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(回答先: 園児死傷事故公判『悔しいけど最善の求刑』(真犯人は他にもいる) 投稿者 戦争とはこういう物 日時 2007 年 3 月 17 日 00:49:00)
交通事故に厳罰適用を、との世論がマスコミ上でしきりに繰り返されるが、そこには別の意見もある。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(引用ここから)
暮らし・なぜ交通事故は減らないか(1)自動車事故は確率的に不可避
http://www.janjan.jp/living/0703/0703041018/1.php
まもなく春の交通安全運動の時期になる。報道発表され
る交通事故死者数は、年々減っている。この部分だけでは
交通事故対策の効果が挙がっているかのような印象を抱く
人が多いと思うが、そう単純ではない。
参考までに、地域別・条件別など、詳細に交通事故のデ
ータが検索できる
「事故統計情報」というサイトを紹介しておく。ここで都
道府県別の交通事故による死傷者数をみると、99年から
04年までの6年間で、死傷者数が減っているのは、北海
道・石川県・山口県・高知県のみで、他の都道府県はすべ
て増加している。全国平均では、99年に対して110%
である。決して社会全体の交通事故のリスクが減っている
のではない。
なぜ交通事故は減らないのか。結論を先に言えば、政策
として減らそうとしていないからである。たしかに警察・
道路管理者・自治体のそれぞれの現場の担当者の多くは、
与えられた職務の範囲内で、まじめに仕事をしていると思
う。しかし、それぞれの組織が別の方向を向いて活動し、
国全体として総合的に交通事故を減らそうという整合的な
政策が行われていなければ、穴の開いたバケツで水を汲ん
でいるようなもので、担当者の努力も活かされない。
筆者は先日、運転免許の更新期日が来たので、居住地の
運転免許センターへ行って更新した。優良運転者扱いなの
で、冊子をもらって短時間の講習で終わりだが、その冊子
(図1)には驚くべきことが書いてある。それは「くるま
社会と言われる今日、私たちの日常生活の中で、車なしの
生活など考えることはできません」(*1)というのであ
る。これは、物理現象としての事故の観点で読み換えると
、「交通事故を減らすことなど考えることはできません」
と言っているのと同じである。
すでに筆者の過去の記事でも指摘したが、都道府県別の
自動車保有台数と、交通事故死傷者数の統計的な相関を取
ると、図2のように、ほとんど比例的関係がみられる。自
動車の保有台数は現在も年々増加している。
一方、運転している不特定多数の人をマクロ的に捉えれ
ば、その認知能力・運動能力などはそう簡単に向上するは
ずもない。むしろ今後、免許保有者の平均年齢が上がって
ゆくことを考慮すれば、社会全体としての運転者のレベル
は、低下すると想定せざるをえないだろう。したがって、
どの都道府県別でも、自動車保有台数が増え続けるかぎり
、交通事故死傷者も増え続ける。
保育園児の列に車が突っ込み21人が死傷した事故(埼
玉県川口市・昨年9月25日)に関して、業務上過失致死
傷罪に問われた被告の検察側の求刑公判が3月2日に行わ
れた。報道によると、検察側は「無謀な運転性癖による極
めて重大な過失。凄惨(せいさん)な大事故で、自動車に
よる交通事故の中で最も悪質」(*2)としている。しか
しこの事故は、飲酒でもスピード違反でもなく、明示的な
道路交通法違反の要因はみられない。要するに「わき見と
不注意」ということである。
この事故を巡っては、被害者の家族が業務上過失致死傷
罪の法定刑の上限(現在は5年)の引き上げを求めて署名
活動を行い、約21万人分の署名を集めて法務省に提出し
ている。これは一見すると、被害者の心情にシンパシーを
抱く多くの人が賛同した結果という印象を受けるが、筆者
はむしろ、交通事故に関して、正確な情報が伝えられてい
ないためではないかという懸念を持つ。というのは、前述
の冊子にもあるとおり「車なしの生活など考えることはで
きない」のが現実だとすれば、署名した約21万の人々の
大部分は、自分たちも日常運転しているはずである。した
がって図2に示すように、事故は確率的に不可避である。
この署名は「もし自分が加害者になったら厳罰に処して
ほしい」という意志の表明でもあるのだが、多くの人々が
そのような認識の上で署名しているのだろうか。それどこ
ろか「事故を起こすのは一部の悪質なドライバーであって
、自分は大丈夫」と、他人事のように思っているのではな
いだろうか。「自分も加害者になる可能性がある」という
想像力に欠ける人が加害者になるのである。しかも「業務
上過失」として一般化しているのだから、一瞬の油断によ
り職場で事故を起こしたような場合でも、「自分を厳罰に
処してほしい」と言っていることになる。(続く)
(*1)全日本交通安全協会「人にやさしい安全運転」平成18年6月版、p.1。
(*2)2007年3月2日「読売新聞」(インターネット版)
[上岡直見]
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(引用ここまで)
犯人を庇う理由はないが。
厳罰による恐怖政が抑えられるものには限界があるのも事実。