★阿修羅♪ > 雑談専用26 > 108.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 無粋な人間ゆえ、哲学的な話は、苦手ではございますが・・・ 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2007 年 9 月 18 日 01:25:09)
最大多数の最大幸福さん、こんにちは。
お返事頂きましてありがとうございます。
> haruさんの”魂”のようなものは、伝わってくるような感じはします。
恐縮です、、出来るだけ嘘はないようにいたします。
ご質問を今朝読みまして、少々戸惑いました。
わたしは、人様に意見出来る様な人物ではありません。
しかし、わたしは自分はどうありたいか、どうあるべきか、絶えず自問して生きております。そして、世の中の事柄に対して、わたしなりの感じ方、考え方を持ち、どうあるべきか?どうあったらよいのか?を模索しております。
出来るだけ多くを知りたい、わたしの問いかけに対する答えを知りたい、そんな思いで日々生きております。
無学な自分を恥じつつも、世の中の不条理な事象に対して、異議を唱える。
それは、一つのわたしの役目であり、役割であるのだとの認識です。
幼き頃から現代に至る迄の世の中のめまぐるしき変遷を目の当たりにして、このままではいけない、地球はどうなる、人類は、、との危機感から現在に至っております。
さて、ご質問ですが、、
>ただ、ある共同体の中で、必要不可欠な仕事があり、それが、比較的、人のやりたがらない仕事であった場合。それを合議で、輪番制でやろうと皆で決めたのに、その輪の中に参加せず、だけど、便益だけは、人並み以上に享受しようとする人間。
>こんな人間にまで、「それぞれの役割を知り、お互いを理解しようとする努力と寛容さ」を持たなければならないものでしょうか?
ここで、引っかかる言葉は以下です。
"合議で、輪番制でやろうと皆で決めた"
共同体には、ルールがつきものです。
昔で言えば、しきたり、あるいは掟でしょうか?
これらは、あくまで人が決めたものですが、いかようにも変わります。
そして、それらのルールは決して普遍的ではないものと思っております。
確かに、人々の中で円満な人間関係を保ちながら暮らす上では必要な事柄だとは思いますが、自然のルールからは逸脱する場合もあるのだと思っております。
人間は皆同じではありません。
背の高い人、低い人、目の悪い人、病んだ人、年寄り、重大事を抱えてる人、、、。
育ち方が違えば、行動も千差万別となります。
相手を非難することは簡単ですが、相手を経験することは出来ません。
つまり、非難する側は、自分の視点の中で相手を想像して非難することになります。
また、これらのルールは平等と云う事を重んじる上でのルールなのか、その土地で暮らす為の最低限のルールなのかは定かではありませんが、共同体での生活が侭ならないのであれば、彼、彼女はそこから去る必要があるのでしょう。
ただ、現代社会には逃げ場が殆どありませんが、、。
> haruさんは、赤の他人である、わたしが、もし「養って欲しい」と頼んで来たとしたら、どう感じますか?
>「自己責任の浮浪者」と「金融不労所得者」の問題というのは、つまるところここに行き着くと思いますよ。
ここで、やっと気が付きました。
これは福祉の問題ですね?
たしかに社会のシステムに関しては、政府の政策、財政、おかしなところが沢山ありますね。未だに勉強不足ではありますが、、。
いきなり、養って欲しいと云われれば、確かに面食らいますね。
お応え出来るかどうかは、状況によると思いますが、、、。
インドや、中国、中東、東南アジア、などの国で、
貧しい地域を旅行した人に限って、現地の人々の親切さに打たれるようです。
我々が失ってしまったものをかの地で経験するようです。
先進国文明の豊かさとは何なのか、考えさせられるところです。
最後に、平等という言葉は人類にとってマイナスであるような気がいたします。
不平等を知った途端に損した気になりますし、、。
各人各人の取り柄が活かせてはじめて、人は輝くものではないでしょうか?
役目とは進んでするものであって、損をした様な気になるものではないのだと思っております。
最後に、
>「自己責任の浮浪者」と「金融不労所得者」の問題というのは、つまるところここに行き着くと思いますよ。
この意味は、「自己責任の浮浪者」と「金融不労所得者」という存在が、社会に取って迷惑であると云う意味でしょうか?
わたしが思うのは、彼らの存在こそが、この社会のありかたの間違いを浮き彫りにしているのでは、、という感想です。
理想主義の四方山話で大変申し訳ありません。
失礼いたしました。