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(回答先: 現場を見てください。 投稿者 東京音頭 日時 2008 年 7 月 11 日 23:08:34)
東京音頭さん、こんにちは。
>mei さん、教育現場を知っていますか。
>地方によっては、国旗を毎朝掲揚し、終業式、始業式など式典では君が代をうたっていますけど、生徒は愛国者にも、天皇万歳にも、なっていませんよ。国のために死ぬって、別のいい方をすれば、自分以外のために命をささげることで、個人主義の対極ですよね。そんな風に絶対なってないですよ。個人主義一直線ですから、ご心配なく。
私も初等教育の現状(現場)を具に知ってるわけでありませんので、表層に顕現するものについては東京音頭さんが捉えられていることをそのまま肯定せざるを得ません。けれども、所謂英国流の個人主義が日本の家庭に浸透しているとは謂い難く、それは容易に新たな全体主義に転化しかねない危うさを秘めていると考えています。
>戦前の人々の行動は、君が代を歌うとか、教育勅語を学校で強制的に暗記させられたから起こったものではなくて、そういうことを受け入れる社会があったのだと思いますよ。公共心とか、滅私奉公とか、ね。そんなものもうないじゃない。そんな現代の社会で君が代歌わせて、国旗掲揚しても、愛国心も、滅私奉公の気持ちも?権威に従う気持ちもうまれませんよ。 現場を見てると、冗談も休み休み言って と思います。
今のところ生徒達の反応は東京音頭さんが語られているその通りだろうと想います。しかし、問題は国旗掲揚や国歌斉唱をさせる側の状況が変化していることではないでしょうか。もし、東京音頭さんが教頭職や(生活指導)主任職であったのならば、それを切実に感じられるのではないかと推察します。最近の事例でも、東京都教育委員会によって「校長は職員会議での教職員の挙手・採決を求める必要がない」との都立三鷹高校校長にたいする通知がなされたように、教育委員会(文科省)による校長のロボット化が推進されつつあります。
>教育は君が代強制のためにあるのではありません。でも、教師は そんな歌ったからって何も変わらないものに それに反対するためにあんなにエネルギーを使うのは、洗脳されているとしか思えません。
教育が国旗掲揚や国歌斉唱のためにあるのではないことは勿論のことですが、しかし、少なくともそれ等が政府にとって教育を“管理”していくための旗印になっていることは明らかでありましょう。だからこそ、教職員組合の側も国旗掲揚反対や国歌斉唱反対を旗印にして“管理”の動きに対抗しようとしているというのが事の真相です。それは、教育の“管理”が直ちに国民を戦争に駆り立てるものではなくとも、戦前のような国家による“統制”にまで発展することを危惧しているからに外なりません。
Auf Wiedersehen.