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思い違いをされているようですね。
http://www.asyura2.com/08/idletalk34/msg/841.html
投稿者 考察者K 日時 2009 年 1 月 02 日 19:19:51: JjkI8nWTpj0po
 

(回答先: 不公平容認のすすめ 投稿者 smac 日時 2009 年 1 月 02 日 14:39:07)

>smacさん どうもです。

まあ、Kの書き方に問題もあり、誤字脱字などの要因もあり、推敲不十分で書きなぐったので、その面での誤解もあるのでしょうが、どうも誤解されている部分があるようですが、ご意見には感謝しています。m(__)m

>【現在の段階では「自分の出来る仕事」を「適材適所」で「みんなの共通作業(=社会貢献)の自分の持ち分」と位置付け、その「おてんま」を「公平分担」の中で、「縮小」していく事を実践して、その作業の参加者は「誰でも、最低限の文化的生活を営める」という社会を模索していくのが妥当です。】

は、かなり注意深く書いたのですが、簡単に言えば、みんなで公平に「同一時間を社会の貢献として拠出しようよ、する仕事は、自分の出来る範囲で、得意なことなら、何でも良いからさ」というような意味です。

これを、よく考えてもらうと良いのでしょうが
>【また言葉では「総貢献量の公平な分担」と簡単に言えてしまいますが、】以下のかなりの部分の説明は、すでに行われているのが理解できると考えます。

仮に、理解できないとするのなら【「労働」を規定するときに「賃金労働」しか考慮していない…】との認識の勘違いに由来します。
実は「逆」なのです。
Kが主張しているのは「従来社会では賃金労働とされていない労働もすべて含めて、総貢献量と思っています。」もっと言えば「現在の市場原理の賃金労働に含まれない労働の方に重点を置いています。」

「独居老人の訪問話し相手」という労働
「食事の炊き出しという労働」
「子供をあやすという労働」というようなイメージですが

例えば「田舎の方ではお葬式が発生したら、その段階で、最低限の必要労働力が決まります。」
後は、適材適所で、集まったみんなが、それぞれの役割を果たせば、葬儀は無事に終了するわけですが、誰も報酬を求めているわけではありません。

【それは「富を共有する集団=社会」をどのように規定するかという基本的な考察が浅いこと】

ここは、当面は日本という国です。規定が曖昧に感じるのなら「Kが国家主義を嫌いな事」と「それは、利益追求組織という意味ではない共生集団」とのKの思いからです。

もちろん、机上の空論なのですが、「公務」と「私事」を意識しています。
「自分の楽しみ・趣味」に費やせる時間は「私事」ですが、自分の利益追求のための「仕事の時間」も「私事」です。

簡単に言うと、日本の全国民が「最低限の文化的生活を営むのに必要な最低労働量」は、国民年金の基礎年金部分で、すべての労働可能者の「公務員としての無報酬賃金労働として設定します。」

算出は、総人口分の洗濯業務+総人口分の調理業務+総人口分のゴミの処理業務・・・というような感じですが、この基礎部分が確立して、その先に「営利業務で働いた分が積み上がるのですが、この部分が、その人の娯楽等を生み出せる対価報酬労働になる。」ということです。

【Kさんは「社会」を「日本国」や「日本国民」と規定されますが、私はもっと多様な規定があっても良いのでは…と思うのです。 たとえば「家族」や「ご近所」、「趣味のサークル」でも良いし「企業」などの営利組織も、一種の「社会」だと言えますよね。】

Kの考えは「日本国憲法の、すべての国民は最低限の文化的生活を営む権利がある。」という思想に基づいて構築され、また、日本国民の一員であるKの影響力が及ぶ範囲の最大値においても「日本国に止まるもの」であり、地域単位では「サービスの上乗せ等の施策は自由」としても、「最低限の規定は国が責任を負い、国が動いてこそ実行可能」と考えています。
その中で、家族間の「社会貢献の参加調整」などは認めるとしても、この部分は「おてんま(無料奉仕活動)」と考えているので、他の規定は厳しいと思っています。

>【当面の到達点が「日本において、新しいルール作りを実践し、成功の見本を示す」ことだと言うのなら、トヨタやキャノンが「当面は我が社において、利益拡大の戦略(派遣切りなど)を実践し、成功の見本を示すことが到達目標だ」と言うのも正当ということになってしまいます。】

生存権確保のための「社会貢献(=セーフティネット構築)」と、組織・企業ににおける利潤追求(富の獲得)は、次元が違うでしょうが、目標に対する達成状況というような意味なら、同じような部分もあるでしょう。

Kは企業に対して「雇用の提供」という社会貢献性を求めていますが、それよりも優先するべきと思うのは「倒産しないこと」です。

多分ですが、トヨタ・キャノンが例に出されたのは、内部留保と雇用切りの関係でしょうが、企業としては「不況の嵐が収まるまで内部留保を大切にするのは先見の明もある施策」と考えています。
労働者サイドとすると、生産調整が続く中、自分の労働時間を削り、賃金の低下と引き換えにしてでも「仲間の雇用を守ろうとする(自分の労働時間を分け合う気はある)のか?」というような部分まで含めての資質が問われていると思うのですが、自己保身の中で、自らは安全地帯にいようとしながら、企業だけを非難しても、労働運動の瓦解を招くだけではないかとも思っています。

これでは
【労働者は資本家を「不労所得で贅沢三昧する『不公平』だ」と非難します。】
というような非難も説得力を持ちません。

現実的に、企業を非難して、結果として倒産されたら、労働者だけではなく、地域自治体、下請け企業に、日本経済(株式市場など)と、社会全体への悪影響は計り知れない規模に広がる可能性があるのです。

【健康で体力自慢の人と病弱な人では、こなせる仕事の量に差があります。なら前者は後者より多く分配されることが「公平」なのでしょうか? 男性と女性でも、あるいは大人と子供、老人との間にも貢献量の差はありますよね。それらを一々厳密に差別評価して、分配することが「公平」なのでしょうか?】

利益を追求する視点からだと、このような効率性とか能力・能率といった部分からの「公平論」は成立するでしょうが、「おてんま(=無償奉仕活動)」の場合には、「公平な時間を、社会のために提供し、その分は公平に自分の自由時間を失う」という考えの下に「公平」と考えています。
すべての人に公平なものは「生まれたら、死を迎えること」と「一日の時間は誰でも24時間」ということです。
つまり、仕事の効率という成果から考えるのではなく、「失われる時間」を考えているのです。
そして、自分の出来ることを、適材適所で提供するのです。

理解は進みましたでしょうか?
無論、個人の考え方が違うのですから、同意できる出来ないは良いのですが、文意が伝われば幸いと思っています。

 

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