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(回答先: 色即是空、空即是色 ケッタイな世の中を生きる自分たち 投稿者 まとおせ 日時 2008 年 3 月 18 日 07:19:02)
まとおせさん、こんにちは、横レスにて失礼します。
>ギリシャ神話のなか、神は、シジフォスに大きな岩を山の頂上に運び、そしてそれをまたふもとに下ろす、それを繰り返す罰をあたえた。
>このシジフォスの労働は、有益さもなければ、無益、虚しさもない。
>人の生きる、ケッタイな世界の象徴的なすがただ、と書いときます。
>しかし、岩を上げることに、下げることに集中する姿に、神々しい人間の姿を見る。
その上で、最早“罰をあたえる神さえもいない”のが、まさしくニーチェが到達した境地(=諦念)ではないでしょうか。そして、たとえ行く先が定まらず不安定な状態におかれたとしても、人はそこから再スタートして[仮説−検証]のプロセス(=投企)を重ねていく外には人生を打開する方途がないように想われますし、案外その過程の中で我々は生きる意味を見出し得るのかも知れません。と同時に、そこに神や力と謂った観念や想念を脱却せる存在、すなわち“超人”の物語が生成する契機があるのではないか、そんな妄想が脳裡を掠めます。
Auf Wiedersehen.