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(回答先: Re: 「平和憲法リスペクト国家」としての日本は果たして成立するか? 投稿者 そのまんま西 日時 2007 年 5 月 05 日 00:28:11)
>そのまんま西さん ご意見どうもです。
>【「既に平和憲法を持つ」日本は「平和憲法の精神」を世界に対して啓蒙していく「平和憲法リスペクト国家」としての役割を有することができるのではないか。】
その事は、簡単ではありませんが、その方向に進もうとする選択が大切です。
>【「自己の利益を拡張するための手段として戦争が必要な輩」が「有史以来多数存在する」のが「現実の世界」であることも「疑いようの無い事実」である。】
確かに人類の歴史的事実として、戦争と言う手段によって「相手から詐取を行ってきた」という悪の歴史があります。この歴史は「愚かであり、悲劇でした。」
しかし、過去は過去、過去の歴史を反省した立脚点から「未来を創り出す」という観点から考えれば「未来においては暴力(戦争的手段)は放棄されるべき」というのは誰にでもたどり着ける結論でしょう。
ただ、主観における盲点となったり、意識的にたどり着きたくないという価値観があったりして、たどり着けるのにたどり着こうとしない人も存在します。
「他人からの詐取」を楽で安易と考える価値観と、それを「繰り返してきたという歴史の足跡」が「未来においても同様の事が起こる」との判断を生み出します。
疑心暗鬼の心理状況の中で「皆(=世界)が明るい未来」ではなく「自国のみが明るい未来」を選択すると云う結論に至り、人類は進歩の一歩を踏み出せないのです。
「戦争と云う手段を行使した国とは、貿易を行わない」という世界憲法が確立されるなら、国と言う単位において「戦力の保持は必要なし」という事になるでしょう。
領土を有しない「世界の警察機構(=多国籍の国連軍)」というような「中立的な戦力の保持」と引き換えに「世界中の各国における戦力の保持は放棄できる」でしょう。
例えば「自衛隊」は「災害救助隊」として「日本国としては災害時の救助の要請権」を有するだけで「戦力としての指揮権は国連(世界政府機構としての機関)に委ねる」と云うことになれば、「国権の発動たる戦争は起こせない」でしょう。
また、戦力の規模は「国連によって調整する」という事になれば、自衛隊は「日本に駐在する国家警察機構」となり、憲法的にはセーフとなるでしょう。
世界の方向的には「世界政府」になり「各国の軍隊は、その国の災害救援活動(駐在国に指揮権を与える)と戦争防止機構・警察機構(国連に指揮権がある)とするなら「国家のエゴによる軍事行動はなくなり、世界的に軍縮の方向になるでしょう。
もちろん、一朝一夕に成しえる事ではありませんが、日本政府として世界に対し、そのような提案をしていく事が、平和憲法を持つ日本の役割でしょう。
それを訴えていく中で「未来における日本の存在価値が形成され、それは日本の国益になる」のだろうと思っています。