★阿修羅♪ > 雑談専用28 > 677.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: ボサノバやジャズのコード進行は確かに気分をリフレッシュする効果があると思います。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2008 年 1 月 09 日 12:57:14)
ワヤクチャさん。
>ジョン・コルトレーンの「ジャイアント・ステップ」がお勧めです。
名曲案内有難うございます。でも、素養がなく聴いたとしてもソムリエのごとくコメントできません。(笑)せっかく、薦めていただいたのですが味わい尽くせないのが残念です。
>済みません。この文章についてもう少しご説明いただけませんでしょうか?「客観の
等価形態としての主観の表出」とはどのような意味なのでしょうか?「主観、客観を切
り離さなくても同一性は担保される。」とは?客観世界を想定した上で人間の意識に現
れた現象は客観世界の反映だという事でしょうか?私には客観世界の想定自体が「命が
けの飛躍」のように思うのですが。人間の認識がついには及ばない事柄を前提にしてい
ると思うのです。つまり「神はいる。」と根拠なく信じる事と同じに見えるのです。
拙い説明しかできませんが、若干述べさせていただきます。
マルクスの価値形態論を読んでいれば理解しやすいかと存じます。もちろん、よく読み込まれている方からすれば、足りない部分が散見することをお断りしておきます。
まず、交換が始まる初期状態であるとして、人々の間で物々交換が行われているところがあり、そこでよく流通していたもの(米など)が、ある時に財の価値を示す基準となったとします。やがて、それが通貨の役割を担うことで、他の諸々の財は、ある一商品(米など)の価値ではかられるように変化します。ここで、重要なのは「商品」は売られる前から存在するものではなく、売買を経た後に「商品」となることがポイントです。
この時、価値を示すある財(金)が、中心から析出されてメタの位置に投げ出される(オプジ
ェクト)ことで、貨幣が出現するということです。ちなみに、この貨幣を通じて対モノ間での交換が成立するか否かの境囲が「命がけの飛躍」をはらむとマルクスは考えたらしいです。
ワヤクチャさんは、形而上を想定することが「命がけの飛躍」であると理解されていると思うのですが、もし、そうであるならば、信仰者の大半は「命がけの飛躍」を体験されたことになりましょう。そのことについてはどのようにお考えなのでしょうか?