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(回答先: 渡辺利夫著『新脱亜論』を読む 投稿者 Ddog 日時 2008 年 8 月 04 日 20:12:26)
12 環太平洋ビジネス情報RIM 2008 Vol.8 No.28
海洋国家同盟論再論
http://www.jri.co.jp/RIM/2008/02jpn.pdf
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海洋国家同盟論再論―日本の選択 拓殖大学 学長 渡辺利夫
中国茫々(ぼうぼう)
昨年のことであったが、石川泰史という軍事史学を専攻する研究者から贈呈された同氏編著の『戦略論体系―佐藤鐵太郎』(芙蓉書房出版、2006年)と題する著作を読んで深く感銘するところがあった。
佐藤鉄太郎は日清戦争従軍の後、戦史研究の重要性に目覚め、イギリス、アメリカへ
の留学を経て海軍大学教官となり、明治35(1902)年に『帝国国防論』を完成。日露戦
争に出陣した後、海軍大学で「海防史論」を講じ、明治41(1908)年に『帝国国防史論』を刊行、海軍大学校長をも歴任した戦略家である。石川編著はこれら佐藤鉄太郎著作を収録し、編者の改題を付して成った名著である。
海防の重要性を説く一方、陸軍中心の大陸政策に否定的な見解を率直に吐露した『帝国国防論』は時の海軍大臣山本権兵衛により天皇陛下に奏呈されたという。
『帝国国防論』において佐藤鉄太郎は次のようにいう。
「我帝国の確持すべき方針は、一に唯征服を大陸に試むるの壮図を避け、天与の好地勢を利用し海上の勢力を皇張し、且つ之を永遠に維持し得べき所以の道を図り、以て自強の策を講じ、而して国利の増進を海上権力の暢達(ちょうたつ)に求めて百世渝(かわ)らざるにあり。・・・・・・吾人は現今の形勢を按(あん)じ絶東の平和を維持せんが為めには、断然我海軍を拡張せざるべからずを知り、直ちに之を実行するに決せり。惟(おも)うに後来東洋の平和を撹擾するの恐れあるは日本国の侵略的攻略ならん。然れども此の島帝国が大陸に侵入せんとするには必ず先づ海路により軍隊を輸送せざるべからず。故に若もし果して克く海上かの交通を拘束することを得ば、其の野心を抑制すること頗(すこぶる)る容易なり。
吾人が我海軍の拡張に賛同する所以のものは、実に日本国が従来懐抱し来れる野心を未
萠(みほう)に防がんとすればなり」
この一文の中に日本は有力な海軍を擁した海洋国家たるべしとする佐藤鉄太郎の戦略思
想が凜として表出されている。
あの広大な国土に「支那四億」の民を擁し、地方ごとに言語、文化、風俗、習慣のそれぞれを異にする、日本人には想像もつかないような茫々中国を陸軍中心の兵力で長期占領支配することが容易であろうはずはない。
モンゴル帝国のような史上に例をみない凶暴な領土拡張衝動を満身に秘めた民族であれ
ばいざ知らず、日本のように元来が極東の片隅にこじんまりと住まっていた「箱入り」(梅棹忠夫)の民族の遺伝子の中にはそのような世界制覇への衝動は組み込まれていないのである。
岡田英弘『中国文明の歴史』(講談社現代新書、2004年)によれば、そもそも中国に
おいて国境をもつ領土国家としての概念が芽生えたのは、1689年に清の康煕帝がロシアのピョートル大帝と結んだネルチンスク条約以降のことであり、「それまで中国人には、『王化』、すなわち皇帝の権威のおよぶ範囲が中国だという観念はあっても、中国が四方を国境線に囲まれる一定のひろがりをもつ地域だという観念はなかったのである」
『風土』(岩波書店)の中で和辻哲郎は次のように記す。
「揚子江とその平野との姿が我々に与える直接の印象は、実は大陸の名にふさわしい偉大さではなくして、ただ単調の空漠である。茫々たる泥海は我々に『海』特有のあの生き生きとした生命観を与えない。また我々の海よりも広い泥水の大河は、大河に特有な『満々として流れる』というあの流れの感じを与えない。同様に平べったい大陸は我々の感情にとって偉大な形象ではない。我々の思惟にとってこそ、揚子江から黄河にわたる平野は我が国の関東平野の数百倍にものぼる大平野であるが、その中に立つ者の視野に入るのはその平野のほんの一部分に過ぎず、その中をいかに遠く歩いて行ってもただ同じような小さい部分の繰り返しがあるだけである。従ってシナ大陸の大きさは、直接にはただ変化の乏しい、空漠たる、単調な気分としてのみ我々に現れる」
中国茫々である。
満州事変を経て満州国を建設し、北京を占領し、上海事変、支那事変へと中国の全域にまで懐深くただ吸い込まれるように進軍していった日本は、局所的な戦争のほとんどに勝利したものの、中国を支配下におき、これを経営することにはついぞ成功をみることはなかった。大陸に深入りすることの危険性を日本は支那事変を通じてとことん知らしめられたはずである。
