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(回答先: 《声明》柳沢厚労相の発言に対する日本女性学会の意見書([低気温のエクスタシーbyはなゆー]から転載) 投稿者 gataro 日時 2007 年 2 月 05 日 20:18:53)
柳沢もしょうもないけど、この女性学会の言っていることも矛盾していますね。
西洋の個人主義から生まれた「出産は個々の女性の権利」という発想は好きになれませんね。
子供は誰が育てるの?
母親、父親だけじゃ育てられないでしょう。社会が育てるのですよ。
社会は人間がいて成り立つ。その育ててもらった社会を自分も責任をもって、さらに育てていくのは当然だ。自分が生まれ、多くの人、社会に世話になっておきながら、こどもを産む、産まないは、個人の自由だなんて、そういうのを 今の言い方で言えば、自己中というのです。(決して産まないといっている個人をせめているのではありません。考え方を言っています。)
西洋では。生殖機能は、人間の科学力でコントロールできる、と思っている。
キリスト教的考え方です。人が自然の摂理を動かせると考える。
でも、生殖機能は、私達人間には作り出せない、すべて自然めぐみなのです。
産む、産まないは個人の自由だというのなら、その子育ての環境つくりは、社会(この場合は国といっているが)の責任というのは、大矛盾。そんなに勝手にしたければ、勝手にして、自分の思い通りに産んで勝手に育てればいい ということになってしまいます。困っても自己責任じゃないかと。
なぜ こどものいない人まで税金を払って他の人の産んだこどもの教育や医療、福祉に使うかと言うと、それはそのこどもが社会全体に必要だから。社会の宝だからです。
女性がこどもを産んで一人前というから反発かうのでしょうが、男も女もこども産んで、育てて一人前って、当たり前だと思うけど。
産めない人は? 同性愛者は?
彼らを糾弾しないような注意は必要ではない とはいわないけれど、それはあくまで例外的なことであって、この例外のために、社会の成り立ち(社会がなければ人間は生きられない)の根本を無視するのは、おかしい。
だいたい 産まない選択も尊重しろって?その女性の選択の根拠はどこにあるの?
社会の価値観がほとんど反映されているでしょ。
産まない女性や男性がお金を持ち、自由で大手をふって楽しそうに生活しているというものを毎日見て育ったら、その方がいいかなってこどもが思うようになるでしょ。
自由に選択って、本当に社会の価値観、道徳観、宗教観から離れて客観的に選択しているわけじゃないのよ。
子を産み、子を育てる社会が当たり前になってこそ、その子供達が、一人も飢えずに、愛情を受け、精神的にも安定し、思いやりのあるこどもを皆で力を合わせて育てていこう、ということになるのでしょう。そしてこどもは、その社会に貢献するように育てられていくのでしょう。
昔は大切な労働者のようでしたし、今だって、基本の考え方はいっしょでいいのではないでしょうか。
女性学会*******************
・・・・・・・・そのための情報と手段を得ることができること、強制や暴力を受けることなく、生殖に関する決定を行えること、安全な妊娠と出産ができること、健康の面から中絶への依存を減らすと同時に、望まない妊娠をした女性には、信頼できる情報と思いやりのあるカウンセリングを保障し、安全な中絶を受ける権利を保障すること、などを含んでいます。
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このことについては、社会に大切なこどもなんだから、出産時に、情報や手段が用意されていて当然で、こんな、個人主義だから、声高に叫ばないと、誰もそういうことをしてくれないから、こういうあったりまえのきまりがわざわざ必要になってくるのでしょう。
中絶を受ける権利はキリスト教国ではなかったからね。こういうことをわざわざ権利としていわなければならないのね。だいたい、望まない妊娠のさいたるものが、強姦の結果できることなんだけど、バイブルには、強姦の結果の妊娠でも その男と結婚し、出産すべきとなっていて、わざわざこんなことをいわなければ、ならないわけですね。
日本には、必要ないことです。
女性学会************
産まない女性の価値は低いという、人の生き方に優劣をつけるのは、間違った考え方です。産みたくない人、産みたくても産めない人、不妊治療で苦しんでいる人、産み終わって今後産まない人、子どもをもっていない男性、トランスジェンダーや同性愛者など性的マイノリティの人々など、多様な人々がいます。どの生き方も、平等に尊重されるべきですが、柳澤発言は、子どもを多く産む女性(カップル)以外を、心理的に追い詰め、差別する結果をもたらします。
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これ自体が西洋の発想なのね。産めという側も悪いのだけど、本来生物学的に出産することだけが価値あることではありませんね。
自分のおなかから産まなくても、(男性もいっしょ) 子育てはできるし、それは立派な貢献でなんら恥じ入る事はない。自分の子 というのは、結局個人主義でしょ。だから、借り腹なんていう不自然なことが正当化されてしまうのです。こどもは親個人に属する、所有物だという発想だから、自分の子が 何がなんでも欲しくなるのでしょう。
子を産まないと、子育てができない、というのも同じ考えからきている。直接自分の子じゃなくても、慈しみ、こどもから頼りにされる存在になれるし、愛し、愛されることもできる。
そんなの、例えばマオリの社会では実証されている。
危険なのは、産めない女性のことを傷つけることを気にするあまり、大切なことを忘れていること。それは、産めないのはなぜか、という追求の手がゆるむこと。
なぜ不妊が増えるのか。地球上に溢れる危険な物質、科学物質たっぷりの食品、不自然な生活などのせいではないのでしょうか。
もっとこちらを追求すべきです。
社会のために産む、というと、すぐ戦前の国家権力と結びつけるけど、(気持ちはわかるけど)それは、社会、つまり、本来ならその構成員の生存のため存在すべき社会が、ある一定の人々(権力者など)のための社会であることが問題なのだ。
かえるべきは、そういう社会そのものであり、個人主義にのっとった、日本の長い歴史には存在しなかった、”はこもの女性の権利”をもってきたって、日本人は幸せになれないと思いますよ。
一番の問題は、生命の尊厳などの言葉より 今私達が生きているこの社会を 長い時間をかけて先祖たちがどうやって、食べ物を生産し、水を得、生き長らえ、知恵を結集し社会を作ってきたかを、学ぶことでしょう。
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