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ユダヤ・イルミナティの新世界秩序の陰謀を認識する方法はまず陰謀についての知識を得ることです。ただ陰謀についての知識がなくても鋭い霊感を持つ人なら、直感的に新世界秩序推進の母体となっている西洋文明に人間の本質への背理を感じて当人が意図しなくても自然と新世界秩序の陰謀に加担することを拒否するのだと思います。日本では孝明天皇陛下がそうでした。
孝明天皇陛下の遺志
http://hiroshima.cool.ne.jp/h_sinobu/koumeitennnou1.htm
だから新世界秩序の陰謀を認識するには知識よりも霊感のほうが重要なのだと思います。しかし現代のほとんどの日本人は西洋文明の唯物主義的な価値観を普遍的と心から信じて霊感を枯れさせてしまっています。そのため新世界秩序の陰謀に関する知識を得たとしてもそこに真実味を感じないでしょう。それでは意味がありません。そこで人間の身で限界もありますが万物生成の原理から霊とは何か、人間とは何かを問い直してみます。
現代人は自然科学のものの見方が身に付いているからこの世のすべての現象は物質の働きの現われであると考えています。そうなるとすべての生命を生み出す共通の原理はないということになります。しかし物質の働きは何故、生まれるのか、あるいは目に見える世界では孤立しているように見えても根底ではこの世界が循環を保っていることなどを考えていくとすべての根源にありすべてを生かしている存在、つまり神を想定しなければならなくなります。
日月地神示
http://www.geocities.jp/oneness3456/hifumihp/index.html
「みんな神を取り違うておざるぞ。みんな、神とは、何か。判らんと思えば判らんのう。
そなたは、何故に生きておられるか。申してみよれ。何故に、呼吸しておるか。
心臓が動くのは何故じゃ。医者も判らんのう。判らんものに聞いても益々判らんのう。
どうじゃ。神の申すこと。聞いてくれぬか。
神は、人にはかからんと申す御偉い殿。神は、そなたにはかかれんのう。
判らんものは判らんで良いのじゃ。素直に聞くが一等であるぞ。
霊人ともなるのぞ。何にでも為れるのが神でもあるぞ。木も石も、火も風も水もみなみな神の姿ぞ。
これで判りたか。」(日月地神示 『み』の巻)
「宇宙の総てはこの神の現れであり、一面であるから、その何処つかんで拝んでもよいのである。その何処つかんで、すがつてもよいのであるぞ。水の流れも宗教ぞと申してあらう。総てに神の息、通ふているぞ。一本の箸拝んでもよいのぢゃが、ちやんとめあて、よいめあて、きめねばならん。内の自分に火つけよ。心くらくては何も判らん。」(日月神示 『春の巻』第二十二帖)
では神をすべての存在の初めとして万物生成の原理を考えます。火水伝文の次の箇所に書かれてあるものがその原理に当たると思います。
「この世に在りて有るものは、木の葉一枚、髪の毛一本、砂利粒一つ、神のものにてあらざるものは何一つあるは適わぬ事なれば、人民様のものは何一つ有りはせんのぞ。無から有を産み出す適わぬ人民様でござるから、元つ資源の【有】持ちて、有なる物々作りておるのでござろうが。汝等支える【元つ有】このまま一挙に引き上げられて、汝等いかで生き行く申すのぞ。そ程大事な元つ天地のご苦労を、身欲利便の好き放題、勝手に持ち荒らしたを泥棒と、申すも尽きせぬ悪き業でござろうが。そを、こは我のものじゃ。こも我のものじゃ等申して、神に無断で勝手に所有致した挙げ句、売り買い致して、相い争うて息も出来ぬ程の我利我利の世と成さしめしもうたではござらぬか。いかで天地を売り買い出くるのぞ。この方、誰ぞに売りた覚えも無くれば、誰ぞから買うた覚えもござらんぞ。無から創りたのじゃ。元つ火の響き鳴り鳴りお出ましなされてお鳴りに成られたのであるぞ。大神様の活き尊き響きを汚すも好い加減にしなされよ。」(火水伝文179-180)
引用した文中では天地を「無から創りたのじゃ。元つ火の響き鳴り鳴りお出ましなされてお鳴りに成られたのであるぞ。」とあります。私はこの元つ火の響きが万物を生成している原理を表現していると考えています。つまり万物生成の原理は響きです。
複雑多岐なこの世界を生み出している原理がそんな簡単なものの訳がないと思う人もいるでしょうが、生命エネルギーの概念として使われている波動も簡単に取れば響きだし、創成以前の静止した宇宙の中で世界を創造するために最初に行えるのは波を起すことではないでしょうか。そうすることで宇宙に動力が生まれます。そうなるとやはり響きが万物生成の原理だと思います。
波動 (オカルト)-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E5%8B%95_%28%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%29
