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(回答先: 横レス失礼します。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2008 年 12 月 23 日 12:52:26)
ワヤクチャさん、こんにちは、レスをありがとうございます。
>現象の外に立つとはいかなる事なのでしょうか?
>現象を対象化(=意識化)した時に既に意識は現象からは距離を置いているように私には思えます。
>自分の思考過程を対象化する事を通じて自己の意識をも含めて現象総体を整合性を持って語る事が真理を追求するという事だと思っております。
“現象の外に立つ”とは空間的なフェイズと時限的なフェイズを有し、両方に共通するのはその“構造化”にあります。地球の外に立つことは地球で起こっている現象を空間的に構造化して捉えるための視座であり、1000年先の時点に立つことは地球の現在を時間的に構造化して捉えるための視座を表象し、それはまた自身の思考過程を対象化していくプロセスを反映することにもなります。
ところで、楽曲 “In the Year 2525(1969)” は日さんの“納得論”から導かれた60年代末の回想に伴って脳裡に去来したものです。日さんの“納得論”には“In the Year 2525”に描写されているような或る諦観(=覚り)が背景にあると想っています。それ故、まさに“聖戦”とも謂うべき究極の闘いに挑もうとされている日さんにとっては、真理の追求は最早取り組むべきテーマではなくなっているのでしょう。
Auf Wiedersehen.