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(回答先: 123便が低空で機体が水平な状態のとき、,中性子爆弾を被弾した閃光の瞬間乗客の姿が地面に放射され放射化された 投稿者 救国の草莽の志士 日時 2007 年 7 月 17 日 21:06:46)
1985/8/12「123memo」
私は当時某公共放送局でアルバイトをしており、事故当日も通常の4、5倍の局員でごったがえした報道の現場にいた。さまざまな情報の錯綜する中、現場の特定にあまりにも時間がかかることに疑問を感じ、その後の事故の特集番組制作にも関わったこともあり、原因究明など常に関心をもって見守ってきた。
実はこの本の中に指摘してある、相模湾での自衛隊護衛艦試運転時でのミサイル誤発射等の可能性は、事故の翌日には既に軍事・航空関連に詳しい局員が指摘していた。当時は単なる憶測でしかなく調査困難ということで番組中では触れていない
相模湾で14日見つかった尾翼下にある補助動力装置の吸気口は、機体の右側にとりつけられていた部品。この部品は、胴体に内臓されているもので、よほどの力が加わらない限り抜け落ちない。この装置の本体らしいものは墜落現場で見つかっており、同省では、吸気口だけがなぜ、本体から離れて海上に落下したにかに注目
圧力隔壁から流れ込んだ空気は分割された区画ごとに拡散され、事故調が最初に垂直尾翼が破壊したとする 最上部付近 FS 520〜570(鶴のマーク辺り) 迄、一気に垂直尾翼内を駆け昇ることは出来ない。圧力隔壁破壊とされる報告書は垂直尾翼後部隔室を単一の隔室としている。垂直尾翼には動的圧力は入り込めない。
JAL123便墜落事故当時、日航役員が「うちのジャンボは、北朝鮮のミサイルに撃ち落された……。今はそれしか分からない。」と発言したという
当時事故調査委員長をしていた方の「アメリカの調査(圧力隔壁破壊説)で楽になった」というコメント
機内の白い霧についての経験談
ご無沙汰しております。
急減圧でおきる白い霧についてですが、私が10年ほど前に経験した、白い霧について報告します。
当時、確か4月の終わりでしたが、商用で台北へ向かうため関空発のキャセイ(トライスター)に搭乗しました。
沖縄上空あたりでキャプテンアナウンスがあり、低気圧の影響で台北国際空港がクローズし、オープンするまでマニラ(フィリピン)に待避するという内容の話をされました。
それから約2時間ほどでしたか、4月といえどもマニラ上空にさしかかりますと、機内であっても窓側ですと、すごい暑さを感じました。ギアが降りる音が鳴り、窓から赤ちゃけたフィリピンの土を見ながら、そろそろ着陸と思った瞬間、すごいバウンドを感じ、その瞬間に機内の前から後ろへ白い霧が発生し流れて行きました。
機内は多少パニック状態になっていましたが、キャプテンアナウンスで、着陸の衝撃でエアコンが故障し、白い霧が発生したと言っていました。
何かドライアイスの煙のような匂いに感じました。
酸素マスクは降りてきませんでしたが、霧は暫く機内に滞留していました。
私は専門家でも何でもありませんが、急減圧がなくても何らかの衝撃を受けた場合、白い霧は発生するのではないでしょうか?
123便の場合、自衛隊の無人爆撃用ターゲットが当たったとの話を聞いた事があります。もしこの話が有り得る事実なら、このターゲットが垂直尾翼辺りに当たった衝撃で白い霧が発生したのではないでしょうか?
不確かな話ではあるのですが、もしこのようなターゲットが今も民間航空機用のエンルート上に存在しているのでしたら、これからも起きうる事故ではないでしょうか?
