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人は何のために生きるのか。
私は、人を幸せにし、また自分が幸せになるためではないかと思う。
サラリーマンが会社で働くのはなぜか。
家で待つ家族のため、また、会社での仕事を通して誰かに幸せになってもらいたいからだと思う。
「主婦」は何のために生きるのか。
夫や子供の幸せのためだ。
もちろん、自分の幸せのために生きることもよい。
いわゆる「隠居」の場合、自分の幸せのためだけに生きるということもあってもよいと思う。
人は、自分の行動によって家族や他人が幸せになることに喜びを感じる。
他人を幸せにすることで自分も幸せになれるのだ。
幸せにはいろんな形がある。人によって、何をもって幸せと感じるかは異なるのだ。
だからこそ、人は家族や仕事やご近所のコミュニティを通して、相手に応じたオーダーメイドの幸せを他人に与えるというわけではないだろうか。
では、市民活動家の使命とは何だろうか。
社会規模で真の幸せとは何であるのか、どうやったら実現可能なのかを考え、実現をはかっていくことではないだろうか。
しかし、各々の市民活動家が自分の価値基準だけで行動しようとすれば、人に応じた幸せということの実現が困難になる。そうなれば、真の幸せの実現と言いつつ、その市民活動家にとっては幸せでも他者にとっては幸せでないという、偽の幸せの社会が作り上げられてしまうことになる。
だからこそ、市民活動家には人一倍、意見の差異・多様性の存在を認め、他者と議論することでよりよい意見へと昇華させていこうとする態度が求められる。
よりよく生きたい。
そのために、私は正規の仕事以外に市民活動家の顔を持ちたいと思ったのではないかと、今更ながらに思う。