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(回答先: いいですか、よく考えて下さいね。 投稿者 考察者K 日時 2007 年 4 月 12 日 21:04:17)
こんばんは。
>まず、重要なのは「天皇」と「憲法」はどちらが上位に位置するか?です。
>【第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス】
>【第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス】
>は第四条の上位項目と考えれば、その時点で「当時は法治国家とは言い切れない状況の国」だったのだと考えられます。
天皇が統治すること(1条)と、天皇が帝国憲法にしたがって統治すること(4条)とはなんら矛盾しません。
同じ方向の規定です。1条の統治方法の具体化が4条でしょう。したがって、帝国憲法の条規にしたが4条に違反する天皇の行為は無効です。って、こちらはどちらかというと、天皇は4条に違反していないし、13条に合憲な「日本国憲法」を講和内容と履行として公布されたと考えています。
貴殿のように「日本国憲法」を憲法としてとらえ帝国憲法違反の産物とは考えていないのです。
>仮に、天皇が「第四条の規定は、気に入らないので削除したい。」と言えば、それを阻止する事は現実的に不可能だったでしょう。
>天皇は人神さまであり、絶対的君主ですから「天皇は憲法の上位に位置する」と言う事です。
仮の話のうえに想像を重ねてものをいうのはやめてください。
それに天皇が憲法の上位に位置するということと、帝国憲法の条項にしたがって行為をすると規定してある4条とはなんら反発しないのですが?
75条に違反する、つまり4条に違反する「日本国憲法」は憲法として無効です。
>>>【>例えば、旧憲法下で天皇が勅命を持って、正式な手順を踏まずに「強行した事」があったとして、誰かが「法律違反なので、やめるべき」と言えたでしょうか?
>>>言えるのは「反国家主義者」くらいで、たちまち牢屋にぶち込まれるでしょう。
>>法治国家ではなかった根拠をしめしてください。貴殿は断言しているだけです。断言だけなら誰でもできますので根拠を示してください。】
>キチンと論証しているでしょう。
>しかも、Kは断言もしていません。
論証などしていませんでしょ。断言しているだけでしょ。
>「天皇が決めた事を帝国議会はひっくり返せた」という論証ができるのかな?
なぜ、その論証が必要なのですか?
「日本国憲法」に関して言うと当時天皇は「日本国憲法」について何か決めましたか?
その天皇の決めたことが、帝国議会の決めたことと反発するような事態があったのですか?
>と言う意味で【誰かが「法律違反なので、やめるべき」と言えたでしょうか?】と疑問符付きですね。このような場合「断言」とは言いません。
天皇は「日本国憲法」を公布しただけす。
無効な規範が天皇の行為によって有効になるという根拠はなに?
>で「73条違反」ではないでしょう。「形式は不完全であっても一応、整っている。」と思われます。
いいえ、整っていません。「勅命ヲ以テ」発議することが必要です。貴殿が不完全と書いているとおりです。
したがって73条と発布勅語に違反していることが無効原因になります。
●73条 將來此ノ憲法ノ條項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝國議會ノ議ニ付スヘシ此ノ場合ニ於テ兩議院ハ各々其ノ總員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多數ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ爲スコトヲ得ス
http://www.meix- net.or.jp/~minsen/kako/bunko/kokutai/kokutai3.htm
理由8 憲法改正発議権の侵害
