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(回答先: 海を越える新任務 <3>PSI (東京新聞) 投稿者 天木ファン 日時 2007 年 8 月 24 日 20:57:22)
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/sakimori/news/070601.html
豪派遣 多国間安保へ
二〇〇六年六月三日、豪州北部の都市、ダーウィン。戦没者慰霊碑の前に詰め襟の第一種礼服に身を包んだ海上自衛官四十六人が整列した。
指揮官の渡辺勲一佐(50)が献花し、全員で黙とう。日本式の儀式は、地元紙にも報道された。
太平洋戦争が始まった翌年の一九四二年二月十九日、旧日本軍はダーウィンを空襲した。急降下爆撃で軍艦六隻が沈没、市庁舎、病院など民間施設も爆撃され、人口約五千人という小さな町で二百四十三人が死亡した。
英国人の入植によって豪州が誕生して以来、攻撃を仕掛けたのは日本が最初で最後。渡辺一佐は「対日感情がよくないのでは、と心配していたが、静かでした」。
海上自衛隊は護衛艦や練習艦で世界各地を訪問し、各国政府や海軍と交流を深めている。豪州へは艦艇訪問を繰り返したあと、第九航空隊(那覇基地)のP3C哨戒機二機を派遣した。P3Cが米国以外を親善訪問したのは初めてだ。
「なつかしいなあ、われわれも昔はこうだった」。豪軍幹部が海自のP3Cに乗り込み、感想を漏らした。表示画面は丸形、角形とばらばらで互換性がなく、しかも白黒。一部のデータ処理容量は携帯電話にも劣る。
豪軍のP3Cの場合、表示画面はすべて同型でカラー表示。カナダ軍と共通の最新機器を搭載していた。派遣機長の印出井光一・三佐(40)は「ハワイで外観だけ見たが、これほど進んでいるとは思わなかった」。
豪軍五万二千人に対し、自衛隊は二十四万人。人数で勝るものの、日本の防衛費は高額なミサイル防衛(MD)や駐留米軍経費などに回り、装備は旧式化しつつある。
訪問中、豪軍の潜水艦を互いのP3Cで発見する訓練が行われた。「発見は簡単。技量を探るのではなく、親善が狙いだから」と印出井三佐。
豪州は日本との関係強化を求めて、P3C哨戒機による訪日を五回繰り返した。ようやく実現した海自P3Cの豪州訪問は、日本が「多国間安保」へ踏み込むハラを固めたことを示すシンボルになった。
今年三月十三日、安倍晋三首相と豪州のハワード首相は「日豪安保共同宣言」に署名した。宣言は「日豪の安全保障協力は、日米豪協力の強化に有益」と日米豪三カ国の連携を打ち出した。
この共同宣言は米国の強い後押しを受けている。防衛省幹部は「イラク戦争で手いっぱいの米国に代わり、日豪でアジア太平洋の監視を強めていく」という。狙いは、台頭する中国に対抗して太平洋トライアングル(三カ国連携)をつくることにある。
当然ながら、中国メディアは「中国けん制が狙いだ」と一斉に反発したが、安倍首相は「さらにインドとの対話を考えていきたい」と中国を挟みこむ考えを表明した。早速四月には、日本近海で初めて日米印三カ国による共同訓練が行われた。
海軍の象徴は軍艦だが日本には百機のP3C哨戒機がある。ソ連崩壊後、部隊配備は七十機に削減されたものの、活動範囲はむしろ広がった。
P3Cの機長たちは「海外派遣といえば米国だった。今では豪州、シンガポールへ延びた」。実現しなかったが、インド洋で続く海自艦艇による洋上補給を支援するため、三機二百人の部隊をインド洋に派遣する計画を練ったこともある。
海上自衛隊は、新たな安保戦略の“水先案内人”になるのか。
2007年6月1日
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