「吐く息や雨粒から、山あるいは10トントラックにいたるまで、あらゆるものが振動するエネルギーであることが分かるだろう。ゆっくりと振動するほど安定しているように見え、速く振動するほど空気のように透き通って見える。さらに速く振動すると、私たちの物質世界の知覚では感じられなくなり「消える」のだ。何の変哲もない車輪のスポークを例にとろう。ゆっくり回転しているとき、スポークは非常に安定して見える。しかし、ある一定のスピードで回転すると、スポークはぼんやりとしてきて、もはや「安定」などしていない。それどころか、スポークは前に回転しているというのに、車輪が後ろ向きに回転しているかのような幻覚さえ見えるのだ。目に見える幻影は、「大いなる幻影」のわかりやすい一形態にすぎない。」(デーヴィッド・アイク『竜であり蛇であるわれらが神々』 401頁)
では元つ火の響きの火は何を表わしているのかを考えます。
「〔元つキ〕解かるか。汝等、陰陽知り居るか。暗きことが陰でないぞ。明るきことが陽でないぞ。言の葉に囚われて取り違え致すなよ。陰と申すも竪のことぞ。火の御守護ぞ。陽と申すも横のことぞ。水の御守護ぞ。元つキ(気)成り成せる元が火水(陰陽)なるぞ。火水(陰陽)マ十字に結ぶが産土力ぞ。これ元つ神の尊き御ハタラキなるぞ。これよりいずるが〔元つキ〕なるぞ。これ始源の力ぞ。竪横マ十字に結び合わたざれば、産土力ないのぞ。産土力なければ〔元つキ〕もないのじゃ。これ解かるか。神なきところ何もないと申して居るのじゃ。されば〔元つキ〕あるによりて万物万象成り成りてあるであろうが。善人、悪人別け隔てなく、火水(陰陽)の産土力のお陰持たせて居るであろうがな。」(火水伝文5-6)
「真釣りの初めは神ざ申すこと、ハラに入れて下されよ。神の初めは真釣りざ申しても善いぞ。神の基は火と水の、ふたつのハタラキ真十字に組み結ぶが基なり。
火のハタラキと水のハタラキの真釣りが、神のハタラキの基じゃ申して居るのぞ。こは万古不易の神法なるを忘るなよ。神も含め汝等も、万象万物これあるにより、ありてあるを、ス直に知りて取られて下されよ。
火と水の真十字に組み結んだ中心を【真中】申すのぞ。こが万象万物を産み有無ところ、神、無限力徳の御座であるぞ。汝の真中も同じ御座なるを知りて下されよ。スミキルお土のハタラキ現れて、元つの響きの産土の鳴り出るところじゃ。
善いか、火[|]と水[−]が真十字に組み結びた素型[+]を火水、カミと申すのぞ。」(火水伝文49-50)
霊魂はよく炎に例えられるので引用文中にある火は霊的なものを指していると思われます。そうなると火の対として使われている水という表現は物質や物質世界などの目に見えるものということになるでしょうが、そこにはどのようにでも形を変えるものという意味もあって水と表しているのでここでは素粒子的な意味での物質の原型となるものと捉えるべきではないかと思います。気もこれまで生命エネルギーを表わす言葉として使われてきましたが、気と呼ばれてきたものは元つ神から発せられる火(霊)の響きと水(物質の原型)が結び合わされることで生まれる火水(カミ)の響きであるようです。
「【火の位】、【水の位】申すは(霊(ヒ)の座、体 (ミ)の座)が組み結びた構えにて、現しなさる御ハタラキの事を申すのであるぞ。火の御ハタラキであれば、火の位。水の御ハタラキなれば、水の位。それ由、汝等も火の位、水の位、双方持ちて居るのぞ。キチリ区別タテワケ致して下されよ。」(火水伝文 215-216)
「【真釣り】申すは【正位】の【霊主心従体属】でなくればならぬ。申して居るのじゃ。汝等は《身欲》を基に、魔釣りて生くるから、【霊主】であるべき火の位に《身欲》が居座りて、心を曇らせ従わせ、《身欲》の思いであろうとなかろうと火の位の命なれば、水の御ハタラキは魔ス直に組み結ぶ由、ケガレをハラムものばかりが産み出される様になりてしもうたのじゃ。水は火の位に真ス直な御ハタラキなれば、水の御ハタラキを責めむ理由はどこにもござろうまい。」(火水伝文 220-221)
「水の御ハタラキが、上から顕す表のハタラキ〔△、陽の構え〕鳴るを知りて下されよ。水の御ハタラキ申すは、三なるぞ。顕なるぞ。体なるぞ。地なるぞ。行なるぞ。水の位に座されます御力徳におわします。万象万物【成化】の御ハタラキにありて、至慈至順の御ハタラキにてごぎるよ。こは母の御役じゃ。真釣り顕すご苦労がその基じゃ申して居るのぞ。火の位の響きを受けて、どんな事でもマス直に形に結び顕し下さる、否と申さるる事の無い響きにてござるのぞ。自らの意にてカタチを顕さるる事の無い、至従至順の極みにておわす由、総てを顕すお力をお持ちなのじゃ。こは解かるでござろうが。我欲がありては適わぬ事ぞ。
水を見やれよ。与えられある器に従い。言挙げもせず、自らの尊きを汚されありても、逆らう事の全き無いまま、唯ただ尽し切る至順そのものにござろうが、至慈ある由の至順にてあるぞ。ス直が総てを顕し育む尊き型示しにござるよ。」(火水伝文68-70)
気-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97
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