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Re: | 田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾...> (2)  新・木庵先生の独り言
http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/387.html
投稿者 TORA 日時 2008 年 12 月 01 日 13:22:02: GZSz.C7aK2zXo
 

(回答先: | 田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾...> (1)  新・木庵先生の独り言 投稿者 TORA 日時 2008 年 12 月 01 日 13:16:55)

田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#5 

http://d.hatena.ne.jp/name727/20081121/1227235101

<次に唐沢俊一の記事へと移る。北岡と同じように私はこの人間を知らないので、ウイッキペジアを参照する。>

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

唐沢 俊一(からさわ しゅんいち、1958年5月22日 - )は、日本のカルト物件評論家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。朝日新聞書評委員。北海道札幌市出身。札幌光星高等学校、青山学院大学文学部卒業。東北薬科大学薬学部中退。

サブカルチャー、カルトとされる文化や物件について幅広い関心を持つ。書籍・映像・音楽・雑貨など昭和期における事物を今日的視点からB級文化として紹介する事をライフワークとしている。また、オタク文化の評論家として、各種メディアでのコメンテーターや、日本オタク大賞といったイベントの審査員を務めている。

人物・来歴

と学会の発起人の一人で運営委員。

自称雑学王であり、フジテレビ『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』のスーパーバイザー。「トリビアの泉」の元ネタとなったのが唐沢の著作『トンデモ一行知識の世界』である。「世界一受けたい授業」(日本テレビ)の講師としても参加している。ラジオでは、「ブジオ!」(TBSラジオ)の金曜日パーソナリティを経て、冠番組「唐沢俊一のポケット」(TBSラジオ)のパーソナリティを務めていた。

漫画家の唐沢なをきは弟。妻は、同じく漫画家のソルボンヌK子(鹿野景子)。なをき・K子とは、いくつかの共著、もしくはイラストを任せた著書を出している。一時期(主に1990年代前半)はなをきと兄弟で著作する際に唐沢商会名義を用いていた。母方の伯父には、タレントの小野栄一がおり、小野が経営していた芸能プロダクションの経営を、引き継いでいたこともある。

小学生の頃から、雑誌の端に掲載させる「一行知識」が好きであり、トリビア愛好はその時以来の趣味だという。中学時代には星新一などのSF小説を好んで読み、友人とガリ版で同人誌を制作。

高校時代に『宇宙戦艦ヤマト』と出合い、札幌のファンサークルでヤマト再放送の嘆願書を送る活動などを行う。その際、サークルに角川書店の営業マンとして角川歴彦が訪れ、唐沢らヤマトファンが残した伝言板を出版しようと計画したという逸話がある。その後も、ヤマトのプロデューサーである西崎義展を呼ぶなど、ファン活動を続ける。

大学生の時、海外アニメを観て感動し、アニメーター・なみきたかしが代表を務めるアニメ研究会「アニドウ」に入会、アニメ研究などを始める。同時期、本格的に名画座や古書店に通い出す。1980年12月に載った投稿から始まった、雑誌『ぴあ』投書欄の怪獣映画や『機動戦士ガンダム』についての論争の中心人物となり、論争は最終的に手塚治虫や富野由悠季などのアニメ関係者に意見を求める事態にまで発展し、1981年8月まで続く。

1982年、大日本図書に入社するも1989年に退社[要出典]。

20代の期間に、本人曰くの「挫折」を味わい、薬局を経営していた実家の家業の関係もあってか東北薬科大学へ再入学する(のち中退)。また「札幌への都落ち」も体験したという。

その充電期間を経て、1990年に、薬についてのノンフィクション『ようこそ、カラサワ薬局へ』で単行本デビュー。1992年に創設された「と学会」がブームを起こしたことも追い風となり[1]、以降、多数の著書、共著を発表。国内・海外、現在・過去問わず、B級文化全般を幅広く抑える、著作活動を行うようになる。

