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(回答先: いつまでも長時間労働に甘んじている労働者も、ある意味では反社会的な人間だ 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2007 年 11 月 11 日 03:05:48)
大変に良い意見だと思います。
ただし、この意見、阿修羅のような場所で主張するのと
職場の中で「堂々と主張する」のでは、雰囲気が変わるだろうと思います。
組織の考え方に「洗脳されない」と言う事は「組織の報復」を覚悟すると言う意味合いもあるからです。
「青臭い」と「大人らしい」の差になるのですが、組織の中はあきれるほどの「八墓村の世界」です。隔離された閉鎖空間となり、外界の常識とは正反対の常識がまかり通っているのも珍しくはないでしょう。
更には「日本という社会全体が、競争的民主主義下の企業重視の憑き物に憑かれている」という側面もあるのでしょう。
「いじめ」に合わないために「長いものには巻かれろ」という風潮があり、法律よりも人間関係などの繋がりを頼りにするという側面もあるでしょう。
その延長線上に組合依存、政党依存の体質も形成されています。
早い話が「他人が言うのは歓迎するが、自分では言わないし、表だっての応援もしない」という「卑怯者の労働者」が多数存在し、この正当な意見が「少数派に甘んじ、切り捨てられる」のが現実としてあるのでしょう。
難しい問題ですが、このような声を上げる事こそが正しい方向なのだという「社会」を創造していく事が大切です。
そのためには「自分一人でも正しい意見を言うべき時は言う」という個人を増やすのが唯一の方法論でしょう。
自己主張を出来る個人が一定数を超えれば、社会は変わります。
組合の背中にオンブにダッコに肩車をしているような「他人依存の労働者」では、いくら集合しても烏合の衆であり、改革のエネルギーにはなりません。
組合がなすべき事は「自己主張できる労働者の支援サポート」です。
もちろん、それだけではないですが、時代は「そこに重きを置くように変化している」のだろうと思っています。
組合という組織が主導するのではなく、労働者の自立を促し、支援すると言う方向に向かうべき時代が到来したのだろうと考えています。