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日々雑感
キリスト教の支配は、1000年ほど続いたのだし、フランス革命から、まだ300年も数えていない。
民主主義を「減価償却」するのは、早計だろう。
多数意見が常に正しいわけでない。
受け売りだが(フロム),
王権、君主の少数者の押し付けより、間違いの多数意見のほうがいい。
そのくらいのいい加減(?)なところから民主主義は始まったと思っていい。
確かに先ごろ、支配者たちは、民主主義を骨抜きにすることにほぼ成功した。
彼らにとって、国民とは主権者でなく、従業員、儲けさせてくれる客、あるいは、兵隊以上のものではない。
テレビ、自動車、電子おもちゃを与えられて、人そのものが変わってしまったのは確かだ。操作可能の新しい人間群が、多数派を形成している。
専門語、あるいは隠語を使えば、「疎外された人間」群ということになるのだろう。
キリスト教支配から、ルター派が生まれたり、仏教からも、念仏派が生まれたりした。
民主主義が試行錯誤するのはやむをえない。
民主主義とは都会のものだ、という意見を読む。
蓋し、都会には、労働力を売る以外に能がない、無産層が集まってきた。
そこに、民主主義が栄えるのは不思議ではない。
農家は、いつの時代にも、その原始性、自立性のおかげで、危機になればなるほどその自由を享受する。
経済的自立がないところに、政治的な自由はないという意味に理解する。
転じて、職業的な自立がないところに、市民的な自由はなく、
雇用に恵まれない人からは怒鳴り飛ばされるが、終身雇用制の崩壊は「職業的」自立社会、あたらしい自立的民主社会へのチャンスでもある。
あきらめるのはまだ早い。
政治のダイナミズムはどう転ぶかわからない。
石油の枯渇、環境問題の先鋭化、視野に入ったアメリカの斜陽,現行経済システムの行き詰まり。
これらの変数をうまく使えば、人間が人間に奉仕する新しい世の中の仕組みが見えてくると思う。
長期的に見れば、おごれるものは久しからず、盛者必衰。
人類という、自らの生きる基盤すら侵食する「無法バクテリア」に抵抗する、自然界の反動があり、人類はいつか減少あるいは消滅、そして、「つかの間」の人類の横暴に苦しんでいた地球にいつかまた怪獣が跳梁跋扈し、「弱肉強食の平和」が訪れる。
あるいは、人類が、他の親戚生物もろとも、無理心中の形で終わる。
その後、地球それ自身の寿命を迎え、砂漠化した地球の、数十億年の歴史が閉じる。
経営工学、応用心理学、金融工学、知恵が支配する世界から、理性の復権を望む。
(この、「知恵」、「理性」の語彙の使用はフロムから)
仏教にも、それに見合う語句があるはずだ。