自宅の書斎には2万冊以上の本を所有しており、月に読む本の数は50冊以上だという。 古本マニアであり、自身を含めた古本マニアの特殊な生態や、レアな古本の内容などを、面白おかしく書いた『古本マニア雑学ノート』シリーズは、唐沢の代表作の一つとなり、近年の若い世代の「古本ブーム」に大きな影響を与えた。 一般にB級と呼ばれる資本ホラー漫画の復刻活動も、妻と共同で多数行っており、出版社から復刻を断られたものは、自費出版で復刻を続けている。

美食家として知られる。料理も得意であり、妻のK子が料理嫌いであることから、唐沢家では俊一が常に料理を行っている。

盗作問題

幻冬舎からの著作『新・UFO入門』の中の文章の一部が、インターネット上のあるブログ[6]からの無断転載ではないかとの疑惑が持ち上がった。ブログ主宰者から指摘されると、唐沢は自身のサイト上において、確かに参考にしており、当該ブログより多くのものを得たことを明示していなかったことは手落ちであると詫びたが、悪意や盗用の意思はなかったとも主張した。[7]。

後にブログ主宰者との交渉は唐沢から幻冬舎の法律担当に引き継がれたが正式な和解には至らず、唐沢は当該ブログの「内容とほぼ同一の文章を無断で掲載してしまった」との謝罪文をサイトに掲載したうえで[8]、『新・UFO入門』の二刷において該当ブログより無断で掲載していた旨を記して刊行した。ただし、後者に関してブログ主宰者には一切の連絡がなかったという。

『新・UFO入門』においては他にも、新戸雅章の文章[9]が無断で改竄のうえ使用されているのではないかと新戸本人などより指摘されている[10]

<唐沢俊一なる人物、人間的に面白そうである。知的好奇心というより雑学に好奇心があるという。ロスでは「トリビアの泉」というテレビ番組が2年ほど前に流れ、私もよく観た。結構面白かった。オタク文化評論家、「世界一受けたい授業」などテレビ映像文化、それも娯楽部門をリードする人間なのだろう。それはそれでよい。「朝日新聞書評委員」というのが気になる。朝日と深い結びつきがあるのだろう。唐沢、この人間、どうも確信犯のようである。最初の記事から衝撃的で、読者を唐沢マジックに陥れようとしている。>

「世の中には荒唐無稽な主張が展開する「トンデモ本」があふれている。私は、トンデモ本を研究する「と学会」会員として、数多くのトンデモ本を読んできたが、田母神論文にはトンデモ陰謀論の典型的なパターンが表れているように感じる。」


田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#6

http://d.hatena.ne.jp/name727/20081121/1227235015

<唐沢がトレビアの泉で取り扱ったと同列に唐沢田母神論文をまず扱う。私に言わせれば唐沢の書き方こそがトンデモ本の典型的なパターンではないのか。まず攻撃しようとするものに対して大上段にイメージダウンの情報を流す。つまり、唐沢は自分はトンデモ本を数知れず読んできたが田母神論文はまさしくトンデモ本だとイメージ攻撃をおこなっているのである。次にその理由として、一応論拠をもってきている。その論拠を伺いましょう。

「『日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行した』『張作霖爆破事件はコミンテルンの仕業』『盧溝橋事件の仕掛け人は中国共産党』といった、都合のいい俗説を検証もせずに取り出し、整合性も考えずにつぎはぎにしている。自説の正当性を証明するプロセスをすっ飛ばす。一次資料を参照せず、『だれだれの本に書いてある』という二次資料の引用しかない。空幕長であれば、一次情報にアクセスすることもできたはずだが、そうした形跡もまったくない。これはすべてトンデモ陰謀論者の特徴だ。」

  < 「日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾を決行した」ということについて検証する。そこでerasus氏というここ1年ほど私とブログ上での良き論争相手の文章を引用する。それが下であるが、これが田母神の論文の原文かどうか不明である。erasus氏はこの原文(?)をもとに、私と全く違う論を展開なされているのであるが、私は私の論を展開する。>http://blogs.yahoo.co.jp/eraser1eraser/57409192.html(erasus氏のこの記事のアドレス)

「さて日本が支那大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し 3百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成 18年 5月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは 1940年から 1948年までの 8年間これをモニターしていた。当時ソ連は 1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である 1943年から解読作業を開始した。そしてなんと 37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の 1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し 1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば 1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には 3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機 100機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から支那大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。」

<上の記述の中のヴェノナファイルについてもっと詳しく論及した記事があるので、それを紹介する。日本再生研究会SCというグループがロサンジェルスにある。その主催である目良浩一氏とメンバーの井上雍雄氏のヴェノナファイルについての要約がある。その要約の要約を木庵がする。二人は原文(英語)(第一次資料)をきめ細かく読まれ、それを要約なされている。この二人の全文翻訳を期待したいところだが、どうなのだろう。実現できるのか出来ないのかよく分からない。日本の読者には、福井助教授の紹介文以上の情報を与えることになると思い、両人の了解のもとここに記載する。回り道のようになるが、読者の方、ここで、ヴェノナファイに頭を切り替えてもらいたい。結果的に田母神論文、唐沢批判文と関連があるので。>

     http://blogs.yahoo.co.jp/japanrebirth/3778968.html

      (日本再生研究会のブログアドレス)

ハーバート・ローマースタインとエリック・ブラインデル著

Herbert Romerstein and Eric Brendel

ベノナの秘密:ソ連のスパイ行動とアメリカの反逆者を暴く

The Venona Secrets: Exposing Soviet Espionage and America’s Traitors

リージェンシー出版社、2000年

要約者: 目良浩一

この本は、ソ連政府の在米スパイとの交信をもとに、ソ連共産党のアメリカにおけるスパイ活動について述べているが、目良氏は、日本国に関係する事項を中心として要約しておられる。

ローマースタインは1983年からは、米国情報局のソ連虚偽情報対策局の長として勤務し、1989年に引退した。ブラインデルと協力のもと、以前のソ連のスパイの暗号通信が、Venona によって解読され、その内容が発表されてきた1995年ごろからこの本を作成した。

目次

序章

1.ベノナ(Venona)とはなにか

2.「政策スパイ(Agent of Influence)」が歴史を作る

3.組織をつくること

4.ウィタカー・チェインバーのスパイ集団

5.エリザベス・ベントリーのスパイ集団

6.原子力スパイ

7.原子力スパイ:ローゼンバーグ事件

8.原子力スパイ:カリフォルニアの段階

9.目標はOSSだ

10.北極猫を追い詰める

11.ジャック・ソーブルとロバート・ソーブレンの集団

12.北極猫とねずみ:異端者とユダヤ人をスパイする

13.ジャーナリストを狙う

14.結論

付録A:文献

付録B:スパイ

注釈

文献リスト

序章

Venona の解読でかなりの資料が得られたが、1989年のソ連邦の崩壊後、Yeltsin 大統領がロシアにある資料への閲覧を制限するまでに、欧米の学者がコミンテルンの膨大な資料を閲覧し、相互にその情報を交換して知識を広げた。これらの資料とVenona の資料から明らかになったことは、主に二つの点であった。

1. ソ連は米国内のスパイ(学者)の情報にのもとに、早い時期に原子爆弾を製造することが出来た。

2. ソ連は、米国内のスパイを使って、第二次大戦の時、米国と日本を争わせるのに成功した。

* この段階で日本再生研究会のブログにアクセスしたところ、目良氏のオリジナルの要約が掲載されていた。読者の方、オリジナルの方を読まれることを勧める。勿論私の要約の要約より、詳しく書かれている。


田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)#7

http://d.hatena.ne.jp/name727/20081121/1227235016

第一章:Venona とは何か

Venona とはソ連の国際諜報本部と西側諸国内のそのスパイとの暗号による交信を解読する米国政府の活動であった。1940 年から 1948 年までの交信が対象とされた。ソ連側は、一度しか使わない乱数表でもって暗号を使っていたので、解読が困難であったが、乱数表の数が不足して、同じものを再使用するようになって、解読が可能になってきた。1944 年の通信は49%が解読されたが、1943 年のものは15%、1942 年のものは2%しか解読できていない。

第二章:「政策スパイ」が歴史を作る

世界的な経済学者のハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White)(1892 年生まれ)が、実は「政策スパイ」であった。彼はルーズベルトの New Deal に参加している。ホワイトは、1935 年から 1938年の間にも、ソ連の諜報機関に情報を与えてきた。