伊豆半島の伊豆急行河津駅での目撃者談「普段の二倍の大きさに見えた」*推定14200フイート{約4400m}
Say altitudeの問いに対して124(12400フィート)と答えていることからも、そのことがうかがえます。
なによりお金にかわる価値観でも見つからない限りこれからも事故は起こり続けると思います。
日航も被害者でありながら保険金の関係で軍や整備の過失にならない修理ミスに便乗したという点では汚点を残しました。
墜落させたほうが儲かる仕組みが是正されないと空は安全にならないと思います。
当時、TV局や新聞社に、自衛隊員という触れ込みで、「相模湾上にいた戦艦−たかちほ−から発射された防空ミサイルが日航機に当たってしまった」という怪文書が届いたという話も根拠になっている。
そんな誤爆なんてあり得ないと信じたいが、最近、黒海で起きた民間機へのロシア軍の誤爆事件などを見ると可能性は皆無でもないかも知れない。軍の論理は、「演習中の所で入ってくる方が悪い」なのだ。
もしかしたら、ハワイの「愛媛丸」を撃沈させた米海軍の潜水艦のように、未納入自衛艦「まつゆき」の試運航中に民間人(技術者)が、誤ってミサイルを発射させたのかも知れない。
左側にはありません。
あの忌まわしい事故から、21年も経つのですね。
しかし、当時から今日まで友人が語ってくれた話がどうしても私
の脳裏から離れる事ができないのです。
事故当時、航空○○隊に勤務していた友人が、事故から数週間
後に休暇を貰って地元に帰ってきた時に聞いた、本当の話です。
友人は、私(普通の一般人)に対して嘘をつかなければいけない理由なんてないだろうし、そして、まだ事故原因も分かっていない時期に、私に、いずれは分かると思うんだけど(直ぐに真の原因が分かると言う意味だったんだと思います)...と言って話してくれた事は、
「123便の事故は、本当は○○隊が○落させたんだよ。当時訓練で標的機を飛ばしていて、それが操縦不能になって、行方が分からなくなり、そのとき近くを飛んでいた123便にぶつかったんだ。墜落現場には標的機のオレンジ色の残骸があったから、誰もいないうちにヘリで回収したんだ」と言っていました。
当時まだ事故から数週間しか経っていない時にそう言ったのが当時、凄く印象的でした。もちろん当時私は半信半疑でしたが、今考えても彼が私に嘘を語る理由もないし、嘘の話をしたところでなんにもないのです。ただ、彼も自分が知っている事を誰かに話したかったんだと思います。そして、一般隊員(だと思います)の彼が知っているくらいだから、当時○○隊内ではこの話を知っていた人は結構いたのではないでしょうか。
私がこの話を投稿(このような話を真実と確認していないのにいいのかと迷いましたが、聞いた話は本当だったので)したのは、「8・12連絡会」が発行した「旅路」を目にしたからです。目次のページに書かれている、「21年の間に見えてきた真実があります。それだけの歳月を費やしても、またはその歳月の長さゆえに、依然として見えない真実もあります。闇に葬られようとしている真実もあるかも知れません。」という文を読んだからです。勿論私が言っている事とはまったく違う意味での謎なのかもしれませんが、私には「8・12連絡会」の方達も私のような話を聞かれたりしているのではないかと思ったのです。ただ、証拠がない為に真実は闇に包まれているのでないでしょうか。
私は遺族でもありませんし、ただ当時、事故原因もハッキリしていない時期に友人が言った言葉が忘れられなくてこちらに辿り着きました。
今まで、「疑惑−JAL123便墜落事故」の内容は、単なる可能性程度にしか考えていなかったが、 2002年1月31日の田中真紀子元外相の更迭事件を見ると、日本の役所は外にどころか大臣にさえ報告しない秘密が多い
”御巣鷹山の日航機事故はミサイルの誤
射?…・事故原因がボルトの締め方ミスとはあまりにお粗末すぎる…・相模湾から回収された
垂直尾翼の破片には…ペイントが付着していた…赤と黄色は米陸軍の弾頭塗装色…回収作業を
放映している際には明確に映っていた…”
