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(回答先: 吉原靖子さん・・・ 男は胸の部分が隠れる程度の大きさの段ボール箱を持っていた。 【毎日新聞】 投稿者 hou 日時 2008 年 11 月 24 日 06:45:07)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081123-00000035-maip-soci
元次官宅襲撃 実家捨て転職重ね…小泉容疑者、流転の軌跡
11月23日23時42分配信 毎日新聞
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警視庁への移送のため麹町署を出る小泉毅容疑者=東京都千代田区で2008年11月23日午前4時3分、内藤絵美撮影
「元事務次官を殺した」と小泉毅容疑者(46)が警視庁に出頭した5時間ほど前の22日午後4時半ごろ、山口県柳井市の実家に電話があった。
「おやじ、おれ」
「毅か。元気にやっちょるか」
「手紙を送った。明日の正午ごろ着くはずだから読んでくれ」
「よし、分かった」
それだけの会話だったが、10年も音信が途絶えていた長男の声を久しぶりに聞き、父(77)はうれしくなった。「嫁でもつかまえたか。やったな」。手紙を待ち遠しく思いながら床に就いた。
しかし、ほどなくテレビを見ていた妻に起こされる。元厚生事務次官宅連続襲撃事件の急展開を知らせるニュース番組で、長男の名前が繰り返し読まれていた。「まさか」と思いつつ、長男宅に電話した。「お客様の都合でおつなぎできません」と自動音声が流れるだけだった。
■
小泉容疑者は1962年1月、柳井市で駄菓子屋を営む両親の間に生まれた。三つ下の妹と4人家族。父には幼いころ手がかかった記憶はない。地元の高校に進み、佐賀大理工学部電子工学科に現役で合格した。
しかし、入学後、歯車が狂い始める。留年を重ねた末に退学。大学に呼び出された時、父は息子を責めなかった。「アルバイトに精を出し過ぎたのか」と思い、「人生は長いからしっかりやれ」とだけ伝えた。
上京した小泉容疑者は、コンピューターソフトの開発会社に入社する。父は「前途洋々だ」と喜んだが、2、3年で退社。その後は別のソフト会社を転々とし、横浜で宅配便のアルバイトをしたこともあった。このころから実家との連絡は間遠になっていく。
駄菓子屋をたたみ、食品の卸売業を細々と営んでいた父は、広島市の食品卸会社での仕事を勧め、小泉容疑者も従った。1年後の電話では「おやじの後を継ぐため、今は小郡町(現山口市)で修業している」と言った。
3年ほどたった98年夏ごろ、実家に顔を出した小泉容疑者は「埼玉に行く」と告げた。インターネットでコンピューター関連の仕事を見つけたと言った。父の商売の売り上げは年間二、三千万円、利益は15%程度。「おれが継いでも共倒れになる」。淡々と話した小泉容疑者は30分ほどで出て行ったという。
それから10年。両親は息子の声を聞けなかった。電話はいつも留守番設定されていた。「元気にやっちょるか」と伝言を残し、地元の大島みかんを送ってやるとメッセージを吹き込んだこともある。母は何度か手紙も書いた。だが、一度も返事はなかった。
■
<今回の決起は年金テロではない! 34年前、保健所に家族を殺された仇(あだ)討ちである! (略)最初から逃げる気はないので、今から自首する>
22日夜、テレビ局のホームページに小泉容疑者の書き込みがあった。2時間後、小泉容疑者は警視庁に出頭した。「ペットを保健所に処分されたから」。動機についてそう供述した。
父が覚えているのは、自宅で飼った「シロ」のことだ。小泉容疑者が拾ってきて小学2、3年まで育てた白い雑種犬。寿命で死んだ時、泣く息子を慰め「運命なんじゃから」と一緒に木を1本植え、墓を作った。
もう1匹。「保健所」について尋ねる記者に、父は記憶の糸を手繰った。「小学生のころだったか、野良犬を餌付けしてかわいがっていた。人に激しくほえるので保健所に電話して連れていってもらった」。そして戸惑うように聞き返した。「息子はそんなことを覚えているんですか」
父にあてた息子の手紙は23日夜、届いた。父は記者に「中身は言えない」と言った。【三木陽介、内田久光】