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(回答先: この宇宙は二重構造になっている? 投稿者 短足鰐 日時 2008 年 7 月 19 日 09:28:28)
『ニューサイエンスと気の科学』湯浅泰雄+竹本忠雄/青土社‘93年』より引用
〈東洋思想との関系〉/湯浅泰雄
ボームは、神秘家がその体験を物理学に証明してもらおうと考えることも、物理学がその正しさを神秘主義から証明してもらおうと考えることも、共に馬鹿げたことだという。物理学と神秘主義の一致は確立された事実ではない。ただ、両者が共に人間の経験にかかわっているかぎり、両者の間に共通の言語を見出そうと試みることは可能である。
暗在系という隠れた次元は、神秘家と物理学者の双方に対して統一的基底を提供できるかという問いに対しては、証明は与えられないが、そう仮定して矛盾はない。ここには絶対的な証明はありえない。われわれは、このような問題に対してはただ、経験の事実にもとづいて確認(コンファーム)できるだけで証明はできない、と彼は言う。
〔短足〕
ボームの宇宙モデルはホバーの反証可能性に耐えられるのか、という問題がある。ボームが「証明はありえない」と言った意味が「暗在系という隠れた次元」という仮説に関してだとすれば(現時点では不明)、これは「反証可能性」も有り得ないということと同じではないか。湯浅氏は「絶対的な証明…」云々としているが、これは筆が滑ったのではないか。そもそも物理学(自然科学)に絶対的な証明などという概念はないと言ってよい。
飲茶さんは、「反証可能性」は科学の必要条件であって、十分条件ではない、という意味のことを述べている。そうであろう、そうでなければおかしい。
小生は「反証可能性」のないものをすべて排除する傲岸な心はない。世の中は科学と非科学(各種芸術も含まれる)で成り立っている。非科学の分野にも有益な哲学・思想があり得るかもしれない。これらは科学的方法とは違った方法で、人々に受け入れられて行く(来た)のだろう(ピカソの絵は反証可能性を超絶している)。
しかしながら、「絶対概念」/(松浦)などという教義は、自然・社会科学の枠外にあるのを是としても、氏の脳ミソの中にのみ狂い咲いた「妄想念」であろう。
ひるがえって、ボームの宇宙論が反証可能性を備えていないとして、入り口の部分で科学的仮説ではないとハネられたとしても、このモデルがまったく与太話であるとも言えないのではないかと思う。ボームのインスピレーションが東洋に古くからある仏教思想と同様のものを直感し、それを物理学者であるがゆえに、物理学の用語で表現したとも考えられる。
科学哲学史(5)反証主義 1930年頃 /飲茶
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/t5.html
反証可能性 出典(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%