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日本人の自殺は年3万人程度をキープしている。
この内、過労自殺と言われるものは「企業・社会環境による殺人事件」であると言えるだろう。
「逃げ場の無い社会環境が自殺をさせる」のである。
自殺するのは「責任感が強く、真面目な人」が多い。
同時に「過労死」という状況もある。これ「強制労働の末の衰弱死」と何ら変わる事がない。「シベリアの強制労働」のような環境で死んだ人と同じであろう。
このような状況は「労働者への殺人行為」だろうと思う。
場合によっては「銃や刃物という凶器」によって「苦しむ時間が少ない状況で行われた殺人事件」よりも「よっぽど残酷な殺人行為」である可能性もあるだろう。
このような状況を根本的に改善するには「過労死・過労自殺」は「企業(体質)・社会環境による殺人事件」と「社会全体が共通認識を形成する」しかないのだろう。
もっとも、現行社会は「企業優先構造社会」である。
企業中心の論理が形成されているので「簡単に認識を変えられる」と言う事はない。
まずは、労働者が主体となって「過労死・過労自殺は殺人事件だ」と認識の変更をしていく必要がある。
頭で「運動」として考えるのではなく、心の底から「これは、殺人事件」と思うのである。
企業・社会環境による殺人事件だと考えたなら、どこかに犯人がいるはずである。
もちろん、その人の「過労死・過労自殺を止められなかった周りの関係者全て」に一定の責任はある。
だからこそ「社会環境」による「殺人事件」と主張するのである。
「企業のためにそんなに根を詰めて働く事はないよ」
という上司、同僚からの一言があれば・・・
「休めないような職場なら辞めても良いよ」
という家族からの声があったなら
過労死・過労自殺までは至らなかっただろうという例も数多いだろう。
だから、周りの環境にいた人は「全ての人が無実」ではあり得ない。
全ての労働者・生活者は「周りから過労死・過労自殺を生み出さないように日々努力する義務がある」と言えるだろう。
それを「怠ったのなら、それは罪である」と言えるだろう。
しかし、主犯は「企業」であろう。利益優先主義の「人件費コスト削減に依存した企業主義」が主たる要因である。
しかし、ここも「環境」の問題である。
「日本人の企業依存体質」「自分の命よりも御家の存続が大切」というような習性も問題ではあるが、それだけでは「殺人事件」にはならない。
どこかに「労働者の人権よりも、企業の利益の方が優先される」と考えて、実際の業務運行の指令を行い、机上の空論を振りかざして「現場を締め付ける」という「確信犯的な悪の根源とも言える人間」が存在する。
このような輩は「TOP」ではない。
上層部だけに顔を向け、現場の方を向こうなどとは絶対に思わない「官僚機構」である。
常に「人々からは見えにくい場所」で「上部にへつらうだけで、現場の状況を無視した机上の空論をこねくり回している」という存在である。
仮に「過労死・過労自殺」が発生した場合、この部門の者の「人権意識が無かった」ということである。
人権意識が希薄だったなどという事ではない「無かった」のである。
ハッキリ言うが、人間そう簡単に「過労死・過労自殺」などしない。
過労死・過労自殺に至るのは、ごく少ない例外を除いて、「この世の生き地獄」とも言える状況が「出現した結果」である。
つまり、この「見えにくい企業の官僚機構」の構成員は「死刑にしても飽き足らない人非人」と言えるだろう。
接客をしない部署で「勝手放題の事を考え、指示してくるだけで、自分たちは何のリスクも負わない」という部署がある企業で「過労死・過労自殺が発生した場合」には「十中八九」そこに「この世の生き地獄を出現させた極悪人が存在する」と言えるだろう。
事件があったと言う事は「その者は、この世の者とは思えぬくらいに、残酷で人情味は欠片もなく、現場の方の都合など歯牙にも掛けないような、上司へのゴマスリ野郎」であることを物語っているだろうと想像できるだろう。
多分であるが、そのような者は「それなりの学歴もある」だろうと思われる。
つまり、それ相当の教育を受けてきた環境で育ちながらも「人間として本当に大切な部分を形成できなかった」と言う事であり、これを端的に表現するなら
『更正の可能性などない殺人者であり、人間として最低の存在』
と言う事である。
労働者は「正当防衛のために、このような輩は死刑にする」事を主張するべきだろう。