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(回答先: 考えてみると、小泉前総理こそ「悪の癌」だった。 二世議員に既得権の否定権はない。 投稿者 考察者K 日時 2008 年 1 月 31 日 07:03:45)
考察者Kさん、こんにちは。
私の拙論に何度かレスをいただきありがとうございます。また、某所での考察者Kさんのご発言に共鳴しまして、この掲示板の存在を知るに至った経緯がございます。示唆に富んだ「持論」で世相を解説しているのに好感を抱いております。(笑)
さて、既得権から外れるお話で恐縮しますが、一点だけ疑問に思ったことがあり、ご質問にお答えいただける範囲で結構ですので、よろしくお願いします。
>生命の維持において「弱肉強食」は摂理であるので、人間社会において「共生社会」が継続できなくなっているのなら「最終局面では、結局、弱肉強食に至る」だろう。
しかし、これは「人間の知恵(文化)」が「自然の前に敗れ去った」という敗北宣言であるという面もある方向性であろう。
Kとすると「人は支え合っているので人という文字になった」という「人間文化」の放棄の方向は間違いだと考えたい。
お話の内容は、適者生存、優勝劣敗の社会ダーウィニズム思想の核になる部分だと存じます。結論から先に述べますと、「弱肉強食」は生命の維持における摂理というよりは、ある支配者が多数を支配するために自然界を表面上で捉えただけの一つの考え方だと思っています。なぜなら、動物の活動は一概に「弱肉強食」で片づけられるほど単純ではないですし、気象条件や個体数のバランスに左右されるからです。例えば、数が増えすぎた草食動物は肉食動物の餌になりますが、肉食動物は、生存の維持のために草食動物を食べるだけであって、特に肉食動物が優れているので生き残ったというわけではありませんね。
この現象を人為社会に当てはめたのが、社会ダーウィニズムの思想なのですが、思いつくところでは、優生思想や人種差別に繋がるような系統を秘めており、排他性の強いものだと捉えております。だから、「弱肉強食」の世界とは、人為世界がもたらしたものであり、理性をもった人間が他者を支配するために考え出された思想だと思います。だって、動物の世界では、ある限度をこえた破壊や殺戮による淘汰現象は起こり得ないわけですし、ただ、人間界だけで眺めますと、過去の歴史が証明しますように限度を超えた「欲動」の発動によって世界の破壊まで突き進む可能性があると申せましょう。