★阿修羅♪ > 雑談専用28 > 559.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 多分、今必要なのは「感情論」との向き合い方と「行き過ぎた人権保護」の見直しだと思う。 投稿者 考察者K 日時 2008 年 1 月 03 日 22:33:26)
物事には様々な視点がある。
「どうしても、その日にやらなければならない。時間外労働のネタなんてない」という意見もありそうだが、例えば、「当日の朝から取りかかったのでは間に合わないような、大量商品の納入準備(チェック作業)」などは、そう言った類の仕事だろう。
「大量の弁当の注文を受けていたが、弁当の入れ物がない」ではどうにもならない。
企業の信頼性に直接影響を与える種類の仕事を放棄したら、困るのは企業だけではなく、企業で働く人全員である。
そう言った仕事は「管理者」もしくは「中間管理機構」のような人(部署)が責任を持つべきである。
という意見も間違いではないが、時間外労働の「依頼」をするのが「それに当たる」
また、企業の存続については「出来るだけ、効率よく、手慣れた人が、短時間で行える作業」は「そのようにした方が良い」だろう。
では、そのように「絶対必要な作業」については「しっかりと時間外労働の賃金を用意すべきであり、そもそも、正規の勤務時間内で行うべきだろう」となるだろう。
ここが、大きな問題点なのだが、一般論として、上記の意見は正しい。
しかし、全てが一般論で割り切れるか?と言えば「割り切れるとも言い切れない」
仮に「利潤が1000円生ずる仕事があって、そのために2000円の時間外労働手当を支払う企業があったら倒産は確実」だろうと思う。
本来、普通の人なら8時間(正規の労働時間)あれば「悠々終了する作業」を「終わらせられない従業員」がいた場合、その労働者に「時間外勤務手当を支給して作業を終了させる」のが正しい事か?
それとも「仲間の労働者が手伝って終わらせる」のが正しい方法論か?
効率が悪い、能力が足りない従業員が生み出した「リスク」はどこが負うのが正解か?
という事であるが、負うのは、まずは「本人」であろうが、これだと「サービス残業」は容認しても良いという結論にならざるをえない。
では「仕事仲間が負う」のが良いのか?
「企業が負うのか?」
それとも「社会が負うのか?」という問題になってくる。
仲間が負うとすると、一緒に働く仲間に取っては「迷惑」である。
そこに「虐め」という感情が生ずるのは仕方がない。
では「虐め」は是認されるのか?という問題も発生するだろう。
で、時間切れ