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(回答先: 第77回 福井総裁「利殖の構図」村上ファンド事件とは何か (2006/06/28) 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 09 日 16:54:31)
第78回 靖国参拝論議に終止符 天皇の意思と小泉の決断 (2006/07/21)
http://web.archive.org/web/20060820102356/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060721_ketsudan/
2006年7月21日
昨日(7月20日)の日経新聞の大スクープ、
「A級戦犯靖国合祀
昭和天皇が不快感
参拝中止『それが私の心だ』」
にはビックリした。
昭和天皇が当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語ったことが富田氏のメモでわかったのだが、まさかこのような大資料が今日まで眠ったままでいようとは思いもよらなかった。
テレビが映し出した小泉首相の心の動揺
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しかし、このニュースに接したときの政府当局者たちのうろたえようといったらなかった。
みっともないの一語につきた。一応何でもないようなふりをしてみせたが、内心の狼狽ぶりは隠しようがなかった。
とりわけひどかったのが、小泉首相だ。恒例の毎日のぶら下がり会見は、これまで、マイクを突き出すだけしかできない下っぱの記者の担当だったらしく、小泉首相が一言ですまそうとしたときに、食いさがるという基本技ができなかった。
しかし、今日の代表質問を買って出た女性記者はなかなかのやり手だった。このニュースの感想を問われた小泉首相が、
「特段ありません。これは各人の心の問題ですから。昭和天皇は昭和天皇で、いろいろ思うところがあったのだと思います」
とまるで人ごとのように答えて、いつもの「心の問題」のレトリックに逃げ込もうとした。それに対して、では、心の問題として、それは小泉首相自身の心にどう影響するのか?、今度の8月15日にまた参拝するつもりなのか?などなど、二の矢、三の矢をはなって、小泉首相をしばらく会見場に釘づけにした。
だからといって、彼女が小泉首相から何らかの特別の答えが引きだせたというわけではない。小泉首相は相変わらず、それは自分の心の問題だから、誰がどう言おうと、どう思おうと、自分がそれに影響されることはない、ときっぱり言った。8月15日に行くか行かないかは、心の問題だから今から人に明かすわけにはいかない、といつもの論理を繰り返すだけだった。
しかし、セリフはいつもと同じだが、表情はいつもとちがっていた。異様にこわばった表情だった。あんな異様な表情の小泉首相の顔は、これまで見たことがない。もしかしたら、よくない病気にかかったのかもしれないと思うくらい、それは変な表情だった。
next: テレビというのは恐いメディア…
http://web.archive.org/web/20060820102356/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060721_ketsudan/index1.html
テレビというのは恐いメディアだとよく言われるのは、それが表情を大写しで映してしまうことにある。口先でいくらちがうこと(偽り)を答えても、表情だけは100%偽ることができないので、表情が口とはちがうことを答えてしまうということが往々にして起こるからだ。
今回の小泉首相の表情の異様さもそれだったと思う。本当は、小泉首相はあのスクープ記事に、愕然として、朝から夕方まで心の動揺を隠そうと努力したのに、ついにそれが果たせなかったのだと思う。
かつて小泉首相は、毎日のぶら下がり会見を、昼と夜の2回行っていた。ところが最近、小泉首相の側から強引に1日1回しかしないことにしてしまった。記者会は元通り2回に戻すことを要望しているのに、小泉首相の側がそれを呑もうとしない。だから小泉首相は、この日、夕方まで記者(TVカメラ)の前に出ないですんだのだ。もしもっと前にカメラの前に引き出されていたら、もっと心が動揺している状態を人目にさらしていたのにちがいない。
田中角栄のゆがんだ表情と重なる
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この日の小泉首相の異様な表情を見たとき、私は直感的に大昔に見た、もう1つの大物政治家の異様な表情を思い出していた。
それは、83年10月、田中角栄元首相にロッキード事件で有罪判決が出たあとしばらくして、時の首相の中曽根康弘がホテルオークラに田中をよんで、余人をまじえず、1時間半にわたって話し合ったあと、部屋の外に出てきたときの田中の表情に見た異様さだった。
それは何ともいえずゆがんだ表情だった。一見平静さをよそおってはいるものの、なんとも説明がつかない妙な表情をしていた。
会談を終えたあと、中曽根側は、
「現在の重大な時局について真剣に意見を述べ合うとともに、一人の友人としてできる限りの助言を行った」
と会談内容を発表した。
しかし、会談の実際は、そんな単純なものではなかった。会談後かなりたってから、その会談の本当の内容が少しずつ明らかになっていったときに、はじめて、あの異様な表情の裏にあったものが、明るみに出てきた。
next: まずそれは、自民党総務会における…
http://web.archive.org/web/20060820102422/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060721_ketsudan/index2.html
まずそれは、自民党総務会における中曽根首相の会談報告という形であらわれた。以下、私の「ロッキード裁判傍聴記」から引用する。
