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(回答先: 一億総中流意識の時代もあった日本 投稿者 仁王像 日時 2008 年 6 月 20 日 20:51:08)
のではないかという思いがある。不正確な言い方だと自覚しつつ、そう思う。労働運動や学生運動が全く下火になり、失われた十年を経て、今日の「下流社会」などという言葉に象徴される。格差の拡大を招いてきた。
政治や政治家は国民大衆の上に乗っかっている。その国民大衆が騒がしければ、それに突き動かされざるを得ない。これは今の現実政治でも観測される。言ってみればこれが「民主主義」というものだろう。「民主主義」とは、大きな大衆運動があってこそかろうじて担保され得るものではないのか。
大衆運動がないと、人民の欲求・不満を吸収して大き社会エネルギーに転化していく場がなく、秋葉原事件のように個人で極端化した形で噴出してしまうことにもなる。
国内が騒がしければ、大国といえども思うがままに小突き回すわけにもいかなかろう。430兆円もの米国債を買わされ、塩漬けにされることもない。これらの資金を国内に還流させることができれば、今抱えている多くの問題が解決し、今もなお、一億総中流意識の時代が継続していた公算が大である。1億人がまとまって心を一つにしたパワーに目覚めるべきであろう。
下に日下氏の引用を続けるが、日本のマチュアな時代には、多くの公害・薬害問題が発生し、大気や水質の汚染が大きな広がりを見せた時代でもあった。(そして今日では、結果として公害処理技術の先進国にもなった)
『21世紀、世界は日本化する』日下公人/PHP 2000年から抜粋つづき
・21世紀に世界はどうなっていくのか。その七大潮流を簡単に述べる。
@大衆消費社会へ
A中流社会へ
B大都市化へ
C平和へ(国家より民族、軍事より経済)
D少子高齢化へ
E東洋風へ思想革命が進む
F多民族共存と人類平等へ
世界は進む。つまりいずれの点においても日本は超先進国である。p122
・この200年間、英米が世界を抑えたのは、軍事力、経済力には本質的な優劣があり、そこで優れていたからである。それが帝国主義と言われるこの200年間だが、それには思想面で裏づけがあった。
故・坂本二郎一橋大教授は、これを「思想帝国主義」と命名したが、軍事帝国主義とこの両者はセットだった。その中身は普遍性の主張で、英米は自分の文明には普遍性があると強調した。それがグローバリズムである。p183
・忍者ごっこをしている少年の人数は、日本よりアメリカのほうが圧倒的に多い。忍者という技術をつくったのは日本で、それをゲームや娯楽にしたのも日本だが、しかししびれたのはアメリカ人で…アメリカに対して、こんなに普遍性があると事前に思った人はいないだろう。p184
・先進国は移動する。交代する。だから、日本に来ても不思議はない。すでに条件が揃っている。日本にはそれだけの低力がある。これは低力なのだから、バブルで上がったり不景気で下がったりしない。p215
・大切なことは、日本の時代の到来は、近代の白人のように他国を支配してやってくるものではない。世界が勝手に真似をするのである。「被支配」を彼らが望むのである。「被影響」を望むのである。特に、それは子供がやる。世界の子供が日本に憧れてついてくる。これは止めようがない。子供のほうが普遍的価値に対して素直だからである。
それが、文化・娯楽産業で日本が勝つということで、ピカチュウの話で締めくくる。アメリカの子供はピカチュウが大好きで、グッズの人気がすごい。日本のマンガの人気がミッキーマウスを超えたのは20年前だが、いまや日本のキャラクターは圧勝である。
ピカチュウが面白いのは、言葉は「ピカチュウ」とそれ一つしか喋れない。それでもちゃんとコミュニケーションができる。アメリカは何でも言語化して法律に書きたがる。一方日本は島国のせいもあって、以心伝心が可能な国を300年から400年かかってつくってしまった。その日本の完成品を見せているのがピカチュウ。アメリカの子供にはきちんと伝わっている。事件が起こっても収まっても、「ピカチュウ」と言うと、その一言できちんとわかりあえる。弁護士はいらないといっているのである。
いま日本はアメリカを子供から洗脳している。アメリカのピカチュウ大好きの子供が30歳ぐらいになったころ、アメリカは変わる。以心伝心の素晴らしさをわかった、(60万人もいる)弁護士だらけの国はくだらないと悟ったアメリカになる。そう期待したい。p218-9
・大陸を見るには大陸用のメガネを使わないといけないのであって、島国用のメガネで中国を見るから日本の外交は失敗するし、商売はソンを重ねる。両者は精神構造の根本が違っている。
・島国は統一国家を形成するのが簡単だが、大陸では統一を完成しようろすると、それは地平線の果てまで制圧しないとできないし、それができたとしても、すぐに内部から分解が始まる(だから人びとは国家を信用しないし、あてにしない。同様に国家も辺地に住民を国民とは思っていない)。p234
・国家は信用できない。会社も同じ、血族だけが頼りというが、それもお互いに利益がある場合だけで、人びとは個人主義に徹して、目前の利益によって働き、強権には面従腹背する。p235-6