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(回答先: 核武装を許すような新9条の精神を世界に広めることは意味あることか? 投稿者 まさちゃん 日時 2007 年 10 月 14 日 10:04:31)
>まさちゃんさん どうもです。
野球のバットは武器ですか?
一般的には「武器とは見なされない」でしょうが、武器として使用する事は可能です。
この議論、理想論から押されれば「Kに勝ち目はありません。」
この主張の焦点は、ただ1点のみです。
それは「核」というもののイメージです。
世界唯一の被爆国である日本人の「核に対するイメージ」は「狂気の大量破壊兵器」と認識されています。まあ、それは間違いではないのですが
「核」といえども「単なる道具」の一種です。
「ピストル」と何ら変わるものではありません。
で、日本では銃の所持は禁止されています。
でも、警官は所持していますよね。
仮に「銃は危険だから、警官も銃を所持してはいけない」という意見があったとします。
多分ですが、理想論から追えば「その意見は正しい」でしょう。
しかし、現実問題としたら「銃を所持している犯罪者がいる限りは銃を所持していなければ、対抗できない」でしょう。
理想論を捨て去るのではなく、理想論を実現する過程の中では「毒をもって毒を制する」という意味合いで「毒を持つ必要」もあるのです。
一応、書いておきますが「Kの主張は核を持て」ではありません「抑止力を持て」であり「全世界が日本は核を持っていると信じてくれれば、核の所持は必須ではありません」
この場合「これを武力と呼ぶのは適当か?」という問題と
この武力は「国際紛争の解決の手段となっているか?」と言う問題がありますから、論戦する気なら「Kの得意の屁理屈などいくらでも出てきます」が、憲法解釈だけでの議論をしても意味のない事です。
日本の自衛隊を「軍隊と思っていない」のは日本人くらいです。
諸外国の国々は「日本の軍隊はそれなりに大規模で脅威と考えている」でしょう。
しかも、後ろ盾として「アメリカが付いている」と言う事も知っています。
これ、ヤクザのやり方です。
日本という国は「ヤクザの国」としても、国民は「真剣に平和を追求し、憲法9条の理念を広めようとしている」という事は可能です。
第2次大戦でも「鬼畜米英」と思いながらも「個々のアメリカ兵は普通の人と何ら変わらない」と知っていた人は知っていたでしょう。
「核」に対する盲目的な拒否反応は「憑き物」の一種です。
「毒」であり「兵器」であるのは確かですが、先制攻撃兵器とは言えませんし、武力としない「使用法はある」と思っています。
憲法解釈をすり抜けられれば「それが、結果論として、一番正解に近い回答」と言う気がしています。