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幻の『満洲』を突き崩したのは為替相場だったという話
2008/11/25
去る14・15日にワシントンで金融サミットが開催された。日本の大手メディアは盛んに麻生太郎首相の得意げな笑顔を映し出し、曰く「歴史的成果」と語るその大本営発表を繰り返し報じた。
しかし、賢明なるこのコラムの読者の方々は既にお察し頂いているとおり、この「金融サミット」において、米国由来のリスク商品に基づく損失額が実に1000兆円以上に上っており、もはや誰も手を打つことは出来なくなっているという点こそが露呈してしまったことは明らかなのである。確かにその意味では「歴史的成果」なのであろうが、仮に麻生首相が今回、こうした問題の抜本的解決に向けた方向性が見えてきたなどというつもりだったのであれば、全くの見当違いとしかいえないだろう。
もっとも、私の研究所としては、そもそも今回の金融サミットが中身のない、単なる「集合写真の機会(photo opportunity)」にとどまるであろうとあらかじめ考えていたので、その限りにおいて全くの“想定内”な展開であったというべきなのかもしれない。しかし、本当の問題はその後一体何がこれから生じるかであろう。
この点、私の研究所はオバマ新政権が何を差し置いても就任早々、やらなければならないことがあると考えている。それは国家としての破産宣言、すなわち「デフォルト宣言」である。既にそうした見方は、さしもの米系経済メディアも徐々に現地では伝え始めているので、漏れ聞いている読者の方々は多いことであろう。そしてそのことを前提として考えた場合、次に問題となるのが、この「デフォルト宣言」が日本経済に与える影響と、そこからの脱出策なのである。
先般、このコラムでも書いたとおり、この脱出策を考える際に一つの有力な手がかりとなると睨み、現在、私の研究所が考察を深めているのが現在の中国東北部、すなわちかつての「満洲」という巨大なプロジェクトなのである。なぜそうなのかといえば、1927年から始まる昭和恐慌、そして1929年以降押し寄せてきた世界大恐慌の荒波から、当時の日本経済が立ち直ることができたのは、高橋是清による積極財政(インフレ財政)の裏側で、そこで蓄えられた有り余る経済力のはけ口として、1931年の満州事変以降、「満洲」なる傀儡帝国を植民地として日本が確保し、これを相手に独占的なディールを展開できたからだったのである。
このことは当時の文献を紐解くといずれの本でも関連記述を見つけられるのだが、不思議なことに現在、日本史の教科書にはほとんど記されていないのだ。しかも、不思議なのはそれだけではない。そのようにして鳴り物入りに始まった「満洲」というプロジェクトが最終的になぜ、立ち行かなくなったのかということの背景に、実は為替マーケットでの日中間における大攻防戦があったということも同じく教科書には全く記されていないのである。
「東アジアの諸国に対する“侵略”は誤りだった」――このような教科書的な説明の是非をここで云々したいというわけではない。そういったことはとりあえず、最近、物議を醸している元航空自衛隊最高幹部にでもまずは任せておけば良いであろう。そうではなく、私がここで言いたいのは「歴史そのもの」を戦後に生きる私たち日本人は、埋もれた史料の中から探し出し、それを虚心坦懐に見つめるべきだということなのである。しかも、その際、最も有効なのが、「売った」「買った」「儲かった」「損した」ということが如実に分かる金融セクターに刻まれ続けてきた史実なのである。
その観点から、「満洲」にまつわり、大変興味深い史実を最近、学ぶことができた。それは、幻に終わった「満洲」というプロジェクトをめぐる為替相場の真実である(安富歩『「満州国」の金融』創文社・参照)。
1931年に起こした満州事変の際、関東軍(日本軍)が真っ先に占領し、接収したのは、現地で中国勢が展開していた金融ネットワークであった。このこと自体、余り知られていない史実であろうが、とにもかくにも関東軍の軍人たちは、「金融を制する者こそ、世界を制する」という金融資本主義における“常識”をよく心得ていたようだ。
しかし、そのことは対する相手、すなわち中国勢もまたよく心得ていたようだ。日本は満州事変の3ヵ月後にあたる1931年12月13日に金本位制を離脱する。そして上海事変が勃発したことなどが重なり、1米ドルあたり49.375円という公定レートを大きく割り込み、一時は20ドルを割る程度にまで至ったのである。
だが、こうなる背景には日本勢がそれまで長年にわたり、中国北部と上海を結ぶ中心的なマーケットとして育ててきた大連マーケットにおける中国勢による売り崩しがあったのである。「大連商人」と呼ばれていた彼らは、その時、日本円を売って、売って、売りまくったのだという。
もちろん、相対する日本勢も負けてはいない。様々に圧力を講じる中、ついには「関東州・満鉄附属地為替管理令」の実施に踏み切ったのである(1933年10月)。これにより、さすがの大連商人たちも活動を停止せざるを得なくなったのだという。
だが、「歴史の皮肉」とは正にこの後の展開である。――商売上がったりとなった大連商人たちは、糊口を拭うべく、天津の祖界地へと一斉に移動してしまったのである。その結果、手塩にかけて創り上げてきた大連の為替マーケットはすっかり没落し、逆に日本勢の手が届かない天津をベースに中国勢たちは、盛んに日本勢の対中国通貨政策を妨害し始めたのだ。
「貨幣を制するものは、やがて世界を制する」
その12年後、結局、日本勢が幻の「満洲」どころか、大陸における全てを失うことになったのは読者の方々もご存知のとおりなのである。
こうした論点も含め、今後、激動が想定される“マーケットとそれを取り巻く国内外情勢”と、その背景にありながら私たち=日本の個人投資家が知ることのなかった歴史上の“真実”について、私は、11月29・30日に横浜、さいたま、東京で、そして12月6・7日に大阪、名古屋でそれぞれ開催するIISIAスタート・セミナー(完全無料)で詳しくお話できればと考えている。ご関心のある向きは是非ともお集まりいただければ幸いである。
先ほど述べた「金融サミット」において、とりわけ欧州勢は盛んに“規制強化”を求めたと聞く。確かに、米系“越境する投資主体”たちにさんざん食い荒らされた結果、現在の惨状がある金融マーケットにおいては、一定程度、規律の厳格化は不可欠なのかもしれない。
しかし、幻の「満洲」というプロジェクトと、その崩壊の原因ともなった大連商人たちの野太い動きを思い起こす限り、果して欧州勢たちが喧伝しているような形で「規制強化」をもってだけして、現下の惨憺たるマーケットとそれを取り巻く国内外情勢が収まるとは到底思えないのである。取締りを嫌い、大連を脱出し、その結果、日本勢がおよそ手の届かない天津で従前以上に暴れまわった大連商人たち。その姿は、現在の米欧系“越境する投資主体”たちといった金融資本主義における猛者たちと大いに重なるところがあるのだから。
今ではすっかり忘れ去られ、懺悔ないしは愛国心の「二者択一」という判断基準でしか語られなくなったきらいのある幻のプロジェクト「満洲」。しかし、だからこそ今、私たち=日本人が金融資本主義の織り成す当時の荒波の中で一体何を考え、どのように行動し、その結果、いかなる「潮目」が生じてきたのかを丹念に振り返る必要があるのではないだろうか。それは、今後いかなる日本を築いていくべきかという喫緊の問いの前提となる作業であるに違いない。この未来志向の問いを考え抜くためのヒントについては、2009年1月に開催する「新刊記念講演会」にて詳細にお話するつもりである。日本の過去、現在、そして未来に思いを馳せる方々は、ぜひご来場されたい。
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