自民党総務会では、中曽根は次のように説明した。「進退は自ら決することだ。政治家として自分で考えてくれ、返事はいらないと言った。政治は惻隠の情だ。だれかが一緒に泣いてやる、苦しんでやる、そういう腹構えで、田中さんと話した。同年兵として苦衷を訴えあった。田中さんの家族の苦衷を考えると、本当によく分かる(絶句してポケットからハンカチを取り出し、目頭を押さえる)。私もロッキード事件で灰色とうわさされた時、家族は大変に気にした(声を出して泣く)。よく分かる。しかし、その中から、総理総裁をやったものとして、どうあらねばならないか、ということを私なりに切々と訴えた。(泣く。田中派の野中総務などももらい泣き)」(『毎日新聞』11月1日夕刊)
この中曽根首相が「泣く」と注記されている部分だが、涙ぐむというようなものではなく、涙をポロポロこぼし、声をつまらせ、しゃくりあげ、何分間も嗚咽をつづけたのだという。そして、田中派の野中総務がもらい泣きをはじめると、4、5人の総務がいっせいにしゃくりあげた。大の男たちが何人も声をあげて泣くという何とも異様な風景が展開されたらしい。涙ながらの中曽根の説明は約20分間にわたってつづいた。
ずっと後になって明らかになることだが、実は田中・中曽根会談において、田中は中曽根を前において涙を流して泣き、中曽根もそれに貰い泣きし、二人でしばらく手を取り合って泣いたのだという。総務会で中曽根は、「田中さんが可哀想だ。田中さんには誰かいっしょに泣いてやる人が必要だ」といったというが、それは、2人が手を取りあって泣いたという事実をふまえての発言だったのである。
この話を聞いて私には思い当たったことがある。田中・中曽根会談を終えて、田中が部屋から出てきたとき、田中の顔は妙にゆがんでおり、淋し気な表情を浮かべていた。それを見たとき、あ、この顔は前にもどこかで見たことがあるなと思ったのだが、そのときは思い出せなかった。あの会談で田中が涙を流して泣いたのだと聞いて、それが思い出せた。初公判の被告人陳述で、田中が声をあげて泣いたあと、自席に戻ったときに見せた顔が、まさにあの顔だったのである。
この長々とした引用で私が何をいいたいのかといえば、記者会見での、小泉首相の表情の異様さに、あのときの田中の表情の異様さと似たものを、小泉首相の表情に感じたということである。
もとより、あのときの田中と、今回の小泉首相では、置かれているシチュエーションもちがえば、2人の性格もちがう。安易に両者をひきくらべることは意味がないが、あの表情から私は、小泉首相は、あの天皇の言葉に大きすぎるほど大きな衝撃を受けたのだと瞬間的に思ったのである。
そして、それによる心の動揺をおさえようとしておさえられなかったのだろうと思った。要するに、私が2人の表情のどこに共通点を見出していたのかというと、内心では敗北感の極致を味わっていながら、政治家という立場上、そのようなことはオクビにも出せないという苦しみだと思う。
next: 靖国参拝反対は天皇の意思…
http://web.archive.org/web/20060820102434/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060721_ketsudan/index3.html
靖国参拝反対は天皇の意思
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さて、昭和天皇の明々白々なA級戦犯合祀に対する不快感表明によって、一言でいうなら、靖国問題は、決着がついたといっていいと思う。
最近、「東京裁判は誤りだ。靖国神社にA級戦犯が合祀されてどこが悪い」といった論調がだいぶ幅をきかせるようになってきていたが、これで、再び主流の論調は逆転し、「A級戦犯合祀は誤り、A級戦犯が合祀されている限り、小泉首相は参拝すべきでない」とする議論のほうが、自民党でも多数を占めることになるだろうと思う。
天皇絶対主義の時代はとうに終わったとはいえ、天皇発言の持つ影響力はいまだに日本の社会においてきわめて大なるものがある。
天皇は自己の発言力の大きさを十分すぎるほど知っていたから、いまの天皇も、先代の天皇も、できるだけ自分の個人的な意思を表現しないようにしてきた。
戦後、天皇が意識して影響力を行使したことはない。天皇にはもちろん天皇個人の意思があるだろうが、天皇はそれを傍目から全く見えないように見事に隠してきた。しかしそれだけに、今回のように、個人的意思がたまたま外にもれ出してしまうときには、その意思がより一層の影響力を持ってしまうものである。天皇の意思と一般社会の意思がぜんぜん正反対に食いちがっているというならともかく、そうでなかったら、天皇の意思の方向にことは動いていくだろう。
小泉首相にとりわけショックだったろうと思うのは、天皇のほうが、小泉首相得意の「心の問題」の論理を使ってしまっていることだ。
A級戦犯合祀に賛成できないから、A級戦犯合祀後の靖国神社には参拝しない。「それが私の心だ」とはっきりいっているのである。
それに対して、小泉首相が、
「天皇の心は天皇の心だ。それに対するに私の心が正反対の方向を向いていてもそれはそれでかまわないではないか」
として、あくまで靖国参拝を貫くか、といえば、そうはならないと思う。
天皇の意思としてこれだけ明確なものが出てきた以上、国民の大多数は「A級戦犯合祀に反対」「A級戦犯がまつられている靖国神社への首相の公式参拝反対」の声が圧倒的多数派になるのは、時間の問題だと思う。
敗北感に打ちのめされた小泉首相
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最近の小泉首相の靖国問題に対する発言を追っていくと、小泉首相は今年の8月15日、堂々と靖国参拝をするつもりになっていたにちがいないと思われる。「週刊ポスト」などは、小泉首相は首相在任最後のサプライズ・パフォーマンスとして、全国から50万以上の人々を集め、首相官邸から靖国神社への道をすべて、首相の靖国参拝大歓迎の人波で埋めつくし、大群衆の拍手と歓声の中、小泉首相が粛々と靖国神社に向かって歩いていくという堂々たる参拝を計画中だなどと書いていたが、そこまでやるつもりになっていたかどうかはともかく、公式参拝だけはやるつもりになっていたと思う。
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