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(回答先: 別に難しい話じゃない。 投稿者 Ddog 日時 2008 年 7 月 09 日 21:20:52)
日本人が海外で信用されるという事は日本国籍が信用されているという事だと思います。それと日本民族という様な概念は区別する必要があります。日本人の国民性とか言う場合はこの中間的な意味もあるとは思いますが。所で海外で日本人が受けている高い評価の内容は日本人固有のものなのか?という点が問題です。普遍的に人類全体にあるいい面が日本人に比較的多く見受けられるぐらいの意味だと思われます。日本人には普遍的な倫理観が比較的備わっているという事でしょう。従って普遍的倫理観がどれだけ備わっているかが問題なのであって日本なるものがどれだけ個人に備わっているかが問題なのではないのです。海外で通用するのは普遍性の方なのです。あえてアイデンティティを普遍的アイデンティティと個別的アイデンティティに分けたなら普遍的アイデンティティの方が重要なのです。しかし、このような普遍的アイデンティティの意味でアイデンティティが語られる事はどのぐらいあるのでしょうか?私には少ないと感じられます。だから個別的アイデンティティの意味でそのようなアイデンディディは必要ないと申し上げたのです。自分が何者であるかよりも世界の普遍的倫理観へと自らを導く事の方が必要な事なのです。個別的アイデンティティに囚われた人々は排他的になり殺し合いも始めると考えています。秋葉原の無差別殺人事件も「自分はこういう人間であるハズだ。」という自己認識が現実によって無残にも崩壊してしまった事の怒りによって引き起こされたものだと考えます。そのような自分に対する幻想を持たされるような精神環境こそが問題だと思っています。「貴方は本当はできる人間のハズだ。今の貴方は貴方ではない。」などと言ってはならないのです。私も父からこういう事を言われた為に自暴自棄に陥った事があります。存在価値なき人間と判定されたようなものだったからです。プライドやアイデンティティ依存がいかに危険なものであるかをご理解いただきたいです。ほとんどの人が私も含めていくばくかのアイデンティティ依存という精神病に侵されていると思います。