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今年の死刑執行件数は9件に上り、近年にない多さとなった。
これはここ数年の司法の厳罰化傾向を示す一例といえる。
司法が重罰化を推し進めている背景にはマスメディアによる犯罪被害者報道の洪水ともいえる動きが関係している。明らかに犯罪被害者遺族の主張がマスメディアに以前より多く流されるようになった。その結果、国民感情の趨勢として司法の厳罰化が問題視されるどころか、逆に国民から歓迎されているようにも受け取られるようになった。
もとより、刑事裁判の判決は被害者遺族感情をそのまま反映するものではないし、あってはならない。現在の刑事裁判では、被害者遺族の処罰感情が強くても、それを唯一の理由に死刑判決を下すことはない。今までは複数人を殺害し、心神喪失状態でなかった、などの条件を満たさない場合、被害者遺族の処罰感情がどんなに強くても死刑判決が下されることはなかった。またごく少数であるが、被害者遺族が被告を死刑にしないよう法廷において主張しても死刑判決が下された事例があった。
しかし、このままマスメディアがことあるごとに被害者遺族の主張を垂れ流し続けるならば、早晩、司法は死刑適用基準を緩和し、一人を殺害した場合でも被害者遺族の処罰感情が強いことを理由に死刑判決が下されるようになる恐れがある。世界の趨勢に反して日本だけが死刑判決を増加させるという事態になるかもしれない。
被害者遺族が被告に死刑を望むのは当然であると言ってもよいが、被害者遺族の処罰感情と被告の量刑が比例するようなことになれば司法の正義は失われる。被告が多額の金銭的賠償を被害者遺族に支払い、被害者感情を慰撫することになれば死刑にならず、金銭的余裕のない貧しい被告は死刑になる、という事態を招きかねない。実際過去にそうした事例があり、被告が多額の金銭的賠償を被害者遺族に行なっていることを理由に死刑判決を免れた例があった。
被害者遺族の社会的立ち直りを支援するには社会的、行政的政策によって行われるべきであり、被害者遺族のために死刑判決を下すことがあってはならない。
もう一点、現在の司法の問題点を指摘するなら、死刑判決を下した理由として、今後の更生が見込めない、ということあげている判決が多いことである。今後どのような矯正処置を施しても更生する見込みが全くないから死刑だという。
これを素直に受け止めれば、更生が見込めない者は生かしておくに値しない殺すべき存在である、と判断したということであり、見方によっては優性思想に通ずる考え方である。この場合は、更生が見込めない者は終身刑とするのが妥当であろう。このことから、終身刑の導入は必要だと考える。しかし、この場合も司法の厳罰化傾向を考慮すると、それまでは無期懲役に相当する者が終身刑とされる恐れがある。
いずれにしても、ことあるごとにマスメディアによる被害者遺族の主張ををそのまま垂れ流す今の報道のやり方は、司法の厳罰化の先導役を果たしている意味で危険である。