直接的な原因は尾翼下にあった補助動力装置APUの爆発により圧力隔壁が破壊されたと言うのが真実だろうと思います、当時事故調査委員会はこの件で意見が分かれし何人かの方は御辞めになりました、ではなぜ爆発したのかに付いては、外部から何かかぶつかったかも知れないし内部に何らかなの爆発する物が有った可能性もあります、今で言うテロの可能性さえ否定出来ないのです、つまり乗客の誰かかあるいわ、乗る予定だった誰かををターゲットにし巧妙に事故に見せた可能性です、でももう時間が達過ぎました、もう真実は深い闇の奥です、ちなみにAPUは未だに
見つかっていないと言われています。
この事故では分からない事が多すぎるのです、裏で正体不明の大きな組織が動いていたと言う噂もありました、当時この機の追尾する様に飛行していた機も特定出来ていません、もう分からないでしょう、この事件ではメーカーも航空会社も関係省庁も全て最終的には無罪となっていると思います、この事から、ある極めて限られた極小数の人々のみが真実を知っていたのかも知れません米軍無人偵察機?の破片が発見されています。
垂直尾翼にはオレンジ色の衝突跡も発見されています
今年もNHKのラジオでは、遺族の人たちの動きを報道していた。
ボイスレコーダーとブラックボックスを公開してくれるように、と。
航空会社に未だに請求しているようです。
事故から経過しながら、なお、遺族から事故報告について、異議が出される。そんな航空機事故が他にあるでしょうか。
この事故も、米軍がらみになると、真相の究明はタブーなのか、と言う失望感があります。
事故調査委員会の報告書は最後まで事故機の航跡のように迷走しています。
機体にあった修理歴は事実としても垂直尾翼の欠落が墜落の直接原因とは思えないのです。専門家ではありませんから、いろいろな著述からの知識でしか有りません。しかし、尾翼欠落後にクルーは操縦不能のはずの機体を30分以上も飛ばし続け帰還を目指したのです。東京へ向かっていた機首を山へ向けたのは何か。そもそも尾翼の欠落は何故か。疑問は消えていません。機内の空気が一気に抜けて尾翼内の圧力が吹き飛ばしたという論は数々の証言と証拠写真、その後の実験でも急減圧が無かったと否定されています。
下田でアルバイトしとった頭の上通過
御巣鷹山もそうだけど、私は愛媛○事件が悔しいです。
あんな、すぐわかりそうなウソついて、バラバレで。
子供が犠牲になったのが
交信が途絶えたとされている「空白の時間」に地上から山へ向かうよう指示があったのでは?米軍基地に降りられては困る理由があったのでは?との疑いがあります。
その日の内に群馬県内に棺桶を調達させた中曽根元首相は、3日後に靖国神社に行っても、現地には一度も来ていません。全てを知っている中曽根さんが目の黒いうちに、御巣鷹の尾根に登って激白されることが、520人に対する最大の弔い、戦後政治の本当の大決算になるのです。
中曽根内閣の運輸相は、JA8119号機の123便の前の便に乗っていたのです。山下運輸大臣は「この事故は不可抗力であった」と述べています。
123便が横田基地の手前でクルッと180度引き返して逝ったのは
横田基地からそういう誘導電波が出ていたため。
酸素マスクが落下し、その後「ただちに録音してあるアナウンスでただいま
緊急降下中 酸素マスクをつけてくださいと日本語と英語で流れました。」
報告書は 27 点の部品についてそれらを分解し、それぞれの作動状況を確認し、報告書に載せてる。 しかし、なぜか客室与圧のを管理する上で最も重要な部品である客室与圧排出弁作動器(キャビンプレッシャ−・アウトフロ−・コントロ−ル・バルブ・アクチュエーター)についてはその存在すら触れられていない。事故調は被与圧側からの加圧を議論したくないため、キャビンプレッシャー・アウトフロー・コントロー ル・バルブ・アクチュエーターを隠匿したのである。
事故後、垂直尾翼を目立つように赤に変更
投稿者: ja8119
http://gray.ap.teacup.com/applet/123ja8119/archive?b=30