占領憲法の起草が連合軍によつてなされたことは帝國憲法第73条で定める憲法改正発議権を侵害するもので無効である。帝國憲法発布勅語及び帝國憲法第73条第1項により、
憲法改正の発議権は天皇に専属し、帝國議会及び内閣などの機関、ましてや、外国勢力の介在や関与を許容するものではないからである。
これは帝國憲法第73条の解釈の定説である。
>>【我が国が当時法治国家でなかった根拠を示してください。尚、「さからえない」かどうかということと、法律行為が有効かどうかはまったく別次元の問題です。】
>「私がルールブックだ!」だと言った審判もいたでしょう。
>当時の天皇には「私が憲法だ!」という資格があっただろうと思いますよ。
>別次元でも何でもなく「憲法より上位の存在があり、それは法的に選出された人ではなかった」のですから、少なくとも一般的な現在の概念での法治国家とは言えないでしょう。
>現在の「日本国憲法下」での常識での「法治国家」とは、全く違い「絶対君主の意向から枝分かれした部分での法治国家」だっただろうと言えるでしょう。
上位であろうと、帝国憲法をみる限り上位の天皇がこの憲法の条規にしたがった統治を行うとしているのです。ましては帝国憲法これ自体の改正となると、この憲法の条規に
したがって行うのは当然です。
事実をみても天皇は占領軍が強要した改正手続の流れにそって「裁可」と「公布」をしただけです。
なにも、帝国憲法に違反してまで有効にせよとの意思を表示されたわけでもありません。
帝国憲法をよく承知の天皇にしてみれば被占領下の改正行為は75条によって明らかに無効であり独立回復の条件整備の一環(講和の履行)として「日本国憲法」を発布された
と考えられます。公布の意味を時系列で考えてみましょう。
□が有効な手続。
■が無効な手続。
→が憲法改正行程の方向。
とします。
普通は、手続の順を追って
□→□→□→□ で円満に有効な憲法が成立するところだとすると、
「日本国憲法」の場合は、
■→■→■→□ です。
最後の □ が天皇の裁可や公布や御名御璽といえます。これが有効だったかどうか疑義があるにしても、
ここでは仮に有効として □ と記しますが、前の何段階かの ■ の無効手続、そもそも実質を考えれば有効な手続きが一切行われていない対象を、
天皇の公布 □ で治癒できるのですか?無効な憲法が公表されただけ(つまり憲法でないものが公表されただけ)のことでしょう。
公布されれば有効というのであれば公布という行為が立法行為という「法創造の原動力」に匹敵することになります。
>>【強要受諾させられたGHQ案を翻訳した政府案の修正を実際におこなった小委員会の議事録が50年近く秘密にされてきたのですが、平成7年にようやく公開されたのです。 その議事録によれば議会審議の実態は日本側に自由意思がまったくなかったことが判明しています。】
>75条は天皇が「摂政」の時の事は書いてありますが、「議会に自由意志がない」時の事なんて書いてないでしょう。
>元々「帝国議会」は「天皇の意向を無視した自由意志など認められていなかった」くらいでしょう。
>【摂政】というのは「天皇が幼少、不在など」の理由で「政治が行えない状況」であり、現憲法は「天皇が公布した」のですから、「摂政」ではないでしょう。
>【議会審議の実態は日本側に自由意思がまったくなかった】としても、全く関係ない事でしょう。
おなじ解説をなんども書かせないでください。
「摂政を置くの間」とは国家の変局時を想定してあるのです。天皇の個人的な状況の意味も含みもしますが国家の異常事態を想定した条項です。
つまり「摂政を置く」程度を超える異常・・・国家が変局の事態にある間は憲法改正を禁止するという意味です。
http://inosisi80.iza.ne.jp/blog/entry/123476/
http://www.youtube.com/watch?v=XMxGM9tIa-4
文字どおり摂政でなくとも適用されます。摂政を置く程度の変局をはるかに超える予測もつかなかったくらいの異常な変局時ですからなおさら75条が適用され改正が禁止されます。この禁止を破って改正を断行しても無効です。
まず、天皇の一身専属にかかる改正発議権(←発布勅語と73条に規定されている)が既に侵害されています。
政府にも帝国議会にも自由意思がありませんでした。完全の主権もありませんでした。これらのことだけでも「摂政を置く」を超える変局時であった明白な証拠です。
>いいですか、どのような経過であっても「天皇が決断した」のです。「摂政」というのは天皇は「決断できなかった」場合の事です。
勘違いされていますね。天皇は決断などされていません。決断の事実がありません。
特に「帝国憲法違反をのり超えてでも有効にしろ」との決断がありません。存在しない決断のつくり話をされては困ります。
規定どおり「日本国憲法」を公布されただけです。
どこで何を天皇が決断したのですか?上の時系列の例で最後の裁可や公布手続によって帝国憲法違反を治癒できるものでもありませんし、日本側自由意思による
立法行為の不存在に代替することもできませんし、そういう治癒行為を決断された事実もありません。
>まあ、千歩譲って、天皇は「その時、気が狂っていた」として、天皇の言葉は「全く意味のない戯言」だったとしましょう。
>その場合にのみ「日本国憲法は占領下条約」でしかなかったと言える可能性があります。
いいえ。そんな解釈はまちがっています。
伊藤博文著「憲法義解」の75条の解説にはこうあります。
「恭て按ずるに、摂政を置くは国の変局にして其の常に非ざるなり。
故に摂政は統治権を行うこと天皇に異ならずと雖、憲法及皇室典範の何等の変更も之を摂政の断定に任ぜざるは、
国家及皇室に於ける根本条則の至重なること固より仮摂の位置の上に在り、
而して天皇の外何人も改正の大事を行うこと能わざるなり」
<摂政を置くは国の変局にして其の常に非ざるなり>として、予測される国家の変局時を規定してあるのです。
主権喪失、被占領下の変局時にある日本国は帝国憲法のこの
75条 憲法及皇室典範は攝政を置くの間之を變更することを得ず
に則れば、これに違反して改正を(仮に天皇が)断行しても無効です。
天皇には帝国憲法に則れば改正無効を承知のうえで改正行為の外形をとっておられる可能性があります。
>しかし、天皇は「条約下に入る時に期限を宣言しなかった」ですし「条約の解除もしなかった」のですから、どうにもならないでしょう。
>条約下にある内は「現天皇は象徴天皇」でしかありません。前天皇が亡くなった時点で、永久条約でしょう。
いいえ、条約や講和条約は憲法の規定にもとづいてその権能の行使として締結されるものですから、もし「日本国憲法」が条約や講和条約であれば、上位に憲法が存在します。つまり帝国憲法が存在します。
現在の法序列段階は、次のとおりです。
帝国憲法>「日本国憲法(講和条約)」>法律>命令
>ともかく、当時の状況は「摂政」状態であったことの意思表示を出来るのは昭和天皇だけであり、
>天皇以外が「想像だけで、あの憲法公布は真意ではなく、摂政状況だった」と決めつける事ではないでしょう
http://inosisi80.iza.ne.jp/blog/entry/123476/
上記75条の解説「摂政を置くは国の変局にして其の常に非ざるなり」等をよく読んでください。
>また、敗戦時に「大日本帝国は滅んで、憲法も消滅した」とも考えられます。
ポツダム宣言受諾も降伏文書調印も「日本国憲法」受諾もサンフランシスコ講和条約締結も、すべて帝国憲法13条の「和を講じ」の行為です。
昭和21年から「日本国憲法」が憲法として有効であれば昭和27年の戦争終結を目的として講和条約締結権限は「日本国憲法」のどこから発生するのですか?
戦争を終結させる講和大権を保持している憲法は我が国には歴史上、帝国憲法しかありません。「日本国憲法」にはその権能がありません。講和締結行為は、交戦権の行使ですよ。戦争放棄をうたう憲法でそんな講和条約が結べますか?
>そこで、日本国が生まれ、日本国憲法も生まれた。という見方もできるでしょう。
できません。
>どこから、見ても、日本国憲法は有効ですし、現実として今日本で機能しているのです。
いいえ、どこから見ても、「日本国憲法」は帝国憲法下において講和条約として有効ですし、現実として今日本で機能しているのです。