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(回答先: 少し、人間研究をしたくなったので、従来の方向性は「休み」にいたします。 投稿者 考察者K 日時 2008 年 5 月 24 日 15:04:59)
私も、仕事がハードでここ数年とても投稿遊びが出来る環境ではありませんでした。一昨年異動があり、仕事も落ち着き多少余裕が出来たのでブログを立ち上げたのが2月。TORA氏のようにバックアップ目的もあり、阿修羅へ舞い戻ってしまいました。戻ってみれば考察者K殿が指摘するように、「いっちゃってる系」の人が増えたかもしれません。読むに耐えない馬鹿野郎も多くて、いちいちいちゃもんをつけまわったら限がありません。
現在私の仕事は、お客様からの質問やら疑問クレームまで様々なお客様の対応を業務にしています。自分もけして人のことを批判できるほどの言語能力を持ち合わせていないが、日常業務で「日本人の言語能力、論理展開能力、理解力がこのレベルでしかないのか!」と毎日感じています。勤務先が上場企業の管理職であっても、資格試験が難しい職業の方でも言語能力、論理展開能力、理解力も信じられないほど酷い方がいる。またその多くが、自己を中心とした世界に住んではいるが、他人の世界には無関心を決め込んでいます。阿修羅の投稿者も似たりよったりかもしれません。
自分の身になっているかどうかはわかりませんが、私は毎朝日経新聞を読み、月15〜20冊は読書をして、経済雑誌+NewsWeekにネットを閲覧し、経済関係のレポートを読み自分でも本音ベースをブログに書いています。TVは最近見ることが少なくなりました。仕事をこなし、家族と会話して、たまには飲みに行ったりして社会との接点はけして少なくはありません。しかし、すべてのジャンルに精通することは到底できません。
ネットが発達すると、TVや新聞の大手マスコミが衰退した為、社会におけるそれぞれの社会的位置・環境により、その個人が、接する情報と他人が持つ情報の共通性が著しく希薄になりだしているような気がします。昔は大衆レベルの共通価値観なるものが存在したが、現在では著しく希薄なものとしてわずかに存在しているように思います。ネットの発達は、それぞれが持つ情報の深度が深くなった分だけ、広く浅い部分での結びつきにくくなり、結びつく範囲が狭くなる傾向にあると思う。また、ネットの発達は、情報を受け入れる方が、情報を発信する情報量を凌駕してしまい、現代人のコミュニュケーション能力のバランスを崩しているように思えます。
人間とは、生物学的実態の存在ではあるが、しかし、この世には物理的実体とも生物的実体とも異なる「社会的な実体」が存在している。言語や法や貨幣の他人との共通価値観がなければ、生物学的人間であっても、社会学的には人間となりえないのです。
そういった意味において、現代は「人間」を「社会的人間」として活動するには危機であると思います。阿修羅もその縮図にすぎません。インターネットの発達が逆に人とのコミュニュケーション能力を奪っているのではないかというこの仮説は、当然阿修羅でも成立すると思います。
だいたい、阿修羅ごとき引退だの絶筆だの休みだの宣言するほどの掲示板ではない。気にするだけ、阿修羅板への愛情があるのだと思いますが、冷静に思えば、別に愛情を注ぐ対象でもない。ただ、自分が通過した場所にすぎないかもしれません。諸行無常です。
自分の場合、復帰すると、投稿するのが楽しいので、ついつい投稿してしまいますが、誰からもお帰りなさいとは言われていません。勝手に板に存在しているにすぎません。(運営危機の時数次振込みをしたことはあるので、株式会社であれば小口の株主かもしれません)誰にも頼まれてない。私の場合もかえって、疎まれているでしょう。論理的に反論できない奴らからは、「去れ!」とか「阿修羅にふさわしくない」とか本論で無い部分で、口撃されます。でもそういった書き込みを確認すると、「ああ、是奴は、俺に敗北宣言をしたな」と思います。なんらバーチャルな板では、まったく実害はありません。
私も多忙を極めた時には、4年ほど投稿しませんでした。阿修羅板のことなど頭の片隅にさえ全く無かった。また忙しい部署へ異動となれば、ある日突然消えて無くなるでしょう。でもまた何時でも復帰することも可能でしょう。自分がどう阿修羅との接点を持つかの心の持ちようだけです。また、馬鹿野郎!と思えばまた投稿すればいいだけです。