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(回答先: 全編が日本人への罵詈雑言と憎悪に満ちているが、裏返しの愛情表現か−林秀彦 投稿者 仁王像 日時 2008 年 5 月 23 日 20:41:54)
@「この国の終わり〜日本民族怪死の謎を解く」林秀彦/成甲書房‘06年から引用
・考えるということは「理」を正すことでもある。
日本の理は正確な意味でのリーゾンではない。リーゾン(理性・思考・分別・正気・道理)の語源は、数える、という意味であり、数理的合理性の謂である。それは同じ数えるという語源「レイシオ」から派生したラショナル(理性ある・合理的・道理にかなった)と同じ考え方である。この言葉は同時に「推理」の意味も持つ。
つまり理性的であることと、科学的にかつ数理的に推理し原因と結果を結びつける脳の働きころ「考える」ということと同じになる。彼らにとって考えるということは「数える・勘定する」のと同じ頭脳行動の中にある。
ところが日本人の考え方は、数理的正確を求める行動とは程遠い。
・今日もまだ衰えていないキリスト教の残虐な悪は、対ユダヤ人に限らず、枚挙に暇がない。16世紀よりはるか昔から、日本人なら話を聞くだけで吐き気を生じるような残酷きわまる殺戮、略奪、圧政が、キリスト教の名によって行われてきた。なかでもユダヤ人に対する非人道的、非常識的、非神道的、非仏教的、非日本人的な暴挙は、とても許せるようなレベルではないのである。
われわれ日本人にとって「異教徒」という単語の意味は、今後も永久に実感として理解できない言葉なのである
A木田元『反哲学入門』第一章から引用
・デカルトの言う「理性」は、われわれが「理性」と呼んでいるものとはまるで違ったものなのです。われわれ日本人が「理性」というのは、われわれ人間の持っている認知能力の比較的高級な部分、しかしいくら高級でも、やはり人間のもっている自然的能力の一部ですから、生成消滅もすれば、人によってその能力に優劣の違いもあります。
デカルトの言う「理性」とは、神によって与えられたもの、つまり神の理性の出張所・派出所のようなものなので、それを正しく使えば、つまり人間のもつ感性のような自然的能力によって妨げたりせずに、それだけうまく働かせば、すべての人が同じように考えることができるし、世界創造の設計図である神的理性の幾分かを分かち持つようなものだから、世界の存在構造をも知ることができる、つまり普遍的で客観的で妥当する認識ができるということになる。
デカルトの言う理性は、われわれ日本人が考えている「理性」などとはまるで違った超自然的な能力なのですから、それを原理にして語られていることが、われわれに分かるわけがない。われわれが劣っているということではなく、思考の大前提がまるで違うのですから、当然のことなのです。
〔臭うぞう〜〕
仏の大学で哲学を専攻しただけあって、林氏は西洋人の使う「理性」の意味を踏み込んで解釈していると思われる。
同様に木田氏も哲学者として、西洋哲学の意味する「理性」のバックにある宗教的意味づけを説いている。二人の説く解釈を表裏一体のものとして捉えることで、西洋社会で行われている「理性」の(東洋とは違った)意味と言えるのではないだろうか。
副島教授は、ユダヤ思想ではレシオ/リーズンには、拝金と強欲の思想が込められていると強硬に主張しているが↓、本人だけ「勝手読み」ではないだろうか。
西洋社会一般の意味でなく、ユダヤ人・ユダヤ社会では(でのみ)、この言葉に「拝金・強欲」の思想という隠喩があると強弁するなら、「世界基準」としての白人思想界のなかでどんな位置づけにあり、どの程度の影響力をもっているのか明らかにされねばならない。白人社会の中でさらにローカルということであれば、まさに「白土人」思想になる。
西洋人が世界に示してきた行動から見えてくる西洋の原理は「拝金・強欲の思想」などはるかに乗り越えた、残虐非道の殺人者、略奪者のそれである。レシオ/リーズン(拝金・強欲思想)が、その行動原理の理論的根拠になっているとでも主張するのだろうか。
筆者の到達した結論を言う。絶対神としてのキリスト教の「神の理性」の一部を付与された西洋人(欧米人)は、異教徒に対して何の躊躇(ためらい)もなく、凶暴な侵略性・略奪性・殺戮性を発揮していくことが出来たのだ。これが西洋の原理の本性であり、歴史が実証している。こんな構造を持つ西洋思想を世界普遍価値(=世界基準)があるなどと持ち上げる頭が白化して前後不覚になっているのだ。敗北主義もこれに極まれりである。
・「ratio 合理」と「reason 理性」の解釈変更か?
http://www.asyura2.com/07/dispute25/msg/694.html
投稿者 仁王像 日時 2007 年 6 月 23 日 10:14:11: jdZgmZ21Prm8E
・「853」「信仰(宗教)と理性(=合理)は一致する(相反しない)思想を作った 世界の大宗教のシンクロナイズ現象の元凶(げんきょう)を見つけた。ついに突きとめた論」を載せます。副島隆彦 2007.5.23
http://www.snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi