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今の中学生を見ていると、将来働いて生きていけるのだろうか と思わずにはおれない人々が増えている。
漢字が読めたいとか、分数ができない というお勉強のことではなく、人としての基本がまるでできていないからだ。
朝の挨拶ができない、宿題や持ち物をきちんと持ってこれない、朝の会から前を向いてすわって、たとえ5分でも先生の話を静かにきけない、他の人がやっていることにまったく合わせられない、ルールを守る という概念がまるでない、まわりが何をやろうと関係なく、自分のやりたいことだけをやる。例えば 授業中突然ごみを捨てに 話をしている教師の前を堂々と横切り、ごみを捨てていく。反発とか、わざと困らせようとしているのではなく、ただ今自分が捨てたいから捨てる ただ、ごみが汚いから、もっていたくないから捨てにいくだけ。(まあ、ごみばこにいれるだけいい、と言われればそれまでかな)
これは自分中心とか、目立ちたいとか、先生への反発とかの次元ではなく、団体で生活する、という人間社会でいきていく基本がまるでできていないというおそるべき状況を意味している。
こういう子供は例外ではない。確かにまだ少数ではあるが、確実に増えていて、へたをするとクラスの4分の1はそういう子供というクラスだってあるのだ。
増加しているひきこもりとか、集団のクラスに入れず、情緒とか名のつく特別なクラスに入る子供もそうだ。
世間では、そういうこどもに同情的だが、私に言わせると、まじめゆえ、または身体的に障害がありいじめられて集団に入れない というのケースは本当にまれで、大多数は集団生活ができない 自分勝手でわがままな子供たちなのだ。きまった時間に起きれない、ご飯を食べない、ゲームなどに夢中で夜中中起きている、という基本的な生活ができていないこどもが大半なのだ。
毎日眠いので勉強に集中できない。だから学力も伸びないし、だからといって、体育がすきというわけでもなく、何をしても無気力なのだ。
で、教師の対応は 不登校にだけはなってほしくないから そういうクラスにはソファーがあったり、コンピューターが常時あり、普通クラスの子供たちには禁止されているのに 休み時間にはやり放題なのだ。ネットとかやらせてあげないと学校にこなくなる、とか言うことをきかない、などの理由から。
こういうこどもたちは、将来責任を持った社会人になれるのでしょうかね。
私が経営者なら雇いたくありません。まあ、低賃金のいつでもやめさせられる仕事しか与えないでしょうね。
今の労働問題は、本当に企業が冷たいだけの問題なのでしょうか。
労働者は本当にみなまじめで普通に働けるのでしょうか。
実は 責任感があり、社会生活を送れる若者を社会が育てていないのではないのでしょうか。派遣労働問題の一端には、こういう労働者の質の低下というのもあるのでは。
この問題は、はっきり言わせてもらえば、社会がこどもの教育に責任を持っていないのです。こんなにおかしくなっている若者の問題をただひたすら学校内に押し込め、見てみぬふりをしているのです。そして実際厳しい社会に出た彼らが直面するのは、義務教育の頃とは180度違う、路上で死んでもしりません という冷たい社会なのです。
人の優しささえ どう受けたらいいかわからない、自分のことしか考えず、好き勝手に生きてこれた15年間をもうどうすることもできないのです。
人に支えられ、自分も支えるとか、思いやりと持つことにより、逆にやさしくされるとか、友情とか、そういう人間関係を彼らは知らないのです。
私は学校で よくここまで人の神経逆なですることを言うな という生徒を見て、勉強もできず、何も特技もない子で さらに愛嬌(かわいらしさといか、人に好かれる愛らしさとか)もないとなると、本当にどうやって世の中生きていくんだろう と心のそこから心配になりますね。
私は今の日本は小学校や中学校で社会の厳しさを教えず、とにかくどんどん卒業させ、後は、ちゃんと稼げなくても知らん顔、というたいへん冷たい社会のような気がします。授業を邪魔しようが、教師に暴言を吐こうが、何も指導もなく、意欲がない、何も課題を提出しない、ノートひとつとっていない、前を向いて授業をきくこともない、などの理由で通知表に1でもつけようなら、校長から、宿題などを提出させられなかった教師に責任がある、とか言って、なるべく1をつけないように指導される。
そう、全部教師の指導力不足とされるのです。
学校はいまやサービス業で、親はお客様と思って対応してください、だって。
馬鹿か、と思いますね。
こういう甘やかされた教育を受けて、損をするのは教師ではなく生徒本人ですよね。
不登校の生徒が多ければ 学校の指導力不足とされる、親が学校に文句を言って来るのをなるべくさけたい管理職や管理職をめざす教師たち。
私は、このような集団生活ができない生徒は、例えば私の住んでいた豪州の学校のように、教師に2度逆らったら、教室を出し別室で勉強、その後反省しない場合は親をよび、さらに改善しない場合には、親と生徒本人にカウンセリングを受けてもらう、というような厳しい対応が必要だ。(実際カウンセリングを拒否すると、大半の保護者がもらっている児童手当てが打ち切られるなどの罰則があるため、大半は受ける)。
こういう生徒をうむ背景には99%家庭問題があり、福祉関係の人に入ってきてもらわないと学校だけでは改善できないのだ。
カウンセリングには、親をただ注意するというよりも、親の悩みを聞き、家庭問題をあぶりだし、問題点を確認し、親自身の悩みを解決する方向にもっていくのだ。
貧困、家庭内暴力、失業、借金、薬、親業の放棄など、家庭のかかえる問題に対し、専門の窓口やカウンセラーを紹介する。そこまでやるのだ。やらなければそのこどもは決してきちんと集団に入って落ち着いて勉強なんてできないからだ。
日本も 集団より個人の人権なんていう、西洋社会のまねしていくのなら、ここまでやってほしいです。