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(回答先: ニヒリズムと孤独と「もう一つの道」。(山形浩生) 投稿者 そのまんま西 日時 2008 年 2 月 20 日 00:23:54)
宮台真司という人と山岸凉子の『日出処の天子』
全く関係ない感想ですが、文中使用されている首都大学の「宮台真司」という人は実に面白い人ですね。神経が鋭いと言うか、社会の動きや変化を実に繊細に感じ取り、その本質を描く人ですね。もともとは社会学が専門みたいですが、国際関係を論じさせても、見事に本質をレポートする人です。そんじゃそこらの知識を貯えたうんちくだけの専門家とはとても違う。この人がいつか、テレビ朝日の朝まで生テレビで、イラク戦争を行使するアメリカの動きの背景に「ネオコン」が存在するとし、その動きを提示してくれた人でした。
その漫画を読んだことはありませんが、宮台という人に通じるものがあるならば、相当面白いように思われますね。「われわれの社会の根底に関わるものであり、単純な世渡り指南の域を超えた個人の生きざまに関するものだ。」
(引用資料)
だが、これは歴史まんがではない。舞台を六世紀の日本に置きつつも、登場する人々の行動や思考は非常に現代的であり、そして物語も現代日本にまっすぐ焦点をあてた、きわめて現代的なものだ。それも宮台真司(この人は「自由なんてものは存在しない!」というのを論証した(!!)『権力の予期理論』という非常に面白い本を書いている)の主張するような、少女まんがの持つお手軽代用人生体験といった意味での現代性ではない(まんがが実体験のかわりになるなら苦労しねーよと思うので、この議論には実はあまり説得力を感じないのだ)。
このまんがが扱っているのは、もっと大きな、われわれの社会の根底に関わるものであり、単純な世渡り指南の域を超えた個人の生きざまに関するものだ。いまの日本の女どもが、そして男どもが、本当にこの作品を指南としていたら、この作品発表以降の十年で日本はまるでちがった世界と化していただろう。
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