満州国中尉として敗戦を迎え、後にあの苛烈な朝鮮戦争を第一線で指揮し、休戦会談で韓国代表となり、後に韓国初の陸軍大臣に就任した白善Yはその著『朝鮮半島対話の限界』(草思社、2003年)において、みずからの経験から得た慧眼の海洋国家・大陸国家論を吐露しているのであるが、その主張を要約すればこうである。
日本が四海を海に囲まれた海洋国家であることは疑いない。この日本が日露戦争から第2次大戦までの間に大陸指向となってしまったところに日本の大いなる悲劇の原因があった。日本国内に過剰人口と食糧問題があって、それがゆえに満州は日本人が刈り取るべき無限の資源が眠っているようにみえたのであろうが、そこには無論先住の人間が住まっており、しかも隣には戦いになれば残虐の限りを尽くす世界最大の陸軍国家ロシアが国境を接している。一旦緩急あっても大陸国家であれば、何らかの対処の方法をいろいろ見出すものだが、海洋国家の民たる日本人には大陸での困難に処する資質がない。
これはどこの軍隊でも同じことだが、特に日本軍の場合、一定の目標線を確保するとその防御を完全なものにするために、さらに前方の地域、つまり「前地」を確保せざるをえなくなり、限りなく前地を求めて大陸の中心部に進軍していってしまうというのである。
前地を求めることは「作戦・戦術の領域では当然のことだが、国家戦略やグランド・ストラテジーのレベルでは、致命的な問題をはらむ。目先のことばかりに心を奪われ、国力に見合った線を見失いがちとなるのである。
木をみて森を見ない。そして森の奥深くにさまよい込んでしまう、日本の失敗はそういうことだったのであろう。/大陸勢力がなかなか海洋に乗り出せないのと同じく、海洋勢力も大陸の奥深くに入り込めない。それを日本民族は大きな犠牲を払って学んだことであろう」
白善Yの言葉を受けて石川泰史も「軍紀厳正で精強な日本軍なら混迷を極める中国に平和と安全を実現できると考えること自体、現地の実情を知らない日本人の誤解である。安易な陸軍力の海外派遣には地獄の落とし穴がある」という。 さて佐藤鉄太郎は大正2(1913)年の処女作『国防史説』で「海陸両軍の帝国国防に対る要点」として、以下の14を列記している。
1 陸軍のみを以て海国を守るものは、戦の勝敗に関せず、沿海の民産を劫掠(ごうりょう)せられ、良民を惨害せられ、鉄道、電信及び製造場等を破壊せられ、海島を占領せらるゝの不幸を免れず
2 陸軍のみを以て海国を守るものは、其の船舶及び積載の物件を挙て敵手に委せざるを得ず
3 海軍なき海国を攻むる時は、其の上陸容易なるのみならず、随意に援兵を加え、軍
須を供給するの利あり。故に海軍なき海国は、国防の実を挙ぐること極めて難し
4 海軍なく数多の島嶼よりなれる海国、外国の攻撃を受くる時は、海上の通路全く閉
塞し、彼是声援の望み全く絶るを以て、各自孤独の勢いをなし、敵をして随意に其の全
力を挙げて、我分力に当らしめるの害あり
5 海軍を以て海国を守る時は、其の兵員、陸軍よりも多きを要せず。従て生産の事業を妨ぐること靡(すくな)し
6 海軍強大なる海国は、敵兵をして一歩も国内に侵入せしめざるを得。故に交戦の際
といえども、全国の人民その堵に安じ、国産の繁殖に従事することを得
7 海軍強盛なるときは、假令敵兵上陸するも其の後援、軍須の供給を絶ん為、随意の
其の護送艦隊及び運送船を奪い、且つ戦利品として其の物件を奪うことを得べし
8 陸軍は、平時にあって適切の用をなさず
9 海軍は、平時四方に航海して国威を示し、我信用を高め、商業の発展を促進し、我漁業を保護し、我商船、在外商民を保護するの任務を有す
10 海軍を拡張し、若くはこれを完成するには、必ず造船及び機械の業を奨励せざるべ
からず。而して此の奨励は大いに全国工業を振作するの力を有す
11 陸軍を以て海国を守るものは、守戦の際多数の輪卒を要す。故に假令敵の劫掠を受
けざるも、民力及び国富を害すること多し。而して海軍は此の被害なし
12 海軍の戦は激烈なりと雖(いえども)、国内に戦うことなきを以て、民産を損すること寡し。故に国乱に際し、海軍を以て戦うものは民力の疲憊を戦後に遺すこと尠(なくな)し
13 現今海国を攻撃するの法、先ず其の海軍を掃蕩し尽すにあり、故に少数の軍艦を備
えるものは其の結果海軍なきに同じ
14 海軍は海国国防の主力たるは論を待たずと雖、大陸諸邦を併合し、我版図を内地に
広むるの力なし。故に大陸侵略主義の兵備に於ては之を主とすること能わず
