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(回答先: 事故当時、航空○○隊に勤務していた友人が、事故から数週間後に休暇を貰って地元に帰ってきた時に聞いた、本当の話 投稿者 救国の草莽の志士 日時 2007 年 7 月 17 日 21:20:26)
奇跡的に生還した川上慶子さん(当時12歳?)の証言。
同乗していた両親が亡くなったので島根の祖母宅へ帰ったときの話。
「墜落したあと、ふと気が付いたら周囲は真っ暗だった。
あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気がする。
しばらくすると前方から懐中電灯の光が近ずいてきたので助かったとおもった。
そのあとまた意識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の人は
誰もいなくて、周りの人たちはみん な死んでいた。」
慶子さんから上記の話を聞いた祖母はご近所のひとに伝えたらしい。
しかし「慶子は夢でも見たんじやろう。」で終わってしまった。
・無人標的機の塗装であるオレンジ色の金属片が墜落現場で見つかっていること
(墜落現場に入った直後のビデオテープの映像に、ジャンボジェット機には
使われていないはずのオレンジ色の金属片が映っている)
・この金属片を機動隊員が運び出す作業も映っていたが、墜落現場から運び出された
機体の破片の搬出先の倉庫にも、この破片は見つからなかった。
・32分間の迷走のうち14分間の管制官との無交信部分(自衛隊機に誘導されていた
のではないか・・)
エンジンがバラバラになりすぎている。
乗客の遺体の損傷が激しすぎる。
事故直後に日航の技術者が現地入りしている。
会社の上司の人で同窓生にJALの整備士と自衛隊の人が居て
この二人は事故現場に派遣されて捜索に加わってたそうです。
最近同窓会で10年ぶりにこの2人に会って、この事故について話を触れたらしく
話の中で驚く事を言っておられました。
現場に派遣された2人の話では
この墜落機の尾翼部分に『模擬弾』が当たった跡があったらしく
尾翼が発見された周辺にも『米軍の模擬弾』と見られる物も一緒に見つかったそうです
2人のうちの一人は確かに『米軍』と言ったそうです
日本政府が墜落から早急に救助活動に踏み込まなかったのも
現場を真っ先に把握したのが米軍なのも
『米が当事者』だったからなのかもしれないですね
医師の証言。
事故当夜、旅行先の伊豆町稲取のホテルで「水戸黄門」を見終えたあと、窓の外を見るとおびただしい数の軍艦がライトで海上を照らしていた。
怖くなり、窓を閉め部屋の電気を消した後、カーテンの隙間から様子を窺った。
そのあとテレビで事故を知った。
2、自衛隊パイロットの見たもの
元航空自衛隊パイロットの証言。
事故当夜、基地で待機していると「相模湾で魚雷が行方不明になったので捜せ」との命令があり僚友を含む数機が飛んだ。
僚友は見つけなかったが、「別の機が海上の浮遊物を発見した」と語った。
自衛隊に出動の確認を取ったところ「機密である」とし回答はなかった。
事故機の高度がフライトレコーダーの記録より大幅に低かったたと目撃証言等から推測できます。(せいぜい3000m?)
証言
3日ほど前に地元の静岡で釣りしてたら、おっちゃんに話しかけられて
坂本Qの話になってさ
「昔、ここで釣りしてたらジャンボジェットが低空で高草山の上を飛んでったよ、
んで家帰ってテレビ見たらジャンボジェットが墜落したってニュースでやっててよ
あれがそうだったのか、って思ったよ」つー話したぞ。ちなみに場所は静岡県焼津市の
小川港ってとこな。高草山は標高1000mも無い山で、その上をすれすれで飛んでったらしいけどな。
静岡通って墜落したんだな。
<証言>伊豆半島で目撃された証言に,事故機が「ふだん見ている飛行機の倍の大きさ」とあるからだという.このことから,角田氏は事故が生じた高度は15000フィート(約4600m)だったと推定している。それで,角田氏が見たのは10000フィート,3000m程度ということになる。
<証言>角田氏は大月付近にキャンプに出かけ,そこで事故機を目撃しているという.事故機は北から南に向かって飛び,続いて南西に向かって飛んでいった。
角田氏はこの飛行機について,「民間機と瞬時に思ったのは、窓が一列に沢山見えたからである
<証言>
M2様こんにちわです。
ブッチャケ書きますが
自分はこの当時富士宮市に住んでいまして
墜落事故当時おかしな日航ジャンボジェット機?を見たんです。夕方
普段飛ぶ事のない高度(肉眼で航空機の垂直尾翼のマークが確認(日航ジャンボジェットクラス機
普段飛ぶ事のない空路(方向)に飛んでいく日航機を見たのを憶えています。
123便が高度22000ftは6700mで飛んでいたなら別の便かもしれませんね
あれは待機だったのかな?
航空機の垂直尾翼のマークが確認(日航ジャンボジェットクラス機でも
6700mで飛んでいたなら見れませんよね。
あの当時、もしかしたら、って言うのがあったのですが
別の便だったのかも知れません。
6:30に急降下後低空飛行
<遺書>
18:30 2回目の爆発 投稿者:F19 投稿日: 8月17日(木)17時52分35秒 v049112.ppp.asahi-net.or.jp
今六時半だ
飛行機は まわりながら
急速に降下中だ
18・30 急に降下中
PM6・・・30
知子 哲也(両親を)をたのむ 圭市
突然 ドカンといってマスクがおりた
ドカンといて降下はじめる
しっかり生きろ
哲也 立派になれ
写真
http://www.youtube.com/watch?v=ubegLGVhye0
証言
1995年の初夏か冬ごろ週刊誌記事にこんなのがありました。
丁度その日その程度の時間に、沼津市上空で「ドン」と音を聞いた知人がいます。
そのご日航機が事件になったので、もしかしたら、、、と思っているそうです。
投稿者: ja8119