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(回答先: IWAKUNI迫る爆音【深層を追う】 [2]消えた夢 跡地返還要求棚上げ (中国新聞) 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 2 月 28 日 17:42:23)
http://www.chugoku-np.co.jp/iwakuni/Bakuon/Ib08022101.html
[3]「密約」の意味 NLP実施求めた国 '08/2/21
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▽沖合移設「セットだった」
元防衛官僚で評論家の太田述正(59)は一月末、自らのブログで英文のメモを公開した。仙台防衛施設局長時代の二〇〇〇年十一月、米総領事の一人に手渡したという。「岩国は滑走路沖合移設が終われば、最もNLP(夜間離着陸訓練)に適した場所になる」。そんな文言が含まれていた。
防衛施設庁首席連絡調整官として日米協議にあたった経験もある太田は当時、ある案を関係者に打診していた。米軍三沢基地(青森県三沢市)に第二の滑走路を建設し、NLPの代替施設として使いたい―。論点を整理したこのメモの中では、岩国を将来のNLPのメーン施設と位置づけるのが前提となっていた。
この年九月、米軍は岩国基地(岩国市)や三沢などで空母艦載機のNLPを強行。三沢市は米海軍との友好関係を中断すると通告し、防衛施設庁は対応に苦慮していた。こうした中、岩国基地の沖合移設をNLPの受け皿として考える雰囲気が一部にあった。艦載機部隊の移転が米軍再編で浮上する前の段階だった。
本土訓練を要求
沖合移設が動いた一九九〇年代。NLPは日米安保の最重要懸案だった。
空母出港前、艦載機が陸上の滑走路を甲板に見立て、激しい騒音を伴う「タッチ・アンド・ゴー」を繰り返す訓練が、パイロットに義務付けられる。艦載機部隊を置く厚木基地(神奈川県)などで騒音が社会問題化し、九一年から太平洋の硫黄島で暫定措置として実施していた。しかし米側は不満を示し、本土での訓練を求めていた。
そんな時代背景と沖合移設を結びつける文書がある。国が事業推進を決定する二カ月前の九二年六月十八日。防衛施設庁、広島防衛施設局、山口県、岩国市の実務担当者が、後に「密約」と指摘される合意議事録に署名した。
国からの「NLPについては、将来とも受け入れてもらえることを前提に…」との照会に対し、県、市は「将来とも受け入れざるを得ないと思料」と回答していた。
署名した、元岩国市基地対策担当部長の山本満治(70)が内幕を明かす。「防衛施設庁の担当者が何度も『NLPをやらせてほしい』と頼んできた。県も市も、きっぱり断った。ところが、大蔵省から予算をもらうためには形だけでも文書がないと、と言われてね…」
「米は岩国希望」
太田はそのころ防衛庁人事局にいて沖合移設にタッチしていなかったが、事業化の決定に「費用対効果が小さい。よく査定を通ったな」と感じていた。別の元防衛施設庁幹部も「沖合移設はNLPとセットだったと思う」とみる。地元が望む負担軽減にプラスして、予算をつけるための「大義名分」が必要―。それが国側の感覚だった。
合意議事録の存在は二〇〇一年に明らかになる。慌てた県と市は国と協議。効力はないと確認したが、「岩国でNLP」の発想がそれで消えたわけではなかった。
〇三年十一月の日米審議官級協議から議論が本格化した米軍再編。当初、米側は艦載機部隊移転だけでなく、岩国でのNLP実施も求めてきた。日本側は地元の負担が重すぎると拒み、〇六年五月の最終合意では、NLPの扱いは「〇九年七月までに場所を選定する」と棚上げした。
ただ、防衛省幹部は最終合意後も、こう漏らしていた。「岩国に持っていくつもりはない。しかし、米軍は一貫して『岩国でやりたい』と言っている」(敬称略)
【写真説明】岩国基地で実施されたNLP。沖合移設後の滑走路は訓練の受け皿としても期待されていた(2000年9月18日)
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