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□真実はどこに:「御殿場強姦未遂事件・判決を前に」 [毎日新聞]
▽真実はどこに:「御殿場強姦未遂事件・判決を前に」/上 冤罪主張の弁護側 /静岡
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070526-00000048-mailo-l22
真実はどこに:「御殿場強姦未遂事件・判決を前に」/上 冤罪主張の弁護側 /静岡
5月26日12時1分配信 毎日新聞
◇「16日、実は9日」少女が供述変更
◇否認に転じた少年たち
御殿場市で01年に起きた少年10人による強(ごう)姦(かん)未遂事件で、強姦未遂罪に問われた当時16歳の男性被告(21)の判決公判が29日、地裁沼津支部で開かれる。検察側は懲役3年を求刑しているが、被告・弁護側は「冤罪(えんざい)だ」として無罪を主張している。また同様に同罪に問われた4被告の控訴審判決も、8月22日に東京高裁で言い渡される。判決を前に、事件の真実を追った。
事件は、01年9月17日、少女(当時15歳)が「16日夜に公園で少年10人に強姦されそうになった」と御殿場署に被害届を出したことから始まった。同署は同11月〜02年1月にかけ、少女の中学時代の同級生やその先輩など少年10人(同15〜17歳)を次々と逮捕。当初10人は容疑を否認したものの、数日後に全員が容疑を認めた。10人は家裁沼津支部で審判を受け、うち4人は地検沼津支部に逆送された。同地検は4人を強姦未遂罪で地裁沼津支部に起訴した。
ところが、事件から約10カ月後の02年7月、少女が9月16日夜に富士市内で男性と会っていたことが発覚。少女は「16日に帰宅が遅くなり、母親に怒られるのが嫌で、9日にあった事件を言い訳にした」と供述を変えた。この供述変更の前から10人は、「警察官に『認めないと一生出さない』と脅された」「取り調べが嫌で楽になりたかった」などと明かし、相次いで否認に転じた。
県警は、関係者への聞き込みや実況見分などで裏づけ捜査を行い、「事件は9日にあった」と断定した。ある捜査員は「少女の事件描写は生々しく、まったく事件がなかった可能性はない」と公判で証言。同地検は02年9月、4被告の起訴事実の一部を変更した。
一方、4被告の弁護団は「少女の供述は信用できない」と反発。10人のうち数人に9日のアリバイがあることや、9日夜の犯行現場付近は雨だった可能性が高いのに、関係者の供述はまったく雨に触れていないことなどから、冤罪を主張した。
3年半の裁判の末、05年10月、裁判所は4被告に懲役2年(求刑・同3年)の実刑判決を下した。判決は「(捜査機関は)被害者の申告をうのみにし、裏づけ捜査を怠った」としたものの、「少女の供述は事件の根幹部分で一貫しており、日付変更も15歳の少女の心情として納得できる」と認定し、被告の否認は「合理的理由はない」と退けた。4被告は控訴した。
一方、29日に判決を受ける被告は、逮捕後に家裁で試験観察処分になり、04年3月に成人の刑事裁判の無罪に当たる「不処分」になったが、東京高裁で取り消され、同家裁は改めて同地検に逆送。被告は起訴され、05年11月からようやく公判が始まった。また、すでに少年院送致処分が確定している元少年1人も、成人の刑事裁判の再審に当たる保護処分取り消しの申し立てを行い、今年1月同家裁に受理されている。
残る4人も、いったん家裁の処分を受け入れたが、現在は冤罪を主張している。
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《事件の経過》
01年 9月17日 少女(当時15歳)が御殿場署に被害届を出し事件発覚
11月〜 御殿場市内の少年10人(当時15〜17歳)が相次いで逮捕される