1941 年の初頭、スターリンは、ある時期に資本主義国が一緒になって、ソ連を攻撃するだろうと考えた。その包囲陣に切れ目を入れるための戦術として、日本の軍隊の注意を米国に向ける策を考えた。当時日本はソ連の極東地域に進出する可能性があった。在日本スパイ、ゾルゲは、日本は米国を攻撃するかもしれないが、日米の協調もありうるので、そうなると日本はソ連を攻撃するであろうと伝えた。ゾルゲは 1941 年 10 月逮捕されたが、その一ヶ月前に「日本はアメリカとイギリスを攻撃する。ソ連への危険はなくなった」とソ連の本部に報告した。その少し前に、1941 年5月、ソ連の本部はハリー・ホワイトを政策スパイとして起用した。これは雪作戦(Operation Snow)といわれ、ソ連がアメリカの外交政策に影響を与えるための重大なスパイ活動であった。

ホワイトは必要があればソ連政府が日本を陥れるために作った田中義一首相の作とされる「田中メモ」を示す用意があることも知っていた。ホワイトに直接指示を与えたのはパブロフというロシア人で、ホワイトに米国の外交政策に多大な影響を与えるよう指令した。特に以下の二点を強調した。?日本は侵略から手を引き、中国と満州から軍隊を引き上げること、?日本は大多数の兵器を米国に売却すること。これらの指令はメモとして証拠を残すことを避けるために、記憶するように指示されている。ソ連のスパイは、日本がアメリカと戦闘状態に入らなければ、ソ連と戦争することになることを認識していた。スターリンがもっとも恐れたのは、ドイツと戦闘状態にあるのに、日本と戦争をすることであった。ホワイトはモーゲンソウ長官に上の二点をアメリカの重大政策決定として提出した。長官は、そのことを、ルーズベルト大統領とコーデル・ハル国務長官に提出した。ハル長官はホワイトの意向を、1941 年 11 月 26日の日本への最後通牒盛り込んだ。その結果が日本海軍の真珠湾攻撃につながり。雪作戦が成功したことになる。

ホワイトは戦後のモーゲンソウ計画にも関与している。モーゲンソウ計画とは、1944 年 8 月 7 日にイギリス南部で米軍司令官アイゼンハワーとモーゲンソウが戦後ドイツの占領政策について協議し、ドイツが戦後早く回復しないように、ドイツを小さな州に分け、工業生産を中止し、小規模農業経済にするべきだと主張であり、それは採用された。

11945 年4月のサンフランシスコの国際連合会議には、アメリカ代表の公式顧問として参加している、後に、IMF の米国代表理事の役を果たし。その間、彼は秘密情報をソ連に伝えていた。

Harry Dexter White は、共産主義への支持のために、報酬を期待などしなかった。ただソ連の共産党のために献身的に貢献した。1948 年に彼は下院の非米活動委員会に召喚されたが、共産主義者であることも、秘密情報をソ連に提供したことも否定した。しかし、Venona の情報によれば、彼は第二次大戦中、一貫してソ連の諜報機関に情報を提供し続けていたのである。彼は非米活動委員会で証言しで間もなく、New Hampshire の自宅で心臓麻痺で倒れ、死亡した。1948 年 8 月16日 であった。

第三章:組織を作ること

ハリー・デクスター・ホワイトのような人が自国の利益を犠牲にしても、Communist International (Comintern) に奉仕しようとする人が多数いた。

コミンテルン (Comintern) は 1920 年に設立され、ソ連のために必要な機密情報の収集を開始した。コミンテルンは、他の国の共産党を認めるに当たって、21の厳しい条件をつけた。共産党員は、自国の軍隊を支援するのではなく、ソ連の軍隊を支援することもそのひとつである。そして、アメリカの共産党もその例外ではなかったのである。

第四章:チェインバーのスパイ集団

戦後間もない頃に発表されたソ連の諜報活動は主に、ウィッタk−・チェインバーとエリザベス・ベントリーからの情報によるものであった。Venona の書類はそれが事実であったことを示している。

