交の問題だけでなく、対米外交の問題になりそうな危険をはらみだしているということがわかる。

「あれがいかに反米的かを私は知っている。アメリカ人にとっても他人事ではない。日本バッシングの色彩はないと日本人が考えるならば、それはブッシュ政権の与えた幻想だ」(バニング・ガレット前国防総省アドバイザー)「遊蹴館の真実を知れば多くのアメリカ人は怒る。そうなればA級戦犯だけの問題ではなくなる」(シンディ・コトラー・シンクタンク=アジア・ポリシー・ポイント所長)

 歴史認識の問題で問題が起きているのは、もっぱら対中国・韓国の問題だろうと日本人の大多数は思っているようだが、実際には、対アメリカでの歴史認識のちがい問題に火がついたら、それは手がつけられないほど深刻な問題になるのだということを知っておくべきである。

 
立花 隆

 評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。2005年10月から東大大学院総合文化研究科科学技術インタープリター養成プログラム特任教授。

 著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。  

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