02年 1月〜 家裁沼津支部、少年4人の少年院送致、1人の保護観察処分、1人(以下少年A)の試験観察処分、4人の検察官送致(後に起訴)を決定
5月30日 起訴された4人の初公判
9月19日 4人の第3回公判、地検沼津支部が事件日時を変更する訴因変更
10月17日 4人の第4回公判、地裁沼津支部が地検の訴因変更を認める
04年 3月22日 家裁、少年Aの不処分を決定
4月 5日 地検、少年Aの不処分決定に対し東京高裁に抗告受理申し立て(全国初)
12月20日 東京高裁、少年Aの不処分決定を取り消し、家裁に審理差し戻し
05年 5月19日 4人の論告求刑公判で地検は懲役3年を求刑
6月 8日 家裁、少年Aを検察官送致(後に起訴)
10月27日 地裁、4人に懲役2年の実刑判決。4人は控訴
11月29日 少年Aの初公判で弁護側が裁判官の忌避を申し立て。公判停止
06年 1月13日 地裁、忌避申し立てを棄却
5月23日 少年Aの初公判が再開
12月13日 4人の控訴審が開始
07年 1月23日 家裁、少年院送致された少年による保護処分取り消しの申し立てを受理。再審開始
2月 6日 少年Aの論告求刑公判で地検は懲役3年を求刑
5月21日 4人の控訴審が結審
5月26日朝刊
最終更新:5月26日12時1分
▽真実はどこに:「御殿場強姦未遂事件・判決を前に」/中 /静岡
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070527-00000139-mailo-l22
真実はどこに:「御殿場強姦未遂事件・判決を前に」/中 /静岡
5月27日13時1分配信 毎日新聞
◆拘置所で「無実の罪」日記
◇不安と決意、繰り返し−−家族の支え、励みに
「無実の罪」。控訴審判決を待つ4人のうち当時17歳の男性被告(22)=元少年B=が、拘置所にいた02年4月5日〜10月15日の193日間、毎日欠かさずA4判ノートに書き続けた日記の表題だ。「狭い部屋で何度も気が狂いそうになり、ボールペンで手首を切ろうとしたこともあった」と当時を振り返る。
日記には、「もう嫌だ」「家に帰りたい」との不安と、「真実は一つ」「絶対に裁判に勝つ」との決意が繰り返し記されている。ある時は、家族や友達に会いたい気持ちがあふれ、1ページいっぱいに会いたい人約270人の名前を書いた。拘置中にあったサッカーW杯日韓大会の日本戦の日は、所内のラジオ放送を聞きながら日本代表の戦術を想像で書いた。
逮捕時容疑を否認した10人が、なぜその後容疑を認めたのか。元少年Bは「何を言っても相手にされなかった。毎日続く取り調べが嫌で、楽になりたくて認めた」と説明する。別の男性被告(22)は「相手はヤクザなどを相手にする刑事。高校生のぼくが抵抗しても無駄だった」と明かす。当時、原付きバイクで暴走するなど素行が悪かったのは事実。元少年Bは「悪いことをしてきた罰だと思うしかなかった」と話す。
だが「やっていない事件と思うと悔しくて……。弁護士から仲間も否認していたと聞き真実を話すことを決めた」という元少年Bら4被告は少年審判で否認に転じた。
少年らを支えたのは、家族だった。当初犯行日とされた9月16日、被害少女(当時15歳)が電車に乗っていたとする時間帯に、携帯電話で約30分間続けて通話していることが、弁護団が取り寄せた通話記録で判明。家族らは少女の足取りを再現し、証言通りの電車に乗り車内から電話をかけた。どうしても途中で電波が途切れ、30分間も話すことはできなかった。また、犯行時間帯の10人の行動を調べ、少年数人が飲食店やアルバイト先にいたことも確認した。
それらの行動の末、弁護団は、犯行時間帯に少女がメールで知り合った男性と会っていたことを突き止めた。少女は事件日を変更し、「親に怒られるのがいやでうそをついた」と供述した。4被告は「これで無実は証明されたと感じた」という。