第六章から第八章: 原子力スパイ

トルーマン大統領は、1945 年の4月に大統領職について間もなく、原始爆弾のことについて知らされた。しかし、スターリンは、1941 年にこのことは知っていた。またスターリンは、二人のスパイから、テストの結果を知らされていた

この二人とは、Klaus Fuchs と Theodore Hall であることが、Venona の書類から確認できる。前者は原爆チームに参加した英国チームの一員であり、後者はLos Alamos で雇われた20歳未満の雇用人であった。

ルーズベルトがニューヨーク州の知事であった当時、生活保護局の担当をしていたハリー・ホプキンスと知り合い、友人としてまた顧問として彼と近い関係になった。ホプキンスは 1943 年に大量のウラニウムをソ連に送ろうとしたことがある。その時、彼がソ連のスパイであることを、誰も知らなかった。ホプキンスはルーズベルトのアドバイザーとして、戦後もソ連に有利な情報をスターリンに送っている、その一つが、「米国はポーランドがソ連に友好的な国になることを望んでおり、事実ソ連に接する国はすべてソ連に友好的な国になるのが良い」と言う情報をスターリンに送り。その結果として、東ヨーロッパには、ソ連の傀儡政権が出現したのである。

ローゼンバーグ夫妻の原子爆弾スパイ事件はよく知られている。Venona の書類は、彼らがスパイであったことを証明している。ローゼンバーグの機密情報の伝達によって、ソ連の原爆開発が数年早まり、そのために、1949 年 8月 29日 にソ連は原爆の実験をすることが出来、それが自信となって、北朝鮮に 1950 年 5 月には南朝鮮に侵入することを指示し、6月25日に攻撃が開始されたとしている。

原爆プロジェクトの指揮をした二人の科学者の一人であるオッペンハイマーは、Venona の書類には現れないが、資料から、オッペンハイマーは、 1942 年にフエルミがシカゴで行なった核反応の情報をソ連に提供したとされている。


 

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コメント
 
1. 2016年12月15日 17:06:00 : QenDwtWLIQ : _sjLFUHDXn8[3]
第2次世界大戦〜終戦までの4ヶ月

本筋1:ヤルタ会談とルーズヴェルトの死去

担当:林梅雪
http://www.uraken.net/rekishi/syusen05.html(一部抜粋)


・・これに加え、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは、ソ連の指導者スターリンにソ連の対日参戦を要請。これに対し老獪なスターリンは、大きな紛争を抱えていない日本と戦うことは国益にかなわず、国民を納得させることができないと主張し、対日参戦に大義名分を与えるには、南樺太の返還と千島列島の獲得が不可欠だとルーズベルトに詰め寄ります。

 アメリカ軍の犠牲を最小限に止めたいと考えていたルーズベルトは、スターリンの要求を即座に承認。こうしてスターリンは、ドイツの降伏後3ヶ月以内に、ソ連が対日参戦するという密約を英米と交わしたのでした。これらをヤルタ協定と言います。・・

(以下略)


__________

江戸っ子かわら版 ”封印される真実”

ニュースや事件の本質に迫ります・・・ニュースの裏に隠された真実とは?

ヒラリー氏は 911追悼式で体調不良で退席したのは『仮病』? [国際情勢]
http://kagefumi811.blog.so-net.ne.jp/2016-09-12-4(序文引用)


ヒラリー氏・・・本名はヒラリー・ローゼンバーグ・クリントン・・・即ち、隠れユダヤ人です。

(以下略)


__________

Maimaikaburi

水曜日, 2月 22, 2006

ロスチャイルドとロックフェラー〜特別編〜
http://maimaikaburi.blogspot.jp/2006/02/blog-post_114059822559370051.html
(抜粋)

>フランクリン・ルーズベルト:祖先はオランダからやってきたユダヤ人。
 セオドア・ルーズベルト:フランクリンの叔父なので当然祖先はユダヤ人。


>ヒラリー・クリントン:オランダ系のユダヤ人と言われる。ファミリーネームはローゼンバーグ、ルーズベルトと同じ一族かもしれない。今は整形した上にブロンドに染めているが元々は黒髪である。黒髪の純粋な白人はいません。


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