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(回答先: 「世界基準」とは、白人の目で世界を見ることに他ならない 投稿者 仁王像 日時 2008 年 4 月 29 日 17:57:36)
・[789] 続けて私の本の読者とのやりとりを載せます。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2008/03/05(Wed) 09:38:32
http://snsi-j.jp/boards/past.cgi?room=sample1&mode=find&word=789+%C2%B3%A4%B1%A4%C6%BB%E4%A4%CE%CB%DC&cond=AND&view=10
・私は、この日本国で、長年、自分をまるで外国人のように考えて、外側から眺めるように、生きてきました。外側からいつも、冷ややかに日本を見る癖が、小さいときからずっとありました。それでも、私はふつうの日本人です。それなのに、自分の頭は外国人のようです。このことは、私に多くの困難をこれまでにもたらしました。しかし、それでもここまで私はしぶとく生き延びました。
私は、自分を最近は、欧米白人のようではなく、中国人が乗り移ったようになって、そのように考えているようです。不思議な気がします。
〔臭うぞう〜〕
今年ホヤホヤのフシギな述懐である。
アダム・スミスの古典派経済学さえ、今日では非常にイデオロギー性の強いものとして認識されつつある。まして、西洋発の哲学、政治学、思想などはイデオロギーそのものだろう。理論的完成度などというものは定義できないのではないか。いや西洋人社会で彼らに適用する分には、完成度が高いと認識されているのかも知れない。しかし、それは世界の半分しか代表していない。
これのみを「世界基準」だと即断するのが、そもそも狂っているのだ。これに東洋発の哲学・思想を対峙して、二つ合わせてなら初めて、強いて「世界基準」と言うこともできよう。
日本が「土人」の集まりなら、欧米は「白土人」の集まりなのだ、と意趣返しすることができる。
バナナ教授は16歳ぐらいの頃から、白人社会には適わないという「白旗」を掲げながら長じてきたことがブログを辿るとよく分かる。われわれまで道連れにするな!
・Re:「敗北主義」は本人も認めているところ
http://www.asyura2.com/07/dispute26/msg/583.html
投稿者 仁王像 日時 2007 年 10 月 18 日 12:48:07: jdZgmZ21Prm8E