だが、4被告に下された審判は懲役2年の実刑判決。裁判所は「少女にも責められるべき点があるが、少年らを犯人に仕立て上げる動機が見つからず、供述を裏付ける事実もある」「被告らの捜査段階での自白供述は信用できる」とした。
元少年Bは現在、レッカー車の運転手をしている。今年5月に結婚し、年内に子供も生まれる。妻は「二度と事件に巻き込まれないように」と、毎日夫の行動を日記に記している。
5月27日朝刊
最終更新:5月27日13時1分
▽真実はどこに:「御殿場強姦未遂事件・判決を前に」/下 /静岡
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070528-00000047-mailo-l22
真実はどこに:「御殿場強姦未遂事件・判決を前に」/下 /静岡
5月28日12時1分配信 毎日新聞
◇供述の信用性が焦点に−−適正な捜査かも争点
「逮捕され早く楽になりたくて警察の言うとおり容疑を認めたが、自分を信じてくれる人のため『やってない』と言うことを決めた。強姦(ごうかん)未遂はやっていない」。御殿場強姦未遂事件で、29日に地裁沼津支部で判決を受ける当時16歳の男性被告(21)=元少年A=は今年2月、弁護側の最終弁論で持参した手紙を朗読した。
事件の一連の公判では、適正な捜査が行われたかどうかと、供述の信用性が争点になってきた。1年半前、地裁沼津支部は先に公判が進んでいた4被告に実刑判決を下したが、その一方で「少年らの自白供述には、捜査員の誘導や暗示で言ったと認められる部分もある」と捜査の問題点も指摘した。被害少女(当時15歳)が公判途中で事件日を「9月16日」から「9月9日」に変えたことなどについては、「(捜査機関は)被害者の申告をうのみにし裏付け捜査を怠った」と認定した。
しかし、当時少年たちの取り調べを担当した捜査幹部は「捜査は適切だった」と語る。少女の取り調べをした女性捜査員も元少年Aの公判で「(供述変更後に)少女の手帳や学校関係者の証言などを基に裏付け捜査をした。事件は9日にあった」と証言しており、捜査機関側は適正捜査だったことを強調している。
元少年Aは、02年1月に逮捕され容疑を認めたものの、その後家裁沼津支部の審判で否認に転じた。家裁は04年3月、成人の刑事裁判の無罪に当たる「不処分」としたが、東京高裁で取り消され、審理は家裁に差し戻され、家裁は検察官送致とした(後に起訴)。そして逮捕から約4年以上たった昨年5月、ようやく実質審理が始まった。
29日の判決は、先の4被告への判決と同様に、裁判所が少女、被告の供述をどう認定するかが焦点になる。公判で弁護側は「少女の供述は信用できず、事件そのものに疑いがある。被告が犯人であることを示す証拠もない」と無罪を主張。一方の検察側は「少女の供述には体験していないとわからない事実が含まれている。事件日変更も理解できる理由があり、被告の否認は支離滅裂で信用できない」と懲役3年を求刑している。
少年事件での供述の信用性について、えん罪事件に詳しい奈良女子大の浜田寿美男教授(法心理学)は「自分を守る術(すべ)を知らない少年は、取り調べで何を言っても聞いてくれず、長く拘束される中で、警察官に強く自白を迫られると崩れてしまうことがある」とする。また少年法に詳しい、日本福祉大の山口幸男教授(社会福祉学)は「強姦未遂事件では物証や目撃情報が少なく、被害者と容疑者の供述が重視されるが、特に少年が捜査対象の場合は、捜査機関は初動捜査・裏付け捜査により慎重になるべきだ」と指摘している。
元少年Aの裁判はあす29日、一つの節目を迎える。元少年Aの母親は「本人は不安はあるだろうが、仕事などの生活があり、落ち込んではいない。どんな判決だろろうと、私たちは最後まで戦うつもりだ」と話した。(この連載は、浜中慎哉と山田毅が担当しました)
5月28日朝刊
最終更新:5月28日12時1分