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どうも、最近の日本の大きな問題点として「この人は嫌いだから、意見も間違っているに違いない」という「感情論主導の結論の決めつけ」
と
「行き過ぎた人権の保護(権利に過保護)」という部分がある気がする。
「企業」「権力」「男子」などを上位に「日本の文明が進んできた」のは事実である。
今までのバランス感覚は「異常であった」事は間違いない所ではあるが
では、今の方がマシか?と言われると「はて?」と思う。
「バランス感覚の異常」を是正しようとして「基準というものが喪失してしまった」のだろうが、非常に不安定で息苦しい社会になってしまった。
訴訟社会という事だが、これ「声の大きいものだけが有利になる」という社会であり
「気弱な者」「正直で真面目な人」「物わかりのいい人」などが馬鹿を見るという社会になっている。
例えば「その会社で、1時間×2人分の残業分の仕事が残った」とする。
上司は2人に「残業」を伝える。
しかし、残業代は「予算の関係などで、払えるかどうか」自信が持てないので、協力依頼という形だったとする。
権利主張が出来る人は「残業代が保証されていない残業依頼は職務命令にはならない」と言って帰る。
残った「真面目な物わかりの良い職員」は「2人分の残業」をする事になる。
人間として「どちらの行動が正しいか?」は置いておくとして「人間的に好意が持てるのは後者」ではないだろうか?(ここも、比率の問題であり、当然ながら、前者に好意が持てるという人もいるだろう)
理論的に言って「前者にペナルティを課すのは不当」だろう。何も間違った事をしているとは思えない。
で、それでは「2時間のタダ働きをした後者」の行動は「批判されるべきか?」というと難しい。
人間的には「人間として協力できる範囲で協力する」という献身的行為は評価されこそせよ、批判されるものではない
しかし、これは「あくまで人間性」という意味からの考察であり、労働者(労働組合)敵には「労働力のダンピング」をした「裏切り者」という批判はされても良いだろう。
「人間性(感情)」と「組合的(権利主張)」にズレが生じているのである。
この辺まで突っ込んだ考察をしていくと、問題の本質が見えてきて、是正策も浮かび上がってくるだろう。
今年は、そんなテーマで「言語変換能力の発揮」を考えている。