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(回答先: 「日本女性学会の意見書」は、西洋の考え方の借り物。賛成できません。 投稿者 東京音頭 日時 2007 年 2 月 05 日 23:31:00)
東京音頭さん、どうも。同じ女でも違う意見があるということで、コメントさせていただきます。
>子供は誰が育てるの?
>母親、父親だけじゃ育てられないでしょう。社会が育てるのですよ。
それはそうですね。
>社会は人間がいて成り立つ。その育ててもらった社会を自分も責任をもって、さらに育てていくのは当然だ。
社会に対し個人も責任を持つ。その必要性はわかりますよ。
個人主義といっても個人が社会を築いていくということを否定するどころかそれがなければ個人主義も成り立たないと思います。
>自分が生まれ、多くの人、社会に世話になっておきながら、こどもを産む、産まないは、個人の自由だなんて、そういうのを 今の言い方で言えば、自己中というのです。
自己中だとは思いませんね。
自分が生まれ、多くの人、社会に世話になっていることと、子供を産む、生まないは全くの別問題です。
それを、「こどもを産む、産まないは、個人の自由だなんて、そういうのを 今の言い方で言えば、自己中という」と言ってしまうのでは、子供を産まないのは社会的責任を果たしていないと言っているのと同じことではないですか?
つまり、子供を産まない人というのは社会に対する恩知らずだと。
そういう発想ではないですか?
>(決して産まないといっている個人をせめているのではありません。考え方を言っています。)
考え方を責めるのと、生まないと言っている個人を責めることと、一体どう違うのでしょうか。
>西洋では。生殖機能は、人間の科学力でコントロールできる、と思っている。
>キリスト教的考え方です。人が自然の摂理を動かせると考える。
>でも、生殖機能は、私達人間には作り出せない、すべて自然めぐみなのです。
それは同意します。
キリスト教ってそんな考え方なんですか。やっぱりロクでもない宗教のようですね。
>産む、産まないは個人の自由だというのなら、その子育ての環境つくりは、社会(この場合は国といっているが)の責任というのは、大矛盾。
違うと思いますよ。国には個人の尊重ということが義務付けられています。それがあるからこそ国民は税金を払って国家というものを支えているのだと思います。
個人を尊重するためには、個人個人の生き方を支援することが必要です。
そしてそれは、社会にも求められていることです。
>そんなに勝手にしたければ、勝手にして、自分の思い通りに産んで勝手に育てればいい ということになってしまいます。困っても自己責任じゃないかと。
産む、産まないは個人の自由というとき、その「自由」は「自分勝手」を言っているのではありません。
個人の生き方、どう生きるかの選択の問題だと言っているのです。
そしてその生き方を支援することが国家の義務です。
個人個人には、他人の生き方を尊重し、支援する義務があります。
「産む、産まないの自由」を言う人にも当然、他の生き方を選ぶ人の「自由」を尊重する義務があります。
>なぜ こどものいない人まで税金を払って他の人の産んだこどもの教育や医療、福祉に使うかと言うと、それはそのこどもが社会全体に必要だから。社会の宝だからです。
子供が社会の宝だというのはわからなくもありません。
しかし、子供は社会のためにあるのでしょうか?
ちょっと違和感を感じます。
また、社会のためとか言いながら、国の戦士にしようというのが安倍政権の考えでしょう。
「こどものいない人まで税金を払って他の人の産んだこどもの教育や医療、福祉に使う」理由は、先に言いましたように、他の人の生活を支えるということが社会に生きる個人としての義務だからだと思います。
>女性がこどもを産んで一人前というから反発かうのでしょうが、男も女もこども産んで、育てて一人前って、当たり前だと思うけど。
>産めない人は? 同性愛者は?
>彼らを糾弾しないような注意は必要ではない とはいわないけれど、それはあくまで例外的なことであって、この例外のために、社会の成り立ち(社会がなければ人間は生きられない)の根本を無視するのは、おかしい。
子供を産む、産まないの自由があるという主張をすることが、社会の成り立ちの根本を否定するところまでつながるのでしょうか?
それは、あまりにも、貴方と違う価値観の人を否定する考え方ではないでしょうか?
>だいたい 産まない選択も尊重しろって?その女性の選択の根拠はどこにあるの?
>社会の価値観がほとんど反映されているでしょ。
生むべきという貴方の価値観は貴方がこれまで育ってきた「社会の価値観」を反映しているのではないですか?
>産まない女性や男性がお金を持ち、自由で大手をふって楽しそうに生活しているというものを毎日見て育ったら、その方がいいかなってこどもが思うようになるでしょ。
そういう人もいるでしょうが、産める環境だと思いますか?
環境破壊が酷くなってきている、教育環境は最悪(今の日本の教育にまかしていたら子供は機械人間にされます)、格差は広がる一方。
こんな状況で、子供を産む方こそ無責任だと私は思いますよ。
>自由に選択って、本当に社会の価値観、道徳観、宗教観から離れて客観的に選択しているわけじゃないのよ。
自由に選択している人は社会の価値観とかを否定しているわけではないと思いますが。
>子を産み、子を育てる社会が当たり前になってこそ、その子供達が、一人も飢えずに、愛情を受け、精神的にも安定し、思いやりのあるこどもを皆で力を合わせて育てていこう、ということになるのでしょう。
「子供達が、一人も飢えずに、愛情を受け、精神的にも安定し、思いやりのあるこども」が育てられるという環境が整ってこそ、子供を産もうという気にもなると思いますが。
環境がないのに誰が育てる気になりますか。
ないのに産むのはそれこそ無責任です。
>そしてこどもは、その社会に貢献するように育てられていくのでしょう。
貢献する気になるような社会にすることが先ではないですか?
それが大人に課せられた責務というものでしょう。
少なくとも、社会をよくすべく頑張っている大人が少しでもいれば、自分もその大人のように、社会に貢献しようという気概を持つ子供が育つでしょう。
>昔は大切な労働者のようでしたし、今だって、基本の考え方はいっしょでいいのではないでしょうか。
人間は歯車ではないと思いますよ。
それに、今の社会、労働者は頭数で数えられる存在にしかすぎないでしょう。
大切といっても、「経済成長」なる空虚な数字を支えるのに大切だと思われているだけでしょう。
>(略)
>危険なのは、産めない女性のことを傷つけることを気にするあまり、大切なことを忘れていること。それは、産めないのはなぜか、という追求の手がゆるむこと。
>なぜ不妊が増えるのか。地球上に溢れる危険な物質、科学物質たっぷりの食品、不自然な生活などのせいではないのでしょうか。
>もっとこちらを追求すべきです。
追及すべきとの点には同意します。
>社会のために産む、というと、すぐ戦前の国家権力と結びつけるけど、(気持ちはわかるけど)それは、社会、つまり、本来ならその構成員の生存のため存在すべき社会が、ある一定の人々(権力者など)のための社会であることが問題なのだ。
>かえるべきは、そういう社会そのものであり、個人主義にのっとった、日本の長い歴史には存在しなかった、”はこもの女性の権利”をもってきたって、日本人は幸せになれないと思いますよ。
そうかといって、東京音頭さんの考え方を持ってきたからといって日本人が幸せになるという保証はないと思いますよ。
>一番の問題は、生命の尊厳などの言葉より 今私達が生きているこの社会を 長い時間をかけて先祖たちがどうやって、食べ物を生産し、水を得、生き長らえ、知恵を結集し社会を作ってきたかを、学ぶことでしょう。
まあ、同意します。
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