もはや解説を要すまでもない明晰な分析である。海軍ではなく陸軍によって国防を図らんとすれば敵国よりの侵略を受けやすく、国民の生命財産の破壊など甚大な被害を被る一方、海軍を主力とすれば、敵国の侵入を自在に海上で防御することができる。それゆえ海洋国家日本にとってはシーパワーの拡充が絶対的な必要条件であることを説き、最後に、しかし海軍には敵国を併合したり版図を拡大する力はないから、海洋国家は侵略主義を採用すべきではないと釘を刺している。
確かに佐藤鉄太郎の説は海洋国家の有利性を説いて余すところがない。対照的に大陸国家は多くの国々と国境を接し、国防のための軍事力を国境線の長さに比例して拡大させなければならず、多数の兵員を要するために徴兵制度が不可避であり、それゆえ国家の性格もしばしば専制主義的、軍国主義的たらざるをえない。国家の専制主義的、軍国主義的性格は周辺国の不信感を恒常化させ、時に周辺国をみずからに隷従させようという欲望を誘う。そういう欲望は自国が周辺国より優越せる存在であることを誇示せんとする自己中心的傾向をも促す。ワルシャワ体制はロシアの、チベット、南沙諸島、台湾、尖閣列島は中国の、そのような暴力的な自己中心性を示す一例なのであろう。
平間洋一は著書『日英同盟―同盟の選択と国家の盛衰』(PHP新書、2000年)
で次のように指摘する。
「大陸国家にとって国土の広さや資源の有無などは、国土防衛上のみならず国家の生存海洋国家同盟論再論発展のためにも不可欠であった。第2次大戦前のナチス・ドイツは『国家は生きた組織体であり、必要なエネルギーを与え続けなければ死滅する。国家が生存発展に必要な資源を支配下に入れるのは、成長する国家の正当な権利である』という、ハウスフォハーの『生存権(レーベンスラウム―Lebensraum)』思想によりポーランドなどを占領し、ソ連に侵入した」
日本は海洋国家である。されば理の当然として協調し同盟する相手国も海洋国家でなければならない。日露戦争を眼前に控えた明治35(1902)年1月に締結され、大正10(1921)年12月にワシントン会議での四国条約をもって廃棄されるまでの20年にわたり日本の安全保障を確実なものたらしめたのが、日英同盟であった。
第二次大戦での敗北によって日本は新たに日米同盟を結ぶことによって穏やかな「戦後60年」を打ち過ごすことができた。アメリカとは大西洋と太平洋に挟まれた巨大な「島」である。日米同盟という、日英同盟に代わる「海洋国家同盟」の形成である。
大兵力自衛隊を擁しながら海外への軍事出動はなく、これによって兵力を一人たりとも失うことがなかった。
日本ほどの完璧な平和を「冷戦」という大戦争の中で経験した国は他に存在しない。日本は冷戦下における日米同盟の完全な受益者であった。近現代史において中国、ロシアはほとんど恒常的に日本の対抗勢力でありつづけた。日本がこの勢力に抗するには日英同盟や日米同盟といった海洋覇権勢力と連携するより他に安全保障の道はなかったのである。
日本の不幸は日英同盟廃棄から日米同盟成立にいたる30年間であった。この間、日英同盟が廃棄された大正12(1923)年には日本の不吉な将来の予兆でもあるかのように関東大震災が発生。大正13(1924)年にはアメリカで排日移民法成立。昭和2(1927)年には南京事件、山東出兵。昭和3(1928)年には張作霖爆殺事件。昭和4(1929)年にはロンドン軍縮会議、浜口雄幸首相狙撃事件。昭和6(1931)年には柳条溝事件を経て満州事変勃発。昭和7(1932)年には上海事変、満州国建国、5・15事件。昭和8(1933)年には国際連盟脱退。昭和11(1936)年には2・26事件。昭和12(1937)年には廬溝橋事件から支那事変へ突入。昭和14(1939)年には第二次大戦勃発。昭和15(1940)年には日独伊三国軍事同盟成立。昭和16(1941)年には真珠湾攻撃により大東亜戦争開戦。昭和20(1945)年には広島、長崎に原子力爆弾投下、ソ連による対日宣戦布告、連合国軍に対する日本の無条件降伏、第2次大戦終焉、とつづいた。
ワシントン体制の成立によって日英同盟が廃棄され、同体制の下で中国に関する九国条約が調印された頃から、日本は国際的孤立を深め、列強に根深い不信と猜疑心を抱かれ、協調すべき友邦をもつことなく、ひとり中国大陸に踏み込んで衝き動かされるようにして全土の支配占領に走った。支那事変は苦心惨憺たる戦いであり、ついには英米の強力な介入によって勝算定かならずも大東亜戦争への突入を余儀なくされたのであった。
今後の日本が、かつての日英同盟と同じく、海洋の強大な覇権国家アメリカと同盟して生きていくのか、大陸国家との連携を深めつつ生きていくのか、すでに近現代史は日本が採用すべき方途を示している。日本は予見しうる将来まで日米同盟の下で生きていくより他に道はないのである。
12 環太平洋ビジネス情報RIM 2008 Vol.8 No.28