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(回答先: 弱肉強食 投稿者 kanon 日時 2008 年 1 月 31 日 17:22:57)
>kanonさん こんばんは
実は「ご意見の真意を計りかねています。」
>【一点だけ疑問に思ったことがあり、ご質問にお答えいただける範囲で結構ですので、よろしくお願いします。】
との事ですから、質問ではあるのでしょうが、Kのどのような回答を期待しているのか?
が、良く分かりませんので、頓珍漢な回答になる可能性があります。
「弱肉強食」についてですが、Kは自然界は「生存競争の世界」だろうと思っています。
「たった一つの卵子に億の精子が受精を競う」
生命は生まれる段階から競争の世界です。
肉食獣に襲われる草食獣も「弱い物を見捨てて、仲間を見殺しにしながら、自らは生き残る」という部分があります。
それでも、子供を守ろうとして「抵抗する親」もいますが、基本的には「群れの仲間全体で、肉食獣を排除しようとするのはマレ」でしょう。
ライオンの「子殺し」というのを知っているでしょうか?
ライオンは一匹の雄に、雌が複数が集団になって群れをなします。
一夫多妻制ということですが、群れの長ともいえる雄が、他の雄に負けて、群れのリーダーが変わる事があります。
その時に「前の雄の子供はすべて殺される」そうです。
これが「子殺し」ですが、イルカでも同様な事があるようです。
「自分の子孫を残す」という事においても「弱者は子孫を残せない」のが、自然の摂理ではないでしょうか?
もっとも、強さという定義は「単に力の強弱」ではなく、「狡賢さ」とか「容姿の整い方」というような部分でも「優劣を競い合う」という場合もあります。
クジャクの場合ですと「広げた羽が綺麗」というような「優劣」によって子孫の繁栄が出来るか?が決定します。
多分ですが、人間の「知恵」だけが、単なる弱肉強食ではない「文化」を形成する事が出来るのではないでしょうか?
>【結論から先に述べますと、「弱肉強食」は生命の維持における摂理というよりは、ある支配者が多数を支配するために自然界を表面上で捉えただけの一つの考え方だと思っています。なぜなら、動物の活動は一概に「弱肉強食」で片づけられるほど単純ではないですし、気象条件や個体数のバランスに左右されるからです。】
人間だけが「食べきれない捕食行動を行います。」
餓鬼道に陥るのは「人間だけ」であり、これも「知恵」によって「蓄え」を考えられるからです。
確かに【一概に「弱肉強食」で片づけられるほど単純ではない】という部分も見受けられますが、これは「本能」による「抑制」があるからでもあるでしょう。
自然の作り上げた「プログラム」には神秘が満ちていますが、基本的には「本能」というプログラムに従っているだけで、「単純には見えないだけで、プログラムが解明されれば、摂理というルールに従っている」ような気がします。
いずれにしても、自然界では【適者生存、優勝劣敗】であるのではないでしょうか?
しかし、人間は
【優生思想や人種差別に繋がるような系統を秘めており、排他性の強いもの】になってはいけないと思っています。
ただし、これは「K個人の意見」であり、人によっては「シンプルに自然の弱肉強食が分かり易い」という意見もあるだろうとも思います。
進化して「人間」が生まれたのですから、「人間が、この先に進む事」も「何かに求められている」のでしょう。ここも、プログラムなのかもしれませんが、人間は「考える葦」という役割を持っているのですから、「自然の摂理を突き破って、新たな地平に達しなければならない」というような気がしています。