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http://lin-fc3.dyndns.org/top/cgi/archives/2007/03/post_56.htmlより転載。
2007年03月13日
反共イデに裏打ちされたニヒリスト【冷笑主義者】が無党派を代弁しているはずがない
無党派とは何か?
これは多面的な方向に発展する疑問だ。
そしてこれほど多種多様な答えの出せる疑問もないだろう。
ただ確実に言えるのは、反共主義という一党派に覆われたニヒリズム(冷笑主義)が無党派を代弁などしていないということだ。
現在の日本には無数の党や党派が存在し、そこに所属する人、その党や党派の支持者が存在している。
一方でそういった党や党派に関わりのない生活をしている人も存在している。
戦後直後と現在と比べれば、後者が増えているのは間違いない。
【共産党創設の「原点」とは】
さて、世界で共産党が20世紀において果たしてきた役割について私なりに書いてみよう。
第一次大戦の時代、当時のヨーロッパでは愛国主義の名のもと、それまで党派争いをしていた各党はこぞって戦争協力へ走っていた。
社会民主党もその流れに抗することができず戦争協力政党になろうとしていた。
しかし社会民主党内部には、この戦争に対する姿勢をめぐって内部対立が起きていた。
その中で反戦の姿勢を明確にした勢力は社会民主党を離脱して新たに共産党を創設した。
共産党は「反戦」と「労働者の国際連帯(インターナショナリズム)」を掲げて、愛国主義(ナショナリズム)渦巻く社会に抗して生まれ出たという歴史を持っている。
私は共産党の「原点」はここにあると見る。
その後の歴史の過程で、共産党を標榜する勢力が政権を獲得しそして崩壊したという曲折があったとしても、この歴史が生み出した「原点」は揺るがない。
私は現在の日本で共産党のこの「原点」を接着剤とした運動があってしかるべきと考えている。
なぜならこの「原点」が現代社会でもなお価値を持ちつづけていると考えるからだ。
「原点」があれば「その他」も当然ある。
それは共産党の掲げる経済政策や天皇制・自衛隊に対する考え方など挙げればきりがない。
しかしそのことだけで共産党を排除する理由にはならない。
それを上回るだけの共有しうる「原点」があるからだ。
共産党に限らずその勢力の持つ「原点」が価値を持ちつづけるかぎりは、あらゆる運動体から排除されるべきではないだろう。
【ニヒリスト(冷笑主義者)は無党派を代弁などできない】
無党派を自認(?)しているある人によれば、共産党を評して
『俺たちが一番嫌うのは、党利党略からくる政治主義なのだ』
『一番われわれの感覚に遠いところにあるのが日本共産党ではないかと思う』
としている。
えええ?
共産党というだけで排除するような行動は無党派ではなくて反共イデオロギーの党利党略じゃないの?
『俺たち』とか『われわれ』なんて言葉くくるのは止めてほしいな。
というのが直感的感想だ。
少なくとも「反共」という事実上の”党派”の背骨を持ちつつ、冷笑的に物事をとらえる傾向が「無党派」を代表しているとは到底思えない。
【都知事選挙での民主党の位置と価値】
今回の都知事選挙で民主党は一度浅野氏に推薦を申し入れたが断られた。
しかしそのあと逆に浅野氏は民主党に支援の申し入れをしている。
このことについて都民への説明は未だもってないままだ。
たとえ裏方から後方支援すると強弁しても、事実上の推薦と同じだ。
これを党利党略であるかないかを一般都民・無党派層がどう判断できるというのだろうか?
このまま選挙戦が進んで、無党派からの心の入った信頼が得られると考えているとしたら大甘だ。
無党派からの信頼を得る道を閉ざしているのは吉田万三氏でも共産党でもない。浅野氏自身だ。
そしてそんな大甘な方向を推し進め、共産党の支持者を向こう側に追いやることで反石原勢力の分裂を引き起こす、浅野氏支持を標榜する自称無党派こそが信頼を失っていると知るべきだ。
投稿者 new-era : 2007年03月13日 02:05
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コメント
私は学校の社会科で、「選挙とは、有権者が候補者の政策を比較・判断して投票するものである」と要旨、教わりました。しかるに、今の都知事選の「石原対浅野」の報道および、浅野氏の一部支持者の「吉田はおりろ」の言説を見ますと、私が教わってきたことは間違いであったのだろうかとの錯覚に陥ります。選挙は人気投票ではありません。政策で投票するものです。なぜなら、自分自身の生活がかかっているからです。そこのところの基本を忘れている方が非常に多いと思います。
私が思うに、浅野氏を支持する一部の人は、「どうせ都民は政策など見ない。ムードで投票しているだけだ。ならば、そのムードを非石原の方に向けることが先決だ」と思っているのかもしれません。もしそうなら、都民をたいへんバカにしていることですし、都民の政治意識をなんら変えることにつながりません。
森喜明(こんな字でしたっけ?)は非常に評判の悪い首相で、その後の小泉純一郎はたいへん評判の良い首相でしたが、両者のやったことの間に何か違いがあったでしょうか?担い手を変えただけでやってることは同じ、というのでは意味がありません。国民の意識を、選挙線を通じて変える、という考え方が浅野氏を支持する一部の人に欠けている(どうせ大衆はバカだ)という意識が根底にあるのかもしれません。
投稿者 富田成城 : 2007年03月16日 23:52
富田様
コメントありがとうございます。
富田様のおっしゃるとおり、選挙をする機会は何度もあるわけではないので、本来であれば自分自身の生活と照らしあわせて投票所に向かうべきものだと思います。
それだけに、ムードを先行させたい人たちには普段の生活にそれほど危機感がない方が多いのかな、とも思ってしまいます。
選挙自体に関しては、選挙法が改正されるたびに非民主的選挙制度になっていることが重要です。
一番顕著なのは、選挙運動期間の短縮です。
選挙運動期間は有権者が立候補者や政党の政見を比較検討する大事な時間です。
しかしこの期間が戦後直後と比べて大幅に短縮されています。
私からすれば、有権者に冷静な判断をさせず、資金力のある組織がつくり出せるムードに乗った判断をさせる手助けをしているかのように感じます。
その意味では、今回の都知事選挙で今浅野さんを支持している人であっても、もっと選挙運動期間が長ければムードではなく政策中心の選択判断ができるのかも知れません。
投稿者 new-era : 2007年03月17日 01:17
new-eraさん、初めまして。トラックバックをありがとうございました。こんな時間ですんで今日は挨拶だけで失礼させていただきますが、今回の都知事選のおかげでいろいろ読んでいてこのブログに出会えました。これからも読ませていただきます。よろしくお願いします。
投稿者 saru : 2007年03月17日 03:35
new-era様
私の駄文にお返事をたまわりありがとうございます。有権者に「見せない,聞かせない」に等しい今の選挙制度の問題は私も十分に承知しています。「規制緩和」というなら選挙制度こそ,そのようにあるべきです。
他の記事でご指摘されている内容について,たいへん共感します。三多摩のあるまちで自然保護運動の取り組みをいろいろな立場の人たちとやっていましたが,「市民」を名乗る,ことあるごとに共産党を目の敵にする人たちのおかげで運動がおかしな方向に進んでしまい,それに反対する人たちが(共産党支持者だけでなく,良心的な市民も)離れていってしまいました。今では開発側に取り込まれてしまい,たいへん残念です。
本当にくらしや政治を良くしたいと思うのであれば,好き嫌いは別にして共産党の人たちとも一緒にやっていかなければいけないと思うのですが,どうもなかなかうまくいかないのが,いろいろな運動にかかわっている私の実感です。「共産党だから」と色眼鏡で見たり相手にしないというのは,差別でしかありません。そんな人に「市民」を名乗ってほしくないと思います。
投稿者 富田成城 : 2007年03月17日 22:11
new-era様
私の駄文にお返事をたまわりありがとうございます。有権者に「見せない,聞かせない」に等しい今の選挙制度の問題は私も十分に承知しています。「規制緩和」というなら選挙制度こそ,そのようにあるべきです。
他の記事でご指摘されている内容について,たいへん共感します。三多摩のあるまちで自然保護運動の取り組みをいろいろな立場の人たちとやっていましたが,「市民」を名乗る,ことあるごとに共産党を目の敵にする人たちのおかげで運動がおかしな方向に進んでしまい,それに反対する人たちが(共産党支持者だけでなく,良心的な市民も)離れていってしまいました。今では開発側に取り込まれてしまい,たいへん残念です。
本当にくらしや政治を良くしたいと思うのであれば,好き嫌いは別にして共産党の人たちとも一緒にやっていかなければいけないと思うのですが,どうもなかなかうまくいかないのが,いろいろな運動にかかわっている私の実感です。「共産党だから」と色眼鏡で見たり相手にしないというのは,差別でしかありません。そんな人が「市民」を名乗る資格はないと思います。
投稿者 富田成城 : 2007年03月17日 22:13
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