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Kanonです。
下記の投稿からの自己レスです。
自立の捉え方
http://www.asyura2.com/08/idletalk29/msg/113.html
投稿者 kanon 日時 2008 年 1 月 13 日 10:33:16: FUgy0.1v81/ao
>ベーシック・インカムの前提となる個人の自立を考えた場合、「自立」をどう捉えていくかもポイントになってくるかと思います。分かりやすくいえば、今、日本でいわれている「自立した個人」は自己決定できる人間のことを指していますが、私たちが、日頃、身近な友人たちに「自立した」といった場合、それは、一人前に稼げるようになったことを指しています。だから、ネオリベなどが想定している「自立した個人」とベーシック・インカムで求められる「自立」との違いも意識していかなければならないかと思っています
2006年12月号の現代思想の特集が「自立を強いられる社会」でした。その中にベーシック・インカムを紹介した論文を目に致しました。私が、紹介する論文は『分類の拒否』(堅田香緒美+山森亮)という論文で、ここでは、「自立支援ではなくベーシック・インカムを」との副題がつけられています。
まず、冒頭の終わりの部分で『ある種の依存形態は問題化されず、特定の依存の形態だけが、自立へ向けて支援されなければならない』(P86)と問題提起しています。
前産業時代の依存は、従属関係として機能しているのでスティグマを伴わない。つまり、階級制社会では、従属関係は自明なものとして日常的な状態であり、非難の対象としての意味はなかった。だから、ここで「労働する」ということは、自立というよりも経済的な依存状態であり、産業資本主義でいう労働=自立という図式はあてはまりません。ここから、筆者は、特定の依存状態を導き出してくるのですが、依存を賃労働からはみ出された人々であるとして見いだした。ここでのポイントは、前産業時代においては、「就労が必ずしも自立ではない」ということでしょう。
では、現在、日本で行われている就労の自立とはどのようなものなのか?
本論では、生活保護制度の「自立支援プラグラム」を取り上げ、所得保障よりも、自立支援(就労できるようにスキルを身につけたり、就労自立に向けて努力すること)に力点を置き、労働と所得の結びつきを強化する方向になっていると指摘し、一方でベーシック・インカムでは、労働と所得の結びつきを切断する働きがあるとしています。
『これに対して、BIは、働いている/働いていない(労働実体)、働ける/働けない(労働能力)、働きたい/働きたくない(労働意欲)といった、労働をめぐる差異を一切問わない。』(P95)
さて、ここから私たちが学ぶことはといいますと、労働することが自立の絶対条件ではなく、社会的な文脈の中で「労働=自立」が編成されてきたということでしょう。生活を自らの手で支えていくには、働くことは自明のことですが、私たちが生きていること自体に労働を伴ったものといった視座もあり得ましょう。ベーシック・インカムがすべての人に無条件で基本所得を保証するという時、既存の社会配分に対する再編を迫るものであり、問い直しの試金石のひとつになればと思います。