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Re: | 田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾...> (3)  新・木庵先生の独り言
http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/388.html
投稿者 TORA 日時 2008 年 12 月 01 日 13:27:01: CP1Vgnax47n1s
 

(回答先: Re: | 田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾...> (2)  新・木庵先生の独り言 投稿者 TORA 日時 2008 年 12 月 01 日 13:22:02)


田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#8
http://d.hatena.ne.jp/name727/20081126/1227704508

第十三章: ジャーナリストを狙う

世論形成にジャーナリストが重要な役割を果たすので、コミンテルンは著名な報道者に狙いを定めた。その結果、ウオルター・リップマンやニューヨーク・ヘラルド・トリビューンのI.F. Stone には、NKVD のスパイが頻繁に接触していた。

第十四章:結論

1938 年から 40 年間に亘って米国政府の省庁は米国内の共産主義者の活動の目的と範囲を理解しようとした。1991 年になって新しい書類が二つのチャンネルから出てくるようになった。一つは、モスクワのコミンテルンの古文書館や東ヨーロッパや中央ヨーロッパの共産党の資料であり、もうひとつは Venona が解明した資料である。これらによると、米国共産党はモスクワのコミンテルンのために大規模な組織をつくり、有効な活動をしていたことは判明する。しかも、彼らの忠誠心はモスクワに向けられていて、自国の利益を犠牲にすることを厭わなかったのである。

赤狩りのマッカシー旋風は短期間しか持たなかったが、1947 年に施行されたトルーマン大統領の行政命令9835 番は、政府の雇用者に忠誠心を要求し、また身分調査を行なうもので、それにより共産党の党員が雇用されることを防ぐもので、それは効果を発揮している。

<目良氏はスターリンの構想力や実行力において日本より数段優れていたことを述べられ、スターリンの計画通りにすべて動いていたと考えておられる。スターリンはが毛沢東を動かし、日本と蒋介石を戦わせ、次いで、日本と米国を戦わせるのに成功した。「震源地はモスクワなのだ」と結論付けられている。

ただ、ここで書かれているハリー・ホワイトの果たした役割をそのまま飲み込むことは危険であり、確かに、ホワイトは 1941 年 11月 26 日のハル・メモの本になるメモを書いたが、それがハル・メモになる経過をもう少し追ってみる必要があるだろう」と慎重な研究態度の必要性を述べられている。>

<次に井上雍雄氏の要約の要約をする。目良氏と重なる部分は割愛する。>

Venona 〜 Decoding Soviet Espionage in America 担当:井上雍雄

         John E. Haynes, Harvey Klehr共著(エール大学出版部、1999年)

 本書は John Earl Haynes & Harvey Klehr の共著で、本文だけで337ページあり、資料(付録)としてAppendix がA ~Eとして本書に名前が出てくる米国人のスパイおよび米国在住でソ連のスパイのリスト等が339〜394ページ、さらに注が395〜475ページにわたっている。

 米国で活躍したソ連のスパイがモスクワの上司と交換した電報はほぼ3000通に近い。この電報の束はメリーランド州フォート・ミードにある古文書館に極秘書類として保管されていた。ヴェノナ文書は1946年から1981年にわたり、ロシヤ語から翻訳されたものである。この文書はフォート・ミードの古文書館に保存され、誰でも閲覧できる。

  本書で日本についての記述は、次のようにきわめて少ない。(1)ソ連の暗号解読作業のヒントになったのは、日本の陸軍参謀本部とベルリンとヘルシンキのミリタリー・アタッシェとの間に取り交わされた電報解読に成功したことからだという。 (p.31)、(2)日本におけるゾルゲ事件 (p.74), (3)第二次世界大戦中のドイツ暗号を解読したこと、カリフォルニアを中心とした西海岸在住日系アメリカ人の強制収容についてFBIフーヴァー長官と職員の反対意見をルーズベルト大統領に伝えたこと (p.89)、(4)日本軍が南京攻略の後、中国内日本軍の動静をさぐるためにコミンテルンがCPUSA〔米国共産党、以下同じ〕にスパイを送り込むために日系アメリカ人を集めるよう指示したこと。

 したがって、本書では1927年に「タナカ・メモランダム」が偽装されたこと、1928年の張作霖暗殺事件、財務省次官のホワイトが戦争開始直前に日本側に手交された「ハル・ノート」の起草者であること、1937年上海事件、盧溝橋発砲事件はコミンテルンの指示によるものであるかも知れないことは何も触れられていない。

第1章「ヴェノナ文書と冷戦」

 本章の内容は第11章と重複する箇所が多いが、米国とソ連との間の冷戦について参考になる記述があり、次のようにまとめることができる。

 (1)ソ連の暗号電報解読のきっかけ

 1943年にドイツとソ連が和平交渉を開始したのではないかという噂を耳にして、スターリンを信頼していなかった米国陸軍の諜報将校がその噂の出所を確かめるために動き、米国からモスクワへ打電された内容をさぐっていくうちに、米国連邦政府の軍事、外交の省庁にソ連のスパイが入り込んでいたことがわかったのである。またヴェノナ・プロジェクトで解読された電報から、349人の市民、移民、永住権保持者が割り出され、ソ連の諜報機関とひそかな関係をもっていたことが知れることになった。

 多くの米国連邦政府高官がソ連の諜報機関とひそかに連絡をとっていたことも判明した。その高官とは、財務省のハリー・ホワイト(Harry White )、ルーズベルト大統領の私的補佐官のロークリン・カリー(Lauchlin Currie)、グレゴリ・シルヴァーマスター(Gregory Silvermaster)らである。

(2)ジェット戦闘機に関する情報

 ウイリアム・パール(William Perl)という若い、優秀な科学者がジェット・エンジンとジェット戦闘機に関する機密情報をソ連に提供し、米国に対する裏切り行為を行った。それによって、1950年6月に開始された朝鮮戦争の際、空中戦ではアメリカ空軍の方がソ連の戦闘機よりもはるかに優位に立っていたと思われていたが、ソ連のMiG-15 は米軍のプロペラ機を圧倒し、アメリカの初期ジェット戦闘機、F-86 よりもはるかに優れた飛行機を製造していたことが判明した。

(3)原子爆弾製造情報の漏洩

 原子爆弾製造のマンハッタン計画に二人の物理科学者、クラウス・フックス(Klaus Fuchs)とセオドア・ホール(Theodore Hall )が極秘情報をソ連側にもたらしたことによって、ソ連がかなり早い時期に原子爆弾製造に成功したこと(1949年)。トルーマン大統領は朝鮮戦争で米軍が劣勢にたたされたときに原子爆弾の使用を検討したが、アメリカ軍が追い詰められた時でも、ソ連の原爆による報復をおそれて最終的には使用を中止した、という。スターリンは冷戦初期に米国に対して大胆な外交政策をとることができた。すなわち、危険な賭けをすることを極度にきらう彼は、1950年の時点で原爆を手にしなかったならば、北朝鮮に武器をあたえ、韓国を攻撃する指令を北朝鮮に出したかどうか疑わしい。

 冷戦初期にソ連が原爆を保持したということは米国側に心理的に重要な影響を及ぼしたといえる。ソ連が手にすれば冷血なスターリンは意のままに諸外国の都市を破壊する能力をもつことになると当時のアメリカ人や政府の指導者は恐れた。このパーセプションは冷戦初期の外交を左右した。


田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#9
http://d.hatena.ne.jp/name727/20081126/1227704509

 第10章「産業スパイと原子爆弾製造極秘情報スパイ」

(1) 産業スパイ

 ソ連の米国における初期のスパイ活動はほとんど科学・技術情報を盗み出すことに集中し、しかも広範囲にわたっていた。 他の分野でも同様であるが、産業スパイを動員するのに社会主義というイデオロギーに共鳴させることであった。CPUSAによるスパイ集めの対象は、1920年代は米国への新移民で教育レベルの低く科学技術情報に疎いグループ、第二世代は1930年代には米国生まれで教育レベルの高く、科学技術で訓練された専門グループであった。

 また、金のためでなく、共産主義に役立つためにスパイになった人が多かった。だから他人、他国の資料を盗むスパイ行為を道徳的な悪と感じていない。特にナチス・ドイツに敗北寸前まで追い込まれた時期に加速され、企業、政府技術秘密情報がいっそう多くソ連に送り込まれた。

 1942年初期に米英ソの3国は同盟を結んだ。ナチスを破るため、ソ連は米国から援助をうけることになった。米国からソ連に機械類、武器、戦車、40万台にのぼる米国のトラックが提供された。この実行のため、数千のソ連軍人、技師などが米国製の武器について訓練を受けるために米国に入国した。

 (2)原爆機密情報入手: Julius Rosenbergを中心とする共産党員技術者のネットワーク

 Julius Rosenberg は原子爆弾スパイとして名前が知られている。彼は1930年代後半、ニューヨーク市立大学工学部学生の中心的な人物で、後日多くの同僚学生をCPUSAに入党させている。1944年および1945年にわたる解読されたKGB電報は21通にのぼるが、すべての電報がローゼンバーグに関するものである。

   原爆製造計画は英国が米国よりもはやかった。Klaus Fuchsは英国の原爆プロジェクトに参加していた科学者であり、ロシアのスパイであった。フックスは英国の原爆プロジェクトの秘密情報をGRU(ソ連陸軍諜報庁)に報告した。英国は米国が第二次世界大戦に参加すると原爆に関する資料をすべて米国に提供した。それは米国の方が早く原爆を開発する能力があると判断したためである。

 フックスは米国のマンハッタン計画を助けるための英国の科学者15名の中の一員として1943年後半に米国に到着した。まず、コロンビア大学でのマンハッタン計画のチームに合流した。1948年末にFBIがヴェノナ文書を英国諜報庁に手交、フックスは逮捕された。そして、彼はスパイ活動を白状し、有罪となった(14年禁固の判決を受け9年の後1959年釈放され、東ドイツの原子力研究所の所長となっている)。

 フックスが白状したこととヴェノナ文書が符号した。

 フックスがロス・アラモスへ移動したことにより、彼がソ連に渡す秘密情報に接する範囲が拡大した。

 フックスがロス・アラモスで入手した情報はモスクワのKGBは大きな関心をもち、その情報はただちに原子爆弾製造計画に従事していた科学者に渡され、理解できないことはフックスならびにマンハッタン計画に参与しているほかのスパイに質問するようにとの指示を与えている。英国で逮捕された後、フックスが告白したことによって、米国にいた Harry Gold の逮捕につながり、それにより他のソ連のスパイが割り出されることになった。

 

 第11章、Soviet Espionage and American History (ソ連のスパイ活動と米国近代史)

 第二次世界大戦の米国諜報機関である戦略局 には (The Office of Strategic Services ) 職員として15人から20人のソ連スパイが活躍していた。さらに4つの戦時体制部局には少なくとも6人のスパイがそれぞれの部局に紛れ込んでいたことも判明している。

 戦争前からあった省庁も例外ではなかった。たとえば国務省には少なくても6人おり、この中で高官としてアルジャー・ヒス (Alger Hiss) とローレンス・ダガン (Laurence Duggan)がおり、十年にわたり、ソ連の諜報機関に奉仕している。財務省には有名なハリー・ホワイト (Harry D. White) という人物が次官として存在していたおかげでスパイたちにとってはとても働きやすい環境にあったと言える。ソ連スパイは質量ともすごいものがあった。その中にはルーズベルト大統領の私的補佐官であったロークリン・カリー (Lauchlin Currie) がいた。さらに米国連邦政府内の中堅幹部には12人以上のスパイないし同調者が配置されていた。

 このようにヴェノナから政府内にソ連のスパイが多く入り込んではいたとう事実はわかったが、彼らがどの程度アメリカの国益にとって害となったかは断言できない。つまり、スパイからモスクワにもたらされた情報がソ連にとってどの程度有益であったのか現在のところ明確ではない。しかしこのような状況の中ではっきりしていることは、原子爆弾製造に関する極秘情報がソ連にもたらされ、それによってソ連はあまり時間と費用をかけずに原子爆弾製造に成功したことである。これにより第二次世界大戦終了後に展開された核開発競争により冷戦状態が長期にわたり、継続したといえる。

 では、いったい米国の共産党員はなぜソ連のためにスパイ活動をするようになったのだろうか。スパイたちはソ連の共産主義にあこがれ、ソ連のために役立てることが光栄であるとの意識をもっていた。2007年12月に公開されたFBIフーヴァー長官の12、000人にのぼる反アメリカ活動容疑者の逮捕に関する驚愕的な記事(付録2)は、いかに多くのアメリカ人がスパイ活動に従事していたか物語っている。

 第二次世界大戦後の冷戦開始後、解読されたヴェノナ資料は悪夢のようなものだった。ヴェノナ資料で明らかにされたアメリカ人の半数以上の実名がソ連の諜報活動に協力した人物であったからだ。この人たちを調査すれば、同僚同士に不信感をかもし出すことになり、相互信頼感がくずれる恐れがあり、簡単には調査できなかった。トルーマン大統領が共産党員の国家破壊活動やスパイに対しは強硬路線をとるという決定を下したが、この問題を市民に公表しないことにした。しかし、1995年になってヴェノナ資料が公開されることになって、初めてアメリカ人は自分自身の歴史を省みる機会がでてきたのである。1950年代に起こったマッカーシー上院議員の赤狩り旋風は、米国の国益という観点からすると、まさに正しかったと言えよう。

  解読されたヴェノナ文書、資料公開法によって過去十数年にわたり収集されたFBI資料の公開、ソ連の崩壊により入手可能となったロシアの古文書館資料、ソ連スパイの米国国会での証言、起訴されたスパイの告白などから、1942年から1945年の間にソ連は米国に対して積極的にスパイ活動を実行したことは明白である。ルーズベルト大統領下の米国がソ連に対して宥和策をとっていた時期にあたっていたため、スパイ活動が簡単に出来たと考えられる。このスパイ活動は戦後の冷戦にも大きな影響を与えている。

 本書の目次は次のとおりである。

Introduction: The Road to Venona (1-8)  ヴェノナとは

Chapter 1: Venona and the Cold War (9-22) ヴェノナ文書と冷戦

Chapter 2: Breaking the Code (23-56) 暗号の解読作業

Chapter 3: The American Communist Party Underground (57-92) 米国共産党の地下活動

Chapter 4: The Golos-Bentley Network (93-115) ゴロスー-ベントリー・ネットワーク

Chapter 5: Friends in High Places (116-163) 米国政府高官のなかにいたソ連のスパイ

Chapter 6: Military Espionage (164-190) 軍関係のスパイ活動

Chapter 7: Spies in the U.S. Government (191-207) その他米国連邦政府内のスパイ

Chapter 8: Fellowcountrymen (208-249)  米国共産党

Chapter 9: Hunting Stalin’s Enemies on American Soil (250-286) スターリンの敵、トロッキストの捜査と暗殺計画

Chapter 10: Industrial and Atomic Espionage (287-330) 産業スパイと原子爆弾製造機密情報スパイ

Chapter 11: Soviet Espionage and American History (331-337) ソ連のスパイ活動とアメリカ史


田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#10 

http://d.hatena.ne.jp/name727/20081126/1227704510 

   APPENDIX A Source Venona: Americans and U.S. Residents who had Covert Relationships with Soviet Intelligence Agencies (339-370)/APPENDIX B Americans and U.S. Residents who had Covert Relationships with Soviet Intelligence Agencies but were not identified in the Venona Cables (371-382)/APPENDIX C Foreigners Temporarily in the United States who had Covert Relationships with Soviet Intelligence Agencies (383-386)/APPENDIX D Americans and U.S. Residents Targeted as Potential Sources b Soviet Intelligence Agencies (387-390)/APPENDIX E Biographical Sketches of Leading KGB Officers Involved in Soviet Espionage in the United States  (391-394) Notes (395-475), Index (477-487)

 

付録

(2)The December 23rd Issue of The Bakersfield Californian

  この地方新聞の2007年12月23日号に、「FBIのフーバー長官は朝鮮戦争開始の12日後の1950年7月7日にホワイト・ハウスに書簡を送り、1万2千人のアメリカ人を国家に対する反逆の罪により逮捕する計画をトルーマン大統領に伝えた。その理由は、国家に対する反逆罪、スパイ活動、サボタージュが予想されるからである。このうち、97%がアメリカ市民である。」という記事が掲載された。この記事内容は明らかに、ソ連のスパイ活動に関係した人たちを指していると思われる。これは、ヴェノナ文書に述べられていることとまさしく符号する。


中西輝政氏が著書『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』の中で、「1940〜41年あたりに、日本との関係で非常に重要なものがあるのではないか、と推測し、日米開戦に向かう経緯にソ連の工作が果たした影響がまだ十分に解明されていない。」と述べている。残念ながら、本書にはそのような記録はない。また、中国で日本が大規模な戦闘を繰り広げるにいたったのはコミンテルンの謀略であるという説についても言及がない。

 本書を読む前に4つの疑問があった。1)米国連邦政府を中心にどうして多くのスパイが入り込むことができたのか。2)米国側がソ連のスパイ活動にほとんど無関心で、スパイがかなり自由に秘密情報を入手し、モスクワに流すことができたのか。3)スパイたちは危険をおかしてまでもソ連のために活躍した理由や動機について。4)アメリカを中心とする日本占領軍の中に共産主義を信奉している人たちがかなりいた。彼たちがどのように初期占領政策に関与し、そのことによって、現在の日本人にどのような影響をあたえたか。それぞれの疑問に対して、一応次の結論が引き出せた。

1)1919年にスターリンがコミンテルンを設立し、世界に共産革命を起こさせるという遠大な計画の一環として世界主要国家に工作員を派遣した。米国社会を混乱させて共産化させることはソ連にとって最も望ましいと考え、多数の工作員を送り込んだ。

2) 1920年代以降米国政府は国内の共産党の活動にほとんど関心をもっていなかったようである。1922年の経済大恐慌から脱するために、ルーズベルト政権はニューディール政策をたてた。この政策はいわば計画経済で、共産主義にちかい考え方であり、米国はソ連にたいし親近感をもっていた〔仮説〕。移民の国、米国でソ連から多くのロシア人が来ることを特に制限しなかった。また、第一次世界大戦後のドイツの台頭、そしてドイツと手を結ぶイタリア、日本を警戒していた英国、ソ連がいた。いずれ日本との戦争は避けられないとする米国は英国、ソ連と協力して時局に当たらなければならないことなどからソ連人の米国での動きに注意を払わなかったからである〔仮説〕。

3) 共産主義はまことにすばらしい、ソ連が夢の国を建設することに協力するのは当然ではないかと思っている。だから自分の身になにが起ころうと、ソ連のために身を捧げることに一種の正義感ともいえる考えがあった。また、共産革命がソ連でおこってからまだ20年しか経過せず、ソ連が一人前と国家として成立できるかどうか、助けたい気持ちが強かったようである。

4)米国を中心とする日本占領軍が当初日本共産党を支持、労働運動を奨励したことなどから判断して、占領軍の若手には共産主義に共鳴する人がかなりいたのではないか。つまり、革命理論をもっている人たちは、戦前の日本の伝統、歴史をなくし、日本人の社会生活、精神生活に混乱をおこさせ、革命を起こさせるという戦略をもっていたと考えられるとしたら、米国で活躍しソ連の共産主義に同調した人たちがわれわれ日本人にもかなりの影響をおよぼしたといえるだろう。 

<井上氏と同様、木庵も思うのだが、当時のアメリカだけでなく、世界的な趨勢として、ソ連のスパイが活躍できる雰囲気があった。1918年にソビエトで世界最初の共産主義革命が起き、地震波 のように世界に広がり、世界の知識人に大きな衝撃をあたえた。共産主義は今考えるほどの有害思想と捉える人は稀で、人類を救ってくれると考えた人が多かった。たとえ木庵の大学時代(戦後)でも、共産主義は若き学生を虜にしていた。革命後のコミンテルンの活動は陰謀などという大げさなものではなくて、ごく日常的に各国のスパイ活動として入っていたのではないか。尾崎秀実などは、普通のジャーナリストの感覚で、情報をゾルゲに提供していたようなところがある(?)。それは日本を裏切るというより、日本をよくするためと思い込んでいた。ゾルゲと処刑されるに及んでも、日本を良き方向に行かすため尾崎は犠牲になったと思っていた。少なくとも、戦後左翼が扱った尾崎秀実像はそのようになっている。井上氏が書いている4つの疑問は興味のある視点であり、それに対する彼の仮説を含めての答えも興味がある。そして、ヴェノナ資料を見る限り「日米開戦に向かう経緯にソ連の工作が果たした影響への記録がない」、「中国で日本が大規模な戦闘を繰り広げるにいたったのはコミンテルンの謀略であるという説についても言及がない」と、冷厳にヴェノナ資料をみておられる。目良氏の見解、「ソ連は、米国内のスパイを使って、第二次大戦の時、米国と日本を争わせるのに成功した。」とは違う。井上、目良氏は違う本を読まれているので、それぞれの著者のヴェノナの解釈が違うのだろう。また、二つの本が扱った資料は異なっていたのであろうか。

何はともあれ、同じ会に属していながら、少しではあるが見解が違うのに、逆にこの会が公正で、資料重視の実証的な研究をする会であると推測する。

  私はヴェノナの資料そのものを友達が送ってきてくれたのを見たことがあるが、スパイのニックネーム、それに、金の支払いに関して何か食べ物の個数にして表していたと思う。1個が1000ドル(?)だったかな。オリジナルはロシア語であるが、それを英文に訳されたものである。タイプは昔のもので、少し鮮明さに欠けていた。衝撃的な内容だけでなく、実物のヴェノナの資料を見て、驚愕したことを覚えている。

  ヴェノナ資料についてはこれぐらいにして、朝日新聞、田母神批判の本論に戻る。田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#5をもう一度開いてもらいたい。「世の中には荒唐無稽な主張が展開する「トンデモ本」があふれている。私は、トンデモ本を研究する「と学会」会員として、数多くのトンデモ本を読んできたが、田母神論文にはトンデモ陰謀論の典型的なパターンが表れているように感じる。」と唐沢は田母神を批判し始めた。思いだしてもらえたであろうか